アメリカ帰国者が日々の出来事・人生・世の中などを語るブログ

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原罪から、男女の違いを考える~創世記3章からの考察~

2016年05月17日 | 人間について
このブログをしばらく休んでいましたが、この度、新しいタイトルに変更し、日々聖書を読む中で気づいたことを書いていこうと思います。私も人間なので、間違った見方や解釈があるかもしれませんが、その際はご意見・ご指摘頂けますと幸いです。(念のため、これはエホバの証人(ものみの塔)・モルモン教・統一教会とは、全く関係ありません。)

さて、今朝、旧約聖書の「創世記」の3章を読みましたが、これまで湧いてこなかった疑問が湧いてきました。それは、何故、蛇がアダムではなく、女性のイブに、禁断の実を食べるようにそそのかしたのか?でした。

この蛇は、新約聖書の黙示録12章9節に記載されていますが、悪魔だということが分かっています。つまり、悪魔がこの蛇に入り、神様が創造されたアダムとイブを神様から引き離そうと試みます。悪魔の目的は、人間を神様から引き離すことであり、彼の目的はアダムとイブ、共に神様から引き離すことでした。

では、何故、この蛇はアダムとイブ2人に対して同時にそそのかさなかったのか?また、何故アダムではなく、イブにターゲットを置き、彼女をそそのかそうとしたのか?

悪魔は元々は神に仕える天使でしたが、堕落してしまったために、神から離れてしまった者です。従って、他の天使達と同じような能力を持っている為、どのようにしたらこの2人をそそのかすことができるのか、よく知っていました。悪魔とは言え、神様から創られた者ですから、相当に知恵があり、悪賢く、人を欺くのに長けています。2人の性質を良く知っていたこの蛇(悪魔)は、2人同時にアプローチ、又はアダムだけに直接アプローチする方法ではなく、イブにアプローチする方法を取りました。

では何故、イブがターゲットにされたのか?創世記の2章から読んで見ると想像できますが、神様はまず、アダムを創造しました。そして、神様はアダムに対して直接、善悪の知識の木からは取って食べてはならない、と言っています。つまり、アダムは神様を直接見ており、神の声を直接聞いていました。

一方でイブは、アダムのあばら骨を取って、後から創造されました。神様が直接、イブに対してその木を食べてはならない、と言っている個所がないため、彼女はアダムから聞いて食べてはならないと聞いていたことが想像できます。つまり、イブは、神様の言葉をアダムを通して間接的に聞いていた、つまり、また聞きをしていたということになります。

このような状態になった時、勘の良い方は既にお察しかと思いますが、また聞きの場合、その情報が100%正確に伝わることはあまりありません。特に女性の傾向として、男性と比べるとうわさ話やゴシップ好きが多いことを考えると(全ての女性に当てはまるわけではありませんが)、理解できるかと思います。うわさ好き、おしゃべり好きのおばちゃん、は良く聞きますが、うわさ好きのおじさん、はあまり聞かないですよね?

その証拠に、創世記3章3節でイブは次のように蛇に言っています。「しかし、園の中央にある木の実について、神は『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない』...と仰せになりました。」

しかし、創世記2章を見ると、神様が「それに触れてはいけない」とは一切、言っていません。これは、イブによる明らかな誇張なのです。イブが勝手に付け加えてしまいました。蛇にそそのかされた彼女は、きっと不安になって、神様が言ってもいないことを、あたかも神様が言ったかの様に、自分で付け加えてしまったのでしょう。非常に計算高いその蛇は、イブがそのような状態になることを予め分かっていたため、彼女の弱みに上手く入りこむことができたわけです。

これは私達人間にもよくあることです。特に自分が何かに、誰かに対して不満を持っていたり、また、職場で自分では難しいと思われる仕事をやるように言われたり、何か困難に遭った時などは、私たちはありとあらゆる理由をつけて、本来の事実とはかけ離れたことを言って、言い訳をしようとしたりします。特に人間関係、夫婦関係や職場の人間関係、家族関係に問題を抱えている人達は、まるで自分が全て正しく、相手が全て悪い、という話方をされる人達を多くみかけます。

その性質が既に、アダムとイブから現れています。神から、あの木の実を食べたのか、と問いただされた時、アダムはイブがそそのかしたと言い、その責任を彼女になすりつけました。また、イブは蛇がそそのかしたと言い、その責任を蛇になすりつけています。ここに、既に人間の原罪(神様から離れ、自分勝手に生きること)が始まりました。


この世的な観点から見ると、悪をそそのかした蛇が最も罪が重いでしょう。そして、蛇にそそのかされたとはいえ、それに応じたのはイブです。聖書を読む限り、蛇が無理矢理、イブに禁断の実を食べるように無理強いしたわけではありません。「食べない」という選択もあったわけです。けれども、イブは蛇の言葉に揺り動かされ、自分の意志でその木の実を取って食べ、更にそれだけでなく、アダムにもそれを勧めたので、彼女の罪は蛇の次に重いと判断されるでしょう。そして、イブの勧めに応じてしまったアダムも、結局は自分の意志で食べてしまったので、彼も罪に定められました。これを見ると、一般的に男性は女性の誘惑に負けやすい、というのはここから発生していることが分かります。

人間的観点から罪の大小はあるとはいえ、神から見れば、罪の大きい小さいは関係ないので、それぞれに罰を下されました。私たちが生きている間に受けなければいけない罰です。女性には産みの苦しみを、男性には生涯、額に汗を流して糧を得るという労働を課し、そして2人共に下された最も重い刑が、死でした。

ここでふと思ったのが、世界的に見ても、男性よりも女性クリスチャンの方が多いのは(特に日本では残念ながら未だ女性が圧倒的に多いですが)、イブが蛇(悪魔)に直接そそのかされた分、女性は意識的、無意識であれ、その罪の重さ、自分の弱さをより自覚しているからではないだろうかと思うのです。その罪深さ故、神様は女性に多くの恵を与え、多くの女性達が救われたのではないでしょうか。

一方、アダムは、木の実を食べてしまったのその罪はもちろん、大きいですが、蛇(悪魔)から直接そそのかされたわけではないので、罪の意識がイブ程ではなかったのではないかと思います。男性は女性に比べてプライドが高いと言われがちなのは、この様な所から来ているのではないかと推測されますが、プライドが高いと、なかなかありのままの自分を見つめたり、自分の弱さを認めることが難しいので、結果、神様の言葉がなかなか受け入れ難くなります。女性よりも男性のクリスチャンが少ないのは、このような理由なのではないかという気がします。しかし、アダムは直接神様を見て、神様の言葉を聞いているわけですから、男性が一旦、神様を信じるようになれば、素晴らしいクリスチャンになれるような気がします。(実際、世界の有名なクリスチャンリーダーを見ていると、女性よりも男性の数の方が圧倒的に多いです。しかしこれは、女性が男性よりも劣った者であるということを言っているわけではありません。女性でも素晴らしいクリスチャンリーダーは数多くいます。聖書では、男性も女性も同等の人間として扱われています。)

しかし、中には、理性的で合理的に考える女性や、男性でも自分の弱さを認めることができる方もいらっしゃるので、一概にこうである、とは言い切れません。しかし、男女の傾向として、創世記からこの様な事実があると知ることは、自分自身を深く理解すると共に、男性や女性ご、夫や妻を理解する上で大切なのではないかと思います。

これを見ると、男女共に罪を犯した者であるものの、神様は両者それぞれに多くの恵を下さっていることが分かります。そして更に、イエス・キリストをこの世に送り、彼が十字架にかかって下さったことによって私たちの罪を帳消しにして永遠の命が与えられた、という最も大きい恵を下さいました。

この世の中がどうであれ、自分が置かれている状況がどうであれ、聖書の言葉を歪めないで、自分で理屈を付けないで、ありのままにいつも受け入れることの重要性を思い知らされた気持ちになりました。


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