アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

太陽光発電はバブルの終わりかもしれない 最終回

2015年06月11日 | 政治問題

前回の買取価格を効率的に決める方法として、太陽光導入見通しを達成するために年間250万kWの入札を行うことも考えられる。現在の太陽光導入量は住宅・非住宅あわせて2131万kW(2015年1月末時点であり、現在の導入ペースから3月末の導入量は約2500万kWと思われる。今回見通し小委が示した2030年6400万kWまでは、残り3900万kWだから、2030年度まで16年間かけて年間250万kW導入すればよいことを意味する。

コスト等検証委員会は、メガソーラーのシステム価格が、現在の29.4万円/kWから2030年度には18.5~22.2万円へ約3割低下すると推計している。もちろん、これは導入による学習効果等をもとに試算されているものの、我が国の太陽光買取価格は、欧州FIT先行国のそれと比較した場合、依然として2~3倍以上も割高であり、導入量をコントロールすることで、費用負担とのバランスをとるといった制度設計が必要である。

上限設定は国際標準を、ドイツですら上限を設定しなかった非を認めている

加えて、上限設定は国際常識である。FITの賦課金抑制には、太陽光が想定していた年間導入目標を大幅に超過する設置が進む「太陽光バブル」への対策が重要であり、欧州FIT先行国(ドイツ・イタリア・スペイン・フランス・英国)の全てで、(1)買取価格の大幅な切り下げ、(2)買取価格改定時期の高頻度化、(3)導入上限が実施されている。

特に重要なのは導入上限の設定である。ドイツでFITの運用を担っている連邦環境省(BMU)ですら、導入上限が実施されていれば、賦課金が高騰する等の「間違い(mistake)」が避けられていたと、導入上限を設定しなかったことを“mistake”として公式な場で言及している。

実は、我が国のFIT法においても、「効率的な供給を行う場合に通常要する費用」に「適正な利潤」を加えて買取価格を算出するとしながらも、「我が国における再生可能エネルギー電気の供給の量の状況(中略)その他の事情を勘案して定める(同法3条2項)」という規定が存在している。買取価格を算定する調達価格等算定委員会はこれまで、導入量や目標に基づく買取価格は定められないという認識であったが、太陽光に偏重した導入が進む現状や、FIT先行国の常識を考えても、この規定に基づき、導入上限の設定を検討すべきである。

既に太陽光の設備認定量は莫大であるため、買取総額を抑制する方策は限られる。それでも、莫大な既認定分についての見直し抜きにして、ミックス案が掲げる電力コストや買取総額の目標は到底達成することはできない。政府が掲げる「再エネの最大限導入」は、いくら高くても何でも買い取ることではない。効率性の観点にたてば、再エネ買取総額を出来るだけ抑制するために、FITによる太陽光買取の早急な停止と、入札等の競争原理を用いた制度改正が必要である。

 

 

参考文献

[1]総合資源エネルギー調査会 省エネルギー・新エネルギー分科会新エネルギー小委員会(第9回、2015年2月3日配付資料)

[2]朝野賢司「太陽光発電等の大量導入により、今後の賦課金負担はいくらになるのか?」『電気新聞』2015/03/09掲載

http://criepi.denken.or.jp/jp/serc/denki/pdf/20150309.pdf

[3]見通し小委における「電力コスト」は、火力・原子力の燃料費とFIT買取総額であり、通常、電力供給に必要なコスト(設備費等)は含まれていない。

[4]地球環境産業技術研究機構(2014), 「電源別発電コストの最新推計と電源代替の費用便益分析」

[5]朝野賢司(2014)「我が国の固定価格買取制度に関する費用負担見通しとその抑制策の検討」、電力中央研究所報告 Y13031.

[6]下記文献では、FITによって再エネの普及やコストダウン等の効果があったとしており、FIT自体の正当性を主張する点は従来と変わらない。ただし、技術的に未成熟だったPVをFIT対象としたことで賦課金が高騰したことを認め、2014年の法改正で導入された上限があればmistakeは避けられたことを公式な場で言及している点では珍しいと思われる。

Poschmann, Andre(2013), German Renewable Energy Policy What can be learned from the German case? driver mistakes challenges, The International Renewable Energy Agency (IRENA) Workshop on Renewable Energy Policies


太陽光発電はバブルの終わりかもしれない その3

2015年06月10日 | 政治問題

前回に続き、 その結果、毎年度末に駆け込み認定が発生し、設備認定量の2割程度しか運転開始には、

至っていないことや、空枠取り等の問題が生じていた(「バブルが始まった太陽光発電」、

「太陽光のFIT認定は一時的に停止を」)。確かに、今年4月からは接続契約時点に改正されたが、

それでも3月に大量の駆け込み認定が生じてしまっている。つまり、結果的に3年連続となる莫大な

駆け込みが需要が生じていることからも、国民負担ではなく普及を優先する余り、抜本的な対策を

打てなかったと言える。より少ない費用で多くの再エネを導入できる

むしろ、今回の電力コスト目標を達成するために重要なことは、既認定分で運転開始に至っていない。

設備に対して、買取価格を大幅に切り下げる、あるいは上限を設定し入札によって価格を決定する

事である。もちろん、一度認定した設備が運転開始していないことを理由に買取価格を切り下げるという

制度運用は大きな困難が予想される。しかし、運転開始が僅か2割という現状を踏まえれば、今回の

ミックス案は買取総額という概念によって、負担と普及のバランスを提示しているのだから、

例えば一定期間内に運転開始に至らない設備への認定取消等、改めて既認定分に対する負担の

削減方策を真剣に検討すべきである。こうした措置が必要なのは、現行買取価格が「適正な利潤」を

大きく超えているからである。

FITの買取価格は、「効率的な供給を行う場合に通常要する費用」に「適正な利潤」を加えて

算出される(再エネ特措法 3条2項)。しかし、地球環境産業技術研究機構(RITE)による分析では、

総費用に「適正な利潤」を加えて算定するとされてきたFIT買取価格の実際は、明らかに「適正な利

潤」を大きく超えるものとなっているとされる。過剰な利潤を補償することが再エネ特措法の意図では

なく、莫大な既認定かつ未運開の設備について買取価格を見直すべきである。その際は、入札によって

価格を決めることでコストダウンを促す方が良い。このように書くと、「政府の再エネ最大限導入に

逆行する」という反論があるかもしれない。しかし、実際には、全く逆で、莫大な太陽光既認定分は、

再エネの中でも極めて割高であり、太陽光の抑制によって、他の再エネへ国民負担を効率的に

再配分することができる。そもそも、エネ庁は2012年度の非住宅用太陽光認定のうち9.7%にあたる

182万kWの認定取消を既に公表しているが、前述した「認定の6割が運転開始」とする具体的な根拠は

何ら示されていない。認定取消が9.7%だったことを踏まえて、仮に運転開始する設備を「認定の9割」と

すると、太陽光の年間買取総額は3.4兆円である。これは前述の太陽光買取総額の上限2.3兆円から

約1兆円上回る運転開始率を6割から9割にすると太陽光の発電電力量は増加するので、LNG火力発電の

電力コスト分が削減されることを考慮しても、「電力コスト目標9.1~9.5兆円」からさらに約9000億円の

国民負担が必要になる。

反対に、既認定分でまだ運転開始していない設備に対する買取価格を25円/kWhに切り下げれば、

太陽光買取総額は1.9兆円となり、上限2.3兆円から約4500億円を捻出することが可能になる。

これを再エネの中で買取価格が相対的に安価な中小水力や地熱発電の買取に回せば、再エネ比率

22~24%から、1.6~1.8%を上積みすることができる。もちろん、現行の買取価格で水力・地熱が

追加的に導入できるかどうか不明なので、この2%弱の数字自体に意味はない。

しかし、重要なことは、我が国が再エネに支払える額には、必ず上限があり、安い再エネから導入する

費用対効果を考えるべきだ、ということである。換言すれば、太陽光の莫大な既認定分の取り扱いに

よって、効率的な再エネ最大限導入が可能か否かが決まるとさえ言える。

                                         つづく


太陽光発電はバブルの終わりかもしれない その2

2015年06月09日 | 政治問題

そこで資源エネルギー庁は見通し小委に対して、火力・原子力の燃料費と、

FIT買取総額を合わせた、いわゆる「電力コスト」を、2013年9.7兆円から

5%程度削減し、9.1~9.5兆円にするというロジックを提出した。

これは太陽光バブルを収束させるために決定的な役割を果たす。

FIT等による再エネの年間買取総額は2030年段階で3.7~4兆円とし、

その内訳は、まず地熱・水力・バイオマスの買取総額(約1.0~1.3兆円)を

決め、残り2.7兆円の中で太陽光(2.3兆円)、

風力(0.42兆円)としている。したがって、特に太陽光バブルによって、

膨らんだ太陽光の買取総額について、

我が国が再エネに支払える総額の中から上限を示したことは評価できる。

3月の駆け込み1600万kWにより、累計1億kWに迫る太陽光認定しかし、

買取総額は今年度既に1.8兆円を超えており、2.7兆円に抑える制度的な

担保は何もない。見通し小委で示された資料をもとに、私が推計すると、.

太陽光の設備認定は、今年3月の1カ月間だけで非住宅用太陽光は約1600万kW

もの駆け込み認定が行われ、住宅用と合わせて累計約1億kWにも達している。

この数字は、見通し小委において「認定量のうち、運転開始まで至るのは、

住宅用は認定量の9割、非住宅用は報告徴収・聴聞の結果を踏まえ6割が、

導入」としていることから、認定量の2月末実績値から逆算し求められる。

(後述するように「認定6割が、運転開始」の根拠は示されていない)。

つまり、FITが導入された2012年7月以降、768万kW(13年3月)、2653万kW(14年3月)、

そして約1600万kW(15年3月)と、3年連続して年度末に駆け込み認定が生じたのである。

この駆け込みは、我が国では認定時点で買取価格を確定させていたため生じている。

買取価格の適用時期には、設備認定時点、電力会社との系統接続の契約時点、そして

設備の運転開始時点の3つの段階がある。

我が国ではこの中で一番早い設備認定時点で運用されていたが、ドイツ等の主要な

FIT導入国は運転開始時点としている。

                                                                                                                 続く


太陽光発電はバブルの終わりかもしれない。その1

2015年06月08日 | 政治問題

ソーラー発電の現実と数年後

2013年03月22日に、私は上記のタイトルで投稿いたしましたが、2年後の現状は

下記の状況です。          

経済産業省が提示しているエネルギーミックス案の中に、ある重要な政策転換のサインが盛り込まれている。それは2030年における再生可能エネルギー買取総額を3.7~4兆円とするというものだ。原子力発電の停止によって震災前に比べ約3.8兆円燃料費が上昇しているから、原発の再稼働によって浮く燃料費をほぼ全て再エネの買取に充てるということを意味する。

しかし、現状の固定価格買取制度(FIT)による買取総額は今年度1.8兆円を超えており、3.7~4兆円で落ち着く制度的な担保は何もない。私による推計では、太陽光発電の設備認定は、今年3月の1カ月間だけで約1600万kWもの駆け込みが行われ、累計約1億kWに達している。仮にこの9割が運転開始になった場合、再エネ買取総額は4.8兆円となり、目標から1兆円も跳ね上がる。

これを契機に再エネを少ない費用で多く入れるという効率性の観点に立ち返ることが重要である。莫大な太陽光の既認定分のうち8割が運転開始に至っていないから、これらの買取価格を切り下げてもよいし、年間導入量に上限を設け入札等の競争原理を導入してもよい。既に認定されてしまった莫大な太陽光は再エネの中で極めて割高であり、ここに投じる国民負担を他の再エネや、コスト低下が見込まれる将来の太陽光に振り向けるほうが、「再エネを最大限導入する」という政策目標にもかなう。現行のFITによる太陽光買取の早急な停止が必要だ。

4月28日の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会長期エネルギー需給見通し小委員会(以下、見通し小委)において、2030年時点で再エネ比率を22~24%とするエネルギーミックス(電力構成比)案が公表された。最大の論点の一つは、どのように太陽光発電の導入と費用負担のバランスをとるのか、より端的に言えば太陽光バブルをいかに収束させるのかであった。

これは2012年7月から実施されている固定価格買取制度(以下、FIT)において、欧州FIT先行国と比べて2~3倍以上も割高な買取価格のもとで、爆発的な導入が進み、費用負担の抑制が大きな課題になっているためだ。

そこで資源エネルギー庁は見通し小委に対して、火力・原子力の燃料費とFIT買取総額を合わせた、いわゆる電力コストを、2013年9.7兆円から5%程度削減し、9.1~9.5兆円にするというロジックを提出した。これは太陽光バブルを収束させるために決定的な役割を果たす。FIT等による再エネの年間買取総額は2030年段階で3.7~4兆円とし、その内訳は、まず地熱・水力・バイオマスの買取総額(約1.0~1.3兆円)を決め、残り2.7兆円の中で太陽光(2.3兆円)、風力(0.42兆円)としている。したがって、特に太陽光バブルによって膨らんだ太陽光の買取総額について、我が国が再エネに支払える総額の中から上限を示したことは評価できる。

そもそもFITとは、再生可能エネルギーによる電力供給を、20年間等の長期に「固定」した価格で、政府が電力会社に買い取りを義務づける制度である。FITに要する費用は賦課金として電気料金に上乗せされ、一般家庭を含めた電力需要家が負担する。現行の導入ペースが継続する場合、太陽光の2030年時点の累積導入設備容量は、2015年2月末時点の導入量である2131万kWの8倍にあたる1億4000万kWに達することが示されており、その買取総額を渡しが試算すると2030年度に6.1兆円に達する。これは今年度の買取総額1.8兆円(標準世帯年額5688円)の3倍以上の規模である。

                              続く

 

参考文献

[1]総合資源エネルギー調査会 省エネルギー・新エネルギー分科会新エネルギー小委員会(第9回、2015年2月3日配付資料)

[2]朝野賢司「太陽光発電等の大量導入により、今後の賦課金負担はいくらになるのか?」『電気新聞』2015/03/09掲載

http://criepi.denken.or.jp/jp/serc/denki/pdf/20150309.pdf

[3]見通し小委における「電力コスト」は、火力・原子力の燃料費とFIT買取総額であり、通常、電力供給に必要なコスト(設備費等)は含まれていない。

[4]地球環境産業技術研究機構(2014), 「電源別発電コストの最新推計と電源代替の費用便益分析」

[5]朝野賢司(2014)「我が国の固定価格買取制度に関する費用負担見通しとその抑制策の検討」、電力中央研究所報告 Y13031.

[6]下記文献では、FITによって再エネの普及やコストダウン等の効果があったとしており、FIT自体の正当性を主張する点は従来と変わらない。ただし、技術的に未成熟だったPVをFIT対象としたことで賦課金が高騰したことを認め、2014年の法改正で導入された上限があればmistakeは避けられたことを公式な場で言及している点では珍しいと思われる。

Poschmann, Andre(2013), German Renewable Energy Policy What can be learned from the German case? driver mistakes challenges, The International Renewable Energy Agency (IRENA) Workshop on Renewable Energy Policies

 


「菅元代表は黙って」

2013年07月06日 | 政治問題

 民主党の細野豪志幹事長は5日、参院選東京選挙区で公認を取り消した無所属候補を、

同党の菅直人元首相が表立って支援していることについて、「元代表は代 表経験者の立場を踏まえて行動していただきたい。

しばらく黙っておいていただきたい」と不快感を示した。都内で記者団に語った。

 

                                       時事通信 7月5日(金)20時7分配信より引用

 

繰り返すが、カンさんは、完全にメッキも剥げ、賞味期限は、2011で切れている。

静かに余生を、送るの事を、望んでいるのは私だけだろうか、

奥方は、最初からそれを公言していたのだから、


橋下氏を公然と批判も…共産に負けた維新、動揺

2013年07月01日 | 政治問題

 参院選の行方を占う東京都議会議員選挙で、都議会最大勢力の民主党が「第4党」に転落したことで、

地方組織に動揺が広がっている。

 日本維新の会も勢力を伸ばせず、党の看板である橋下共同代表を公然と批判する声も出始めた。

 民主の松崎孔・大阪府連常任幹事は「共産党に負けたのは大きな痛手。

野党としての存在感がないとみられている」と肩を落とした。

民主長野県連の倉田竜彦幹事長は「政権批判の受け皿はうちではなく共産党になった」と顔をしかめた。

 34人擁立して2議席どまりだった維新の会では、「慰安婦」「風俗」などを巡る橋下共同代表の一連の発言が尾を引いている。

杉並区選挙区で次男が 落選した、小沢鋭仁衆院議員は「立て直さなければ」と渋い表情。衆院青森県第1支部の

升田世喜男支部長は「橋下、石原の『二枚看板』に頼っていてはダメ。 風頼みだと民主党の二の舞いになってしまう」と語った。

                                                                                                     
                                                                                                (2013年6月26日08時06分  読売新聞)より
 
今からではもう遅い、浪人の団体である。

こえの病は、相変わらず

2013年02月18日 | 政治問題

 

今日も声は、おかしい 皆さん 0120の電話に出てしまった。

「●×会社ですが、奥様ですか」違いますと答えると

今度は「御爺ちゃんですか」と予期せぬ問いに、小生、あが、切れた

我が頭の辞書は5、6ページその中の数少ない回答は

5年前に亡くなった爺さんだ、その返答は「そうですか、またかけます」

それじゃー次は、娑婆はさみーから土の中に今度はかけてくんないと答えた。

今日は、講談社から出ている五木寛之の「こころの新書」シリーズなどの古本を読んですごした、

きわめて記憶能力の低い小生は「こころの新書」シリーズ実はもう二桁近く読み返しているのだ。

いわゆる陶片僕なのです、本人が自覚しているのだから間違いない


そのシリーズの中の「サンカの民と被差別の世界」は実に興味深い

これは小説ではなく、ジャンルとしては、エッセイないしは著者自らのフィールドワークによる学術的レポートと呼んで差し支えない本である。

レポートの内容は、タイトルが示すように、サンカその他の、日本のマイノリティについてである。

この本を読めば、日本が単一民族国家であるとか、自分が普段送っている市民生活が、日本という国のすべてだなどと、

ゆめ思ってはならないことを思い知らされる。

例えば、家船(エブネ)である。

瀬戸内海には「家船(えぶね)」と言って、船を家とする人たちがいたらしい。旧正月には母港に集まる。その写真も載っているが壮観である。
東南アジアの一部に、川や海に船を浮かべ、その中で生活する水上生活者がいるが、昭和の時代まで、日本にも家船と呼ばれる水上生活者がいたことは、ほとんど知られていない。

サンカが山の民だとすれば、家船は海の民なのである。

その後、義務教育が始まると、彼らの子どものための学寮が陸上に作られたと言う。ある学寮では、

昭和38年のピーク時には在籍者が150名にも達したそうだが、昭和58年には閉鎖された。しかし、

豊浜にだけは今も学寮が残っているという

「サンカの民と被差別の世界」によると、家船らは船上で生まれ、ほとんど一生を船上で過ごし、必要とあらば沖にもどんどん出て行く。
定まった住所がないため、第二次世界大戦中も赤紙の届きようがなく、戦争の影響も受けなかったのだ。

しかし、昭和27年、全ての国民に住民票登録が義務付けられ、その人々は陸に上がり定住することを強いられたが、

定住後は、文盲であったことや、習慣の相違から差別もあった。
彼らにしてみれば、迷惑な話だっただろう。ある日突然、戸籍や住民票をあてがわれ、先祖代々の生活を全否定され、無理矢理日本国民にされても訳がわからなかったに違いない。
彼らはただの「人間」として生きていただけで、国家への帰属意識などなかっただろう。
そういえば、アイヌやイヌイットも「人間」という意味だった。
国家が近代化するためには、どうしても全体主義にならざるを得ないが、地球上の全ての人間が、定住し、戸籍や住民票を作らされ、徴兵・納税・義務教育をさせられることに向いている訳ではない。

中には先祖代々、そういう生活とは違うライフスタイルを守ってきた人々もいるのだ。
本来それは、優劣や善悪の問題ではなく、ライフスタイルの相違に過ぎない問題だったはずだ。
しかし、国家発展の過程はそのまま、国家の方針と相容れない「まつろわぬ人々」を従わせ、国民としての義務を負わせて来た歴史でもある。

そうした義務の反面、人権問題や、マイノリティの精神的文化遺産を守ることは考慮されて来なかった。

社会が成熟して来た今だからこそ、そうした問題を見直し、マイノリティの子孫が、自らの先祖や出自に誇りが持てるようにすべきである。

例えば、マイノリティが自分達の伝統文化を学びたいと希望した場合、そのための助成金、奨学金を国が負担すべきではないだろうか。
無論、おかしな利権問題とは別次元の話だが。
「サンカの民と被差別の世界」の中で、五木寛之は次のように書いている。

「この列島のなかを、あたかもリンパ球や血球のように流動する人びとが存在する、というイメージをずっと抱いてきた。定住民のあいだを非定住民が漂泊し、流動することによって、日本列島の文化というものはいつも活性化されつづける」
全く同じ価値観、全く同じ生活様式の人しかいなければ、国家に刺激はない。

植物が虫や鳥の力で受粉・果結するように、別の存在からの刺激を受けないと、文化は成熟しない。

沖浦和光氏は、サンカ研究の難しさについて、以下のようにまとめています。

 朝廷や幕府が編纂した正史だけではなく、民間の伝承を綴った稗史にも、「サンカ」の名は見えない。辺鄙な地方に散在していたので、王朝貴族や権門寺社の記録に出てこないと解することもできる。しかし、古代・中世以来の由緒がある集団ならば、どこかにその痕跡が残っているはずだ。

 特定の集団の歴史を調べる場合に、最も重要な手がかりになるのは、その集団の内部で書き残された記録であり、それを補う口碑と伝承である。

 サンカは、無文字社会で生きていたから記録を残さなかったとしても、長い歴史がある集団ならば、口から口へと伝えられた口碑を残したはずだ。ところが、それもない。かつてあった物が、なにかの事情で失われたわけではない。はじめから内部資料は全く残されていないのだ。

古代や中世の文献から「サンカ」の当字らしき漢語を探索して、その名辞でもって起源論を展開してみても

徒労に終わるだけだ。その生活や民族の実態を考察することなしに、呼称にこだわって論じても、その歴史

を解明できないことは目に見えている。

「サンカ」の起源とその歴史を明らかにするためには、とりあえず正確な「サンカ民俗誌」が編まれなければ

ならない。歴史記録がないならば、この民族誌がサンカの実像を明らかにする大きい手掛かりになる。

 しかし、その姿も1950年代後半には見えなくなったので、もはや新しい鍬でもってサンカ民俗の土壌を鋤き直すことはむつかしい。

 確かな資料が集積されないままにサンカについて語ろうとすると、どうしても推定による資料操作になって

しまう。その典型的な例が、三角寛の博士論文『サンカ社会の研究』であった。これなどは腕利きの新聞記者の勘と想像力豊かな小説家

資質がないまぜになって、「サンカ」社会を壮大な仮構の世界として築き上げてしまった好例である。

 柳田國男のように古代からの先住民の末裔だという説もあったが、著者は江戸時代のたび重なる飢饉から逃れて山中に生計の道を探さざるをえなかった人たちがサンカの起源になったとみなしている。天明や天保の飢饉があいついで、餓死者が数多く出る荒廃した幕末期にそのような山中に活路を見出す人たちがあらわれたと考えている。民に関わりがあるところなど、零細的なかわいそうな印象のほうが強い思いがした。

 戦後の「寅さん」の放浪であるとか山下清の放浪などのフィクション物語は人びとの憧れを誘ったものである。松本清張『砂の器』のような零落した放浪もかすかな憧憬を駆り立てる。社会の硬直化や閉塞状況が強くなるたびにそのような思いが強くなる。近代化の国家主義の時代において、や民に近かった零細の民は、都市民の過大なる憧憬やロマンを駆り立てて、

「大いなる虚像」とてつくりあげられていったのだろうと私は思う。 

サンカについては沖浦和光氏の『幻の漂泊民サンカ』以上のことは、あまり書いてなかった。

数冊より引用していますので解りにくい点が有りますが、文学的表現極めて低いのでご了承願います。

なを、特定の人を対象にしておりませんが、表現に誤解が有りましたらはお許しください。

                                                                        つづく

 


我が国は国際的には小学生

2012年08月28日 | 政治問題

中国で丹羽大使が乗った公用車に付けてあった日本の国旗が奪われたことは、

現在の両国の状況下では、前後に警護車両を付けることは国際的には常識で

外務省膨大な予算からすれば十お分可能であり、かつ不可欠ですし

外国の大使館などの職員の安全を保護する事は国際法上認めており

中国側が警備を黙認した可能性は十分あり得ます。

逆のケースであれば、中国側は対し大使召還、大使館一時閉鎖の声明を出すでしょう。

米国なら反撃的行動必需です。

また、我が国の大使公用車は、攻撃に対しては、防弾ガラスのみ取り付けてありますが

その他は、一般車とほとんど変わりませんその上、防弾ガラスの拳銃程度は効果は

有りますが、短機関銃{イスラエル製UZI}程度の女性用ブランドバッグ入る程度の大きさの銃でも

タイヤは勿論、車体、防弾ガラスも貫通してしまいます。

話は少し変わりますが、平成22年9月の中国船銃撃事件の時も、

海上保安庁の巡視艇は貫通しましたね。

尖閣諸島の所有者男性は島を誰もが訪れることができる、自然公園などとして活用することを希望しているという。
両者を仲介した自民党の山東昭子参院議員(69)が明らかにした。

登記簿などによると、男性は埼玉県在住で、昭和45年から不動産賃貸・管理などの会社を経営している。

山東議員によると、男性は平成22年9月の中国漁船衝突事件で、民主党政権の対応に不満や不安を覚えたという。
男性は「国を守るために所有し続けてきたが、個人で守っていくのは限界がある」とし、青年会議所の活動を通じて30年来の親交があった山東議員に今後の対応を相談した。

男性は山東議員の紹介で石原知事と面会。昨年9月から数回にわたり3人で会合を持ったという。
また、イラクでの外務省職員の殉職事件がある。帰ってきた車は車高が高いにも関わらず、斜め上から射撃され、銃弾は床を貫いていたといわれている。つまり高い位置から狙撃された。並行して走行してランクルよりも高い位置から射撃可能な車種は軍用装甲車両しかないと当時週刊誌が書いていた。飛行機で到着して下ろしたときにはシートがかけられて車の映像は一切表に出なかった。その週刊誌にはシートがかけられたまま飛行機から降ろされた車のスナップ写真が載っていた。真実はこうして闇に葬られた。米軍からは一切情報が洩れてこなかった、見事な情報統制だったといえるだろう。
 このような隠蔽はなんらかの事情を隠すために行われる。