このブログに、お越しいただいた方には、初めての呼び名と思います。
煮ぼうとうを、初めて耳にする方が殆んどおもいます。
江戸時代、上州は地域により管轄が、諸大名、諸寺社、幕府領、旗本領など複雑に管理されていました、
旧新田郡尾島町には津軽藩の飛び地があり、徳川家発祥の地、及び東照宮も有
実に複雑に領地が分かれたおり
多くは特に伊勢崎藩領地は水田が少なく土地も痩せていた為
粟、稗を主食としていましたが、小麦の作付も有り、明治以降、県の農林試験場の麦の改良も
進み、上州ならではの小麦が作られ、昭和に入り小麦粉の主食が多くなり
女性は、機織りとめんこ「手打ちうどん」それに針仕事「銘仙などの和服を仕立てる」ことが嫁入りの必修で、お嫁さんは、短時間で夕食を作る必要がありましたので、少し柔らかめにこねて打ち粉ごと
季節の野菜を醤油で煮込んだ汁に入れ食べていました。
「煮ぼうとう」と表現するところは少なく、地域により「煮ぼうと」とも表現いたしますが現在では
おっ切り込みとして、スーパーで販売されておりますが、茹で上げた太めのうどんをおっ切り込みとして
販売していますが、食塩が多く野菜も高いため、単なる煮込みうどんを店では「おっ切り込み」として
メニューにしているのが現状ですが、語源は、切り込んですぐ煮込むのが語源の一つです。
煮ぼうとう又は煮ぼうとは、甲州のほうとうの味噌の代りに醤油で煮込んで、棒の様に太い
「幅広い」麺を、沸騰した汁に煮込んだ説も
いずれにしても、柔らかく練りこんだ麺は、麺切をして直ちに見込まないと麺がばらけないで、
1本棒になるのは事実です。
上州人は胴長で腸も長く、野菜を食するのに適した体系です。
すいとん、つめりっこの区別が判る方も少なくなりましたね。