私の家系一族は、神葬祭なので本来彼岸は仏教徒の習わしですが、
やはり江戸時代は、家系一族は仏教徒でしたが、
昨日、墓参り致しました際に、先祖を確かめて視ました。
権大僧都の墓石が有りましたので間違いなく仏教徒でありました。
明治2年に全て神葬祭になりました。
なを、現在確認できる限りでは、孫右衛門「長太郎」が
寛永19年(1640)6月に没しており、「盛林道基居士」
その後は承応4年/明暦元年(1655)から天明3年(1783)4月
次右衛門「初代勝平」正徳院権大僧都居士までが仏教徒でありました。
なを、私の祖父勝平は明治生まれで襲名ではなく本名が勝平でした。
また、一族で長寿の祖先は与右衛門が天保2年(1831)2月に107歳で没しておりますが、
私の父は102歳で帰幽、母は、現在102歳で健在です。
家系一族の喜右衛門「芝侶」俳号「池澄」が、
鈴木廣川(こうせん)先生及び、栗庵似鳩(りつあんじきゅう)両先生の弟子でした。
ある日のこと、先生が池澄小宅を訪問した際に留守で、
先生に下記の歌を詠んで戴いております。
「池澄子をたずるぬるに、主人は農に出してあらず、
涼をとらんと坐に上りて」
私の推測では、当日先生はその後、隣の伊与久村の、
忠治引を書かれた、深町北荘翁を、尋ねたと思いますが、
それはロマンですね。
池澄の句では、
「元旦や開きそめたる福寿草」などを、残しております。
また、池澄「天保4年(1833)11月没」の墓碑銘は、
嬉しい事に、鈴木広川先生に、撰して戴いております。
つづく
なを、栗庵似鳩先生ほか伊勢崎市の著名な方の詳細は此方をご参考に、