朝のお勤めの後食事を摂りながら、ふとカレンダーの中の大都会の高層ビル群を見ると、今までは大都会は退廃的に感じられ、あまり好い感じはもってはいなかったのですが、
日々
「時」の娘たち、偽善者めいた「日々」よ、裸足の托鉢僧のように面(おもて)をつつみ、おしだまって、 果てしもない一列をつくって、ひとりずつ進んで来、 その手に宝冠や薪束をもっている。
「日々」は、人間のひとりひとりに、望むままのものを与える、パンでも王国でも星々でも、それを包む大空でも。
私は、木の枝や蔦の生い茂る庭で、この美しい行列を眺め、朝のうちもっていた願いを忘れ、あわてて、 わずかばかりの薬草とりんごを受けとっ たにすぎなかった。「日々」は むこうを向いて、だまって立去った。私は彼女の髪のリボンの下に、嘲りの色を見たが、時はすでにおそかった。
「日々」は、人間のひとりひとりに、望むままのものを与える、パンでも王国でも星々でも、それを包む大空でも。
私は、木の枝や蔦の生い茂る庭で、この美しい行列を眺め、朝のうちもっていた願いを忘れ、あわてて、 わずかばかりの薬草とりんごを受けとっ たにすぎなかった。「日々」は むこうを向いて、だまって立去った。私は彼女の髪のリボンの下に、嘲りの色を見たが、時はすでにおそかった。
エマソン『仕事と日々』より
「永遠」につながる「日々」を、いかにしてゆたかな充実したものとなしうるかという・・・・・
「永遠」につながる「日々」を、いかにしてゆたかな充実したものとなしうるかという・・・・・
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