私の高校生時代には、
今では、とても考えられない逸話があります。
ある時、体育系の部室で、小火が有りました。
其の発火原因は、消防署長、同窓会長、校長、教頭他で
協議の結果は下記の通りの結論になりました。
「部室では、部員が腹を空かし、弁当、パンなどを、食べて、
その残飯を鼠が頻繁に食べるので出入り口の穴が、
鼠との摩擦熱で発火したという結論でした」
上記の様な結論では、今では迚許されませんが、当時の諸先生は
実にユーモアと、誰にも細障りのない様にしたんですね。
おそらくこんな会話だったでしょう。
「生徒の煙草が原因じゃ―チョト、どうですか鼠が出入りして
熱くなって出火したことじゃ―、どうだい校長、よかんべー
そうすりゃ―、生徒の懲罰も無いし丸く収まるし」
其れで、誰も異論なく丸く収まりました。
私は、常日頃母親から、頭が悪いから休まず行けば、情けで卒業出来ると
言われて、3年間無遅刻、無欠席でしたが、下校は一番早く校門を
出て帰宅するのは殆ど深夜でしたが、でも母は倚門の望だっただろう。
先生から、職員室に呼ばれるのは何時も「団長、今日は補導で廻るから、
校章を付けて、パチンコや、喫茶店に居るな!」と、
苦笑しながら、言われ早速各クラスの頭に、
「お―い今日は、いんきょ(教員)が廻るぞ」そうすると
大体「今日は、違う道廻るベ―な」で、事は済んだ、
その連中が、今は、市議会委員、税理士、金融機関理事長、
中堅企業経営者などの社会、経済的にも中の上に付いて居る者が多く
尊敬されているのが不思議である。
そして、学年で、ベストテン以内の学力優秀な同級生は何故か、
音信不通か、自ら人生の終焉を選んだ者もいた。
何故だろうと考えると、芸能人、スポーツ其の外、20歳前後で
マスコミで騒がれた方は、数年で消え去り、残る方は数少ないし、
多くは、その後は苦難の人生を送る場合が多く屠所の歩みで終わる。
例え国内有数の難関試験の司法試験をパスしても、現代は厳しい、
逆に、若い時に苦難に耐え、世の中の裏を知った者は強いし、
晩年も桐一葉を事成す。
こんな傍若無人馬耳東風の私を、浩然の気にして優しく温かくして戴いた
奥津先生、そして、人生の濫觴を導いて下さった。
竹田先生は、故人になられた。
本年も、痴人夢を説くブログを訪ね戴き深く感謝申上げます。
なを、私の生業で一般の方がお休みの時は、多忙を極めるので、
誠に勝手乍、七草粥を食する頃まで、暫時休みを頂戴致します。
又、本年母帰幽至り年末年始の、ご挨拶は差控えます事ご承知戴きたい。