こんにちは、お肉とお惣菜のお店グルメストアフクシマの福島智哉です。
本日29日は、先代福島基良の命日でした。
本日で4年。
私の祖父にあたる2代目ですが、8月29日生まれで1月29日没。時間も1時29分p.m.
肉の日生まれにして肉の日を選んで逝くとは!!と後になって身内で話題になりました。
私も29日生まれですが、今のところまだまだ修行が足りず肉の事も覚えたい事がたくさんで勉強中です。
さて、祖父 福島基良の話ですが、
今になってもっと色々聞きたい事があったなぁと振り返ります。会えるなら会いたいとも。
大学を出るくらいまでは当店の事も祖父のやってきた事もそれほど興味は無く本当の意味でどんな人だったのかは分からなかったと思います。
私が子供の頃の印象は、短気だけど単純でとにかく仕事には気合が入っているじいさん、といった感じ。
休みは必ずどこかに出かけ、大の鉄道好きでもあり一緒に電車の旅、というのもありました。
(鉄道友の会にも所属)
祖父の頃はコロッケの販売日は月に2回の木曜日のみ。
その木曜日は特別で多くの方が集まり一日で7百個以上出て、完売していたそうです。
私が、秋田に戻ろうと決意した時はまだ青い25歳、大学、部活、バイト、就職先で学んだ数年の経験で
色々知った気になっており、調子をこいておりました。
祖父は認知症で口にする事は昔のお客さんの事や仕事の事ばかり。
既に廃校になった学校や施設に「配達行くから」と車に乗りまわりは困ったりもしましたが、
今になって思うと本当に一生懸命で仕事もお店もお客様の事も好きだったのだな、
だからこそ今の私達があるんだ、とも思います。
最近父(現社長)は昔基良さんに言われた事が正しかったと思う。と当時の話を聞かせてくれます。
言われた内容や表面的な言葉にささるのではなく、内容の深い部分や意図するところを察しないと見えない、という話で、
簡単にいうと枝葉では無く根元を見よ、というようなもの。根本や本質を追う考えを持つと色んなものに疑問も生まれますが、そこに感情で向かうとエゴで曇る、とかこれを話すと長くなるのですが、
自分を否定されたり批判されたり、責められたりしてもその相手の言い分の真意をしっかり考え真に素直に聞き入れなければ人間的な成長は無いのだ、というような話です。
そうは言っても人間だもの、という緩さやそれを受け入れる寛容さも相手に対しては持ち合わせたいところ。
松下幸之助さんの「素直な心」の話にもつながるなーとふと思い出したり、
「素直」はやっぱり幸せの道ともいえるなーと考える一日にもなりました。
2代目 福島基良を数枚の写真で振り返る。
昭和2年東京生まれ 12歳頃まで武蔵小山、品川、世田谷あたりで育つ
昭和19年頃 戦時中 防空監視所副所長
20代の頃 決まっているな
20代の頃 晩年までいつもしっかりヘアースタイルはばっちり決めていました。(髪の量は多い家系)
昭和30年代 改装開店時 高校生のお手伝いさん(アルバイト)もこの頃は2~3人いたそうです
若き頃の祖父母 祖母は今もとても元気です。
何の様子かわかりませんが、何か出てきそうです。
地元の仮装大会 これについての情報求む!です。よくわからない一枚です。
お店の中。
祖父のSLコレクション すごいたくさんあるのですが、一部。男鹿線です。まだ男鹿駅の海側が埋め立てられていない時代
下金川の踏切で私と弟 幼少時 祖父撮影
2010年
昼も気に入ってつけていたね
救急車はタクシーさ、の時。こらこら!
でも色々整理していたら泣けてきました。
祖父が生きた時代、何を思いやってきたのか少しでも想像したりするのって自然と感謝の想いにあふれますね。
本日29日は、先代福島基良の命日でした。
本日で4年。
私の祖父にあたる2代目ですが、8月29日生まれで1月29日没。時間も1時29分p.m.
肉の日生まれにして肉の日を選んで逝くとは!!と後になって身内で話題になりました。
私も29日生まれですが、今のところまだまだ修行が足りず肉の事も覚えたい事がたくさんで勉強中です。
さて、祖父 福島基良の話ですが、
今になってもっと色々聞きたい事があったなぁと振り返ります。会えるなら会いたいとも。
大学を出るくらいまでは当店の事も祖父のやってきた事もそれほど興味は無く本当の意味でどんな人だったのかは分からなかったと思います。
私が子供の頃の印象は、短気だけど単純でとにかく仕事には気合が入っているじいさん、といった感じ。
休みは必ずどこかに出かけ、大の鉄道好きでもあり一緒に電車の旅、というのもありました。
(鉄道友の会にも所属)
祖父の頃はコロッケの販売日は月に2回の木曜日のみ。
その木曜日は特別で多くの方が集まり一日で7百個以上出て、完売していたそうです。
私が、秋田に戻ろうと決意した時はまだ青い25歳、大学、部活、バイト、就職先で学んだ数年の経験で
色々知った気になっており、調子をこいておりました。
祖父は認知症で口にする事は昔のお客さんの事や仕事の事ばかり。
既に廃校になった学校や施設に「配達行くから」と車に乗りまわりは困ったりもしましたが、
今になって思うと本当に一生懸命で仕事もお店もお客様の事も好きだったのだな、
だからこそ今の私達があるんだ、とも思います。
最近父(現社長)は昔基良さんに言われた事が正しかったと思う。と当時の話を聞かせてくれます。
言われた内容や表面的な言葉にささるのではなく、内容の深い部分や意図するところを察しないと見えない、という話で、
簡単にいうと枝葉では無く根元を見よ、というようなもの。根本や本質を追う考えを持つと色んなものに疑問も生まれますが、そこに感情で向かうとエゴで曇る、とかこれを話すと長くなるのですが、
自分を否定されたり批判されたり、責められたりしてもその相手の言い分の真意をしっかり考え真に素直に聞き入れなければ人間的な成長は無いのだ、というような話です。
そうは言っても人間だもの、という緩さやそれを受け入れる寛容さも相手に対しては持ち合わせたいところ。
松下幸之助さんの「素直な心」の話にもつながるなーとふと思い出したり、
「素直」はやっぱり幸せの道ともいえるなーと考える一日にもなりました。
2代目 福島基良を数枚の写真で振り返る。
昭和2年東京生まれ 12歳頃まで武蔵小山、品川、世田谷あたりで育つ
昭和19年頃 戦時中 防空監視所副所長
20代の頃 決まっているな
20代の頃 晩年までいつもしっかりヘアースタイルはばっちり決めていました。(髪の量は多い家系)
昭和30年代 改装開店時 高校生のお手伝いさん(アルバイト)もこの頃は2~3人いたそうです
若き頃の祖父母 祖母は今もとても元気です。
何の様子かわかりませんが、何か出てきそうです。
地元の仮装大会 これについての情報求む!です。よくわからない一枚です。
お店の中。
祖父のSLコレクション すごいたくさんあるのですが、一部。男鹿線です。まだ男鹿駅の海側が埋め立てられていない時代
下金川の踏切で私と弟 幼少時 祖父撮影
2010年
昼も気に入ってつけていたね
救急車はタクシーさ、の時。こらこら!
でも色々整理していたら泣けてきました。
祖父が生きた時代、何を思いやってきたのか少しでも想像したりするのって自然と感謝の想いにあふれますね。