三浦光世 三浦綾子共著「太陽はいつも雲の上に」
講談社文庫pp10
あなたがたは世の光である キリスト 新約聖書 マタイによる福音書 5:14
『この言葉をはじめて読んだ時、わたしは光が、何となくローソクの光りのように思われた。人間であるわたしたちが、太陽のようにさん然たる光であるとは思えない。電灯ほどに世を明るくできる存在の人は少ない。いやわたしなど、光だとしても、ぶすぶすいぶった薪の光のような者で、そのいぶる煙で人に迷惑がられる存在かもしれない。
それはともかく、もし人がローソクの光りだとすれば、これはすばらしいと思う。太い大きなローソクの人もいるだろう。
が、その大小を問わず、ローソクはおのが命を火とするのだ。日々わたしたちが、本当にローソクにならって身を削って光っているとすれば、真に生きていたといえる一生であろう。ともあれ、どんなに小さな光でも、闇夜には、なくてならぬ存在なのである。』(綾子)
講談社文庫pp10
あなたがたは世の光である キリスト 新約聖書 マタイによる福音書 5:14
『この言葉をはじめて読んだ時、わたしは光が、何となくローソクの光りのように思われた。人間であるわたしたちが、太陽のようにさん然たる光であるとは思えない。電灯ほどに世を明るくできる存在の人は少ない。いやわたしなど、光だとしても、ぶすぶすいぶった薪の光のような者で、そのいぶる煙で人に迷惑がられる存在かもしれない。
それはともかく、もし人がローソクの光りだとすれば、これはすばらしいと思う。太い大きなローソクの人もいるだろう。
が、その大小を問わず、ローソクはおのが命を火とするのだ。日々わたしたちが、本当にローソクにならって身を削って光っているとすれば、真に生きていたといえる一生であろう。ともあれ、どんなに小さな光でも、闇夜には、なくてならぬ存在なのである。』(綾子)