牧者の広場

今年の夏は暑い割に、曇りがちで降れば大雨だった。野山が大雨で崩れて、石、土砂と殊にあのような大木が、肌がむき出しにされ、人家を襲ったのは脅威だった。自然界が猛威をふるったら、人間の命運はたちどころに尽きてしまうものだと思わされる。
昔は素朴ながら神の怒りを肌身で感じて、神と定めた方(々)に、なだめの祈りや供え物などをささげていたわけだが、現今の人々は総じて、真の意味で神を畏れることは少なくされている。
旧約聖書の創世記6~9章にノアの箱舟と地上すべてが大雨で覆われ、ノアの家族以外は滅んでしまったことが記されている。キリストはこれを、今から2000年前、引き合いに出されている。
新約聖書マタイの福音書24章34~39節まで記されている所を引用したい。『まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。人の子(*キリストご自身、謙称)が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです』と。
人は恐るべき方、万有の神の存在を忘れるな!
神は愛ですが、義なる方です。罪は見逃す訳にはまいらない。人が滅びることがないために、人をでなく、人に代わって御自分の御子イエス・キリストを十字架に送り、人の罪の犠牲となられました。神と神の国に入るには、個人的に自分の罪を悔い改めて、イエス・キリストを救い主と信じて救われなければならない。
1960年に私はそう信じて生まれ今日まで生きている者です。日曜日の礼拝へのご来会、電話でのご質問、いのちの相談など24時間対応します。新興宗教のような勧誘などは、決してしておりません。
宗教法人 インマヌエル宇都宮キリスト教会 牧師 山田 隆