殊に子分之内、無宿文蔵儀、
博奕睹銭取引之由に付、無宿伊三郎と口論の上打擲に遭ひ
残念之由を咄聞候を承り、子分の者右様打擲受候を打捨置
候はば、伊三郎の強気に臆し候様(杯カ)、他之嘲を受候
も口惜義と心得、右憤を可為晴と文蔵え助力に及び、同国
境町地内に於て倶に伊三郎を及殺害、豹真有文蔵儀関東御
取締御出役衆に披召捕候節は文蔵を可取戻と多多人数申合、
得物等を携へ、右御出役旅宿同国木埼宿近辺三ツ本山迄打
参り、又は右田部井村又は宅借受、同類共外呼集博奕相催
候砌、兼兼而忠次郎兄弟之契約いたし置候無宿浅五郎並に
同人子分之者共不相越不審之儀と存折り候折柄、御取締御
出役為御召捕方御立越有之候趣右宇右衛門為知越候より、
驚逃去候得共、共節浅次郎伯父同国八寸村勘助儀右御出役
道御案内成し罷越候由追而承込、右は浅次郎及変心、勘助
え内通致し候より、同人差口にで右体御手配相成候儀と相
疑ひ、浅次郎を呼寄、右次第を以て相咎め、其分に難差置
若し存介罷在度存候はば、勘助の首級を携来り申候可致段
強勢申掛候を、浅次郎儀終に伯父勘助を及殺害候仕儀と相
成、剰へ無宿長兵衛儀信州路に於て、同国中野村忠兵衛伜
源七に被及殺害候趣承込、仇打可致旨子分の者共数多引
連、鎗鉄砲等携へ立廻り候砌、大戸村御関所有之往来差支
候迚、右御関所を除け山越レたし候段、不恐公儀致し方、
殊に右体所々悪事、自分御召浦方御探崇可逃迫為め、御取締
御出役道案内相心得居者共え金子相送り、迫而病気に付右
宇右衛門方え罷越養生中、密通致居候同国五目牛村仲右衛
門養父とく、其外妾同様に致し置候まちを呼寄看病為致立
隠罷在候始末、重々不届至極に付、大戸村に於て傑被仰付
候間、其旨可存段被仰渡候。
(註、この忠治の項のみは前出の判決文と殆ど同文であるが、
資料として同時に集録されているので其のまま此処に再掲した)