アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

外交官アーネスト・サトウの日本における業績 4 伊勢崎市との関わり2

2017年06月02日 | Weblog

アーネスト・サトウの調査経過

 大室出土遺物以後の大室村では、毎日数百人の見物人が集まり大騒ぎになったらしい、

群馬県立文書館の根岸家文書にみえる「古墳神器拝礼人名誌」によれば、

1878年4月10日から1879年6月2日までの間に見学に訪れた人数はなんと

5179人に及び、県外では関東地方を中心として,遠くは滋賀県,愛知県,石川県からも見に来たことが記載されている。

さらに,天覧や宮内省提出ということが、拍車をかけ,ついには,東京に居たサトウの耳にも入ったものと

推定される。

出土遺物を実際に目の当たりにしたいと思い,1880年に前橋の大室を      

訪れている。

「サトウ日記」では,3月6日に江戸を加藤竹斎という画家と、従者とともに発ち、

その日は熊谷の先で中山道から北に折れ,利根川畔の中瀬(現深谷市中瀬)で宿をとっている。

その後の足取りは不明であるが,おそらく境町から伊勢崎あたりに出る行程をとり,3月7日の12時20分前に前橋に到着。油屋旅館で休憩している。そこで沖と長谷川に会っている。

「日記」では,沖とは9年前に知り合ったと記していることから,サトウが再来日した1870年の翌年に,東京の公使館勤務をしていた当時に初めて知り合ったものと思われる。

                              つづく



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