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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・礼拝メッセージ(要約)

2012年03月12日 04時25分46秒 | インポート
【先週の礼拝説教回想】  
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 ルカの福音書15章18~24節
・説教題 ほうとう息子の回心
▼放とう息子とはだれでしょう。
それは神に愛されていながら、神に背き、堕落しているすべての人です。ですから私たちもかつてはそうと言えます。
・生み、育てられ、教えられ、訓戒されていながら、親に背を向けて刹那の快楽的な、わがままな生活を楽しんでいる。
・やがてどん底の生活の中で、真の宝と富がある所を悟ったのです。それは父の許でした。彼は悔い改めて父の許に帰り、受け入れられて、元の息子になりました。
・かれの父はかれが父のもとに帰るのを待っておりました。末の子は可愛いものです。父は喜び祝いました。ずっと居た兄がねたましく思い、腹を立て、父に抗議するほどでした。
▼罪とは神から離れて、霊的に堕落する思いとことばと、行為をすることです。それを諫めても自己の意志を通します。これが神に対してなされるとき、人は決して良い結末を迎えることがありません。神からいただいた健康、富が無くなり、卑しい豚の世話をして食いつなごうとするほどでした。ユダヤ人はモーセの律法により、豚を汚れた動物として、食べたることは禁じられ、触ることさえ忌み嫌いました。
・教会のそばに田川と言う川があります。鬼怒川に次いで宇都宮を流れる良く知られた川です。200メートルほど下流の橋の下に、今でもホームレスの方がそこで寝起きしているようです。所によらずたまに顔を合わせますと、意外にも普通の姿をしていたりします。よほどの事情があって、こんなはめになったんだと気の毒になります。以前この教会にほんのたまに、もっと下流の橋のたもとに住む人が訪ねて来られました。お住まいはどちらですかと尋ねますと、山本町一丁目一番地と言います。それは古い良い所にいる方だなと思いましたが、実は自尊心と自嘲的なことばであり、その近くの鎌倉橋(源頼朝の奥州征伐時の休息所)のたもとのことをそう言われたのでした。窮した時、ほんの時たま仕事がないかと来たりする方でした。今はどうなっているのでしょう。先ごろ地方版の新聞記事に、同さんはある事件を犯したらしく、小さく載っていると知らされました。 人はとことん落ちぶれても、必ずしも神の許に帰ってくるとは限りません。いやもっと、この世の地位と富と快楽に生きつつ紳士服・淑女服を 身にまとった放蕩息子、娘たちの姿を見ます。自分の実態に気づき、神に真に帰らなければ、失敗と滅びに行くと思える人は多いのです。▼神は今も自分の罪深さに気づき、父なる神に帰って来る者を外に出て待っておられます。