こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。
フクシマのコロッケ
創業とともに作り続けて今年で93年目です。
100年目には大きなイベントを催す予定です。
さてこのコロッケは
福島肉店創業者福島秋太郎が考案し作りはじめたものですが
これまでどのように続いてきたかというとちょっとしたストーリーがあります。
彼が成城学園の調理師だった際日本に伝わったコロッケをいち早く
自分のオリジナルにしようと考えたのがはじまりでした。
当時日本でコロッケといえば洋食屋のつたわったままのクリームコロッケなど。クロケッツ。
江戸っこはいからの秋太郎 はその後のブームとなる肉屋の肉コロッケの最初の流れを作った一人のようです。
c.f.銀座のちょうじやさん.
今年の1月に亡くなった祖父の葬式の際集まった親戚や祖母に福島家の歴史やコロッケの事等色々聞きました。
最初は「フクシマのコロッケ」ではなく「ころっけ」として販売していたようです。
昭和初期
初代が亡くなってからは祖父が受け継ぐのですが味は勘と経験で決めていたため甘い時もあれば塩分の強い時もある
味にむらのある安定していないコロッケだったという説もあります。
パン粉は細かいドライパン粉で薄衣。
使用する材料や製法は昔ながらのものです。
1980年代 父が京からもどりデリカテッセン・惣菜製造を開始。
コロッケの種類もたくさん増え今までのコロッケと見わけをつけるためネーミングを改めました。
それで「フクシマのコロッケ」となったのでした。
煮込んだお肉をさらに挽き
玉ねぎはよーーーーーく炒め調味料をからませた後に煮込み挽いたお肉をさらに炒め玉ねぎとからませ
茹で上げたアツアツのじゃがいも挽いて時間をおかずすぐに混ぜ合わせる、
基本的に製法は変わりませんが販売日は祖父の代は曜日限定だったり毎日ではなかったようです。
僕が生まれて最初にコロッケに携わったのは小学生の頃、学校から帰るとじゃがいも洗いや皮むき、お肉も運んだり手伝っていたのを思い出します。バイトのお姉さんより早くじゃがいもの皮をむくのが自分の中のルールで、じゃがいもの皮を早くむける男は最高にかっこいいのだと思っていました。そして店の手伝いは非常に面白かったです。
この頃父はコロッケ作りをスムーズに行う為の仕組みを作り上げます。時期によって変わる野菜の持つ甘みを調整するためのレシピの数字、変わる硬さに対するボイル時間等、数字化してききました。
1990年代 母はパン粉大臣に就任します。祖母がつけてきた揚げ物のパン粉、むらなく、とろがつきすぎずうすすぎず、を受け継ぐのですがこれまた奥が深くものにするためには非常に時間がかかったと聞いております。
まだ毎日販売ではない時期、コロッケの日 というのがあったのですがその日はいつもきまったお店に外食に行くのでした。夕食を作る体力は誰も残っていなかったのでしょう。
1996年前後、
フクシマのコロッケを毎日食べたい、毎日販売してほしいとの声も多くなってきました。そういったお客様のお声にお応えし毎日販売するようになりました。
そういった中で使用するお肉、塩、じゃがいも、玉ねぎは「できる限り地場産地場消費、できる限り安全性の高い食材を使用する」という信念に基づき材料の配合は変えず使用する材料の種類のみ変更してきました。
例えばお肉はりんごで育った信州牛→秋田錦牛
じゃがいもはできる限り農薬を使わないもの、かつ男鹿産。
塩・・・男鹿工房さんの男鹿の塩
2009年 私が福島肉店に就職し 現在の社長からコロッケを教わりながら一緒にお作りしております。
作る過程で最後のじゃがいもとの対話が非常に難しいのですがなんとかこのコロッケ語を習得するよう努力して参ります!!
フクシマのコロッケ
創業とともに作り続けて今年で93年目です。
100年目には大きなイベントを催す予定です。
さてこのコロッケは
福島肉店創業者福島秋太郎が考案し作りはじめたものですが
これまでどのように続いてきたかというとちょっとしたストーリーがあります。
彼が成城学園の調理師だった際日本に伝わったコロッケをいち早く
自分のオリジナルにしようと考えたのがはじまりでした。
当時日本でコロッケといえば洋食屋のつたわったままのクリームコロッケなど。クロケッツ。
江戸っこはいからの秋太郎 はその後のブームとなる肉屋の肉コロッケの最初の流れを作った一人のようです。
c.f.銀座のちょうじやさん.
今年の1月に亡くなった祖父の葬式の際集まった親戚や祖母に福島家の歴史やコロッケの事等色々聞きました。
最初は「フクシマのコロッケ」ではなく「ころっけ」として販売していたようです。
昭和初期
初代が亡くなってからは祖父が受け継ぐのですが味は勘と経験で決めていたため甘い時もあれば塩分の強い時もある
味にむらのある安定していないコロッケだったという説もあります。
パン粉は細かいドライパン粉で薄衣。
使用する材料や製法は昔ながらのものです。
1980年代 父が京からもどりデリカテッセン・惣菜製造を開始。
コロッケの種類もたくさん増え今までのコロッケと見わけをつけるためネーミングを改めました。
それで「フクシマのコロッケ」となったのでした。
煮込んだお肉をさらに挽き
玉ねぎはよーーーーーく炒め調味料をからませた後に煮込み挽いたお肉をさらに炒め玉ねぎとからませ
茹で上げたアツアツのじゃがいも挽いて時間をおかずすぐに混ぜ合わせる、
基本的に製法は変わりませんが販売日は祖父の代は曜日限定だったり毎日ではなかったようです。
僕が生まれて最初にコロッケに携わったのは小学生の頃、学校から帰るとじゃがいも洗いや皮むき、お肉も運んだり手伝っていたのを思い出します。バイトのお姉さんより早くじゃがいもの皮をむくのが自分の中のルールで、じゃがいもの皮を早くむける男は最高にかっこいいのだと思っていました。そして店の手伝いは非常に面白かったです。
この頃父はコロッケ作りをスムーズに行う為の仕組みを作り上げます。時期によって変わる野菜の持つ甘みを調整するためのレシピの数字、変わる硬さに対するボイル時間等、数字化してききました。
1990年代 母はパン粉大臣に就任します。祖母がつけてきた揚げ物のパン粉、むらなく、とろがつきすぎずうすすぎず、を受け継ぐのですがこれまた奥が深くものにするためには非常に時間がかかったと聞いております。
まだ毎日販売ではない時期、コロッケの日 というのがあったのですがその日はいつもきまったお店に外食に行くのでした。夕食を作る体力は誰も残っていなかったのでしょう。
1996年前後、
フクシマのコロッケを毎日食べたい、毎日販売してほしいとの声も多くなってきました。そういったお客様のお声にお応えし毎日販売するようになりました。
そういった中で使用するお肉、塩、じゃがいも、玉ねぎは「できる限り地場産地場消費、できる限り安全性の高い食材を使用する」という信念に基づき材料の配合は変えず使用する材料の種類のみ変更してきました。
例えばお肉はりんごで育った信州牛→秋田錦牛
じゃがいもはできる限り農薬を使わないもの、かつ男鹿産。
塩・・・男鹿工房さんの男鹿の塩
2009年 私が福島肉店に就職し 現在の社長からコロッケを教わりながら一緒にお作りしております。
作る過程で最後のじゃがいもとの対話が非常に難しいのですがなんとかこのコロッケ語を習得するよう努力して参ります!!