父の変化

2016年04月12日 | おとうちゃん

胆管閉塞と診断され、緊急入院となった時

父は、医師に「沖縄旅行に行きたい」と話し、3月27日が退院日になった

医師は「このまま入院させて、次の治療に進みたい」だった

 

退院日がわかっていての、入院だったため、母も安心していた

 

入院中、一度、病院に行った

告知前の父は

「もう80歳だから、仕方ない。俺はもう十分だ」と言って笑っていた

そして、4月・5月の 懇親会1泊旅行の幹事仕事を病院でこなしていた

 

行くつもり・行かれると思っていた

 

告知を受けたあと、沖縄に行った

父母は弟一家と車で来ていた

私と息子は電車(息子の電車練習もかねて)

 

発着ロビーで待ち合わせたとき、父は、ベンチに小さく座ってぼんやりしていた

いつでも先頭を歩く父の姿はなくなり、声も出なくなっていた

入院中の絶食から回復していないのか?

いや入院中の方が「勢い」があった

 

やはり、来年の予定がたてられない 告知は 父を打ちのめしてしまった

 

唇が荒れていた。 口内炎だと思ったが、二日前に転んだという話しだった

大した段差でもないところで、転んだ。

「骨折しなくてよかったねぇ。骨折してたら今日はなかったよ」

骨折に注意するよう父に話した

 

40歳まで農業をしていた

都内で農業をしている家はたいがい資産家で、不動産収入で老後をすごしている人が多い

 

だが、父の親族関係は非常に悪く、面倒くさく、相続で、父は住む家の土地を守ることしか

できなかった

 

耕す土地を失ったので、父母は、敷地内に小さい工場(こうば)を建て

中古の機械を購入し、加工の仕事を始めた

病気が発覚するまで現役だった

 

自営業の父にとって、社会的評価は地域の活動から得ていた

消防団・町会活動・町会長・民生委員・遺跡保存員などの活動をし、

今は老人会の会長とゲートボールの会長をしている

 

旅行中、父は何度も

 「気が楽だ。気が楽だ。俺はこんなに気が楽な旅行は初めてだ」

繰り返した

 

「何も考えず、誰かに気を使うこともなく、相談して了承を得る必要もなく

息子と娘の後をついていけばいい。こんなに楽な旅行はない」

 

「4月と5月の旅行は止めようと思うんだ」

なんで?

「幹事って大変なんだ。気を使うし、盛り上げるために話題をふったり。俺はもう

そういうことをする気力がない」

 

 

首里城の石段で、父は2度躓いた。それから私は父の傍から離れないようにした

弟夫婦にはまだ小さい子がいるので、追っていくのが大変そうで、うちの息子は

自分のペースで見たいものを見に、どんどんいってしまう。

到着して、少しテンションが上がってしまった母もやはり、先を歩いてしまう

 

父のペースでゆっくり歩き、時々話をした

 

父は糖尿病が進んでいて、3年前から、インシュリンの注射を自分でしている

そこまではできるのだが、その後、低血糖を防ぐため糖分を接種しなくてはならない

父はそれができなくなっていた

いつも、母は父のカバンに飴やチョコ、病院で出してもらった、ブドウ糖を入れている

旅行中は入っていないことが多く、私は、2度 ジュースを買いに走った

食事の時間が安定していないのもまずかった

 

それでも、卒倒することなく、無事帰ってこれた

毎日電話で話をしている

 

帰宅後、お土産を配るため、親しい親戚やご近所さん、同級生の家に行き

自分の病気についてカミングアウトをしたこと

 

老人会とゲートボールの仲間にも、話をし、「旅行には行かれなくなった」と話したこと

 

 

「ずっと黙っているつもりでいたんだけど、話したら気が楽になったよ。」

みなさん 80歳前後、何かしらやっかいな病気を抱えている

 

父の体調や年齢では、点滴の抗がん剤、放射線治療もできないそうで

先週から、経口の抗がん剤を飲み始めた

副作用が怖がっていたが、今の所、体調に変化がないらしい

 

「気持ち悪いとか全然ないんだ。」

父の声にいくらかハリが戻った

治療できること、副作用が出ないため、治療が続けられそうなこと

 

旅行中よりも、弾んでいる声が聞こえた

母の声も弾んでいた

 

だが、車の運転を禁じられ、それがさびしそうだった

 

 

 

首里城にて

 

 

水族館にて

 

 

 

どうか、お二人とも長生きしてください

親離れできない 娘は

お二人がいないと、人生の迷子になっていまいます

 

 

コメント (6)
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