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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・礼拝メッセージ「全部あなたがたのため」(要約)

2010年06月28日 15時18分14秒 | インポート
      引照聖句  コリント人への手紙第1、3章18~23節

  全部私たち、私のためという事実、真理や恵みがあったら、あらゆる人が今よりもっと幸せになります。個々各人が生ける神の宮であり、キリストを聖霊によって宿しているクリスチャンはそういう立場にあります。コリン トの教会を創設したパウロ、その後働いたアポロやパウロはみな、大きく「世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてはあなたがたのものです。」(22節)と言います。

 キャンベル・モルガンがこの個所で解説していることを引用します。
『たとえ、あなたがたが自分の考えで物質にしばられていて、愚かであっても、それでも全世界があなたがたのものなのです。【柔和な人たちは、さいわいである。彼らは地を受けつぐであろう。】(マタイ5:5) われわれはこれを信ずる。パーカ-博士がこの説明を使うのを聴いたことがある。「わたしは、バンバリーで伝道を始めた。わたしの二階の窓は、或る金持ちの広大な地所を見わたせた。この地所を相続したのは、わたしであった。少しの土地も所有していなかったのであるが。この地所全部が、わたしのものであった。」彼は言った。 「所有主は年にせいぜい十日しか、この地所にやってきて猟をしなかった。ところが、わたしは毎日毎日、ここを幾マイルも歩いた。柔和な人たちは、地を受けつぐでろう。その通りである。」と。世界は、あなたがたのものである。草花も、あなたがたのものである。丘も、谷も、川も、みなあなたがたのものである。』

 全部が私のために備えられている、いのちも、死でも、それに勝たせられている意味で。そうであるならば、他人や人がどう私に臨もうとも、全ては、キリストを頂いている私のためである、ということになります。

 聖霊の宮であり、神のみことばに養われ導かれていますならば、すべては私のためで、栄光は神に帰すのです。

▼正しい受け方、建て方をするならば、どんな困難でも苦しみでも全部私たちのためで神の栄 えとなることを覚えましょう。