明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

母の思い出、または人間の生死について

2020-02-15 20:07:51 | 今日の話題
私の母は平成三年に亡くなった。離れて住んでいたので死に目には会えず、誰にも看取られないままあの世に旅立ったのは返す返すも親不孝である。まだまだ元気で病気もせず、死ぬなんて思いもよらなかった。年から言えば十分あり得たとも言えた年齢ではあったがしかし、まだ平均寿命より若いのだから油断してもしょうがないと自分には言い訳している。それで今日する話は最愛の母を失った悲しい話ではなく、魂などまるきり信じていない私の「奇妙な体験」の話である。

実はその週の火曜日か水曜日、私は母が床の上に横たわって死んでいる夢を見た。いままで生まれてからこのかた、一度も夢に母が出てくることなどなかったので「何だか胸騒ぎ」がして、実家に電話をかけたが出てこない。その日はお得意さんの展示会に参加していたが昼休みにも電話をし、夜にも電話を掛けてみたが返事はなかった。それで私は片付けもそこそこに調布の実家へと急いだのだった。調布の駅を降り実家まで歩いて行き、家が近づくにつれて心臓の鼓動が早くなる。玄関のドアのガラス窓を無理やり壊して鍵をあけ、やっと入った時私の母は、ソファに持たれて静かに息を引き取っていた。

その安らかな死に顔をみながら私は「母の魂が夢に出て来て、教えてくれた」と思っていた。夢に出てきたのは後にも先にもこの時の一度切りである。元々霊感など無い私は幽霊やその類の出来事とは無縁であったが、いわゆる「虫の知らせ」が実際に起きたことは絶対に間違いがない。但し、布団に臥せって白い布を顔にかけられているとか、三途の川で船に乗り手招きするとかのドラマチックなシチュエーションではなく、顔もよく見えない足元からの映像だったのが残念である。それでも何故か一瞬で母だと分かった。母の魂は自分が亡くなったことを私に知らせてくれたのである。これは人間が本来は魂の存在であり、己の肉体を借りて現世の苦しい生活を過ごした後に幽体離脱して、親しい家族のもとに最後の別れをしに「夢に出る」という「あれ」かも知れない。

母は生前、先に亡くなった父の亡霊が階段を上がってきて「わしはここにいるぞ」と言った、という話をしてくれた(部屋には入らなかったそうである)。父に連れられて行ったところは三途の川べりにある広大な場所で、亡くなった物は皆似たような白い死装束に身を包み、自分が呼び出される順番を待って横たわっているという。その順番待ちの亡骸が、遥か彼方まで芒洋と続いている風景を見た母は、父に「まだ随分かかるんですね」と言ったんだ、と楽しそうに語っていた。まるで母にとってはその出来事が何の不思議もない事であり、むしろ亡くなった父が「わざわざ出てきて自分に近況を教えてくれた」ことが嬉しくてならないようだった。

私の場合はまだ孝行が足りないのか、夜2階で寝ていると「母が同じように階段を上がってきた」までは良かったのだが、「○○○(私の名前)、何処にいるの?」と言って、それっきり二度と現れなかったのである。もう少し何か言って欲しかったが、それは叶わなかった。これが葬式前のことなのかそれとも墓に埋葬して後のことなのか、定かには記憶していない、全く覚えていないのだ。現世に生きる仮の姿である肉体を脱ぎ捨て、弥陀の待つ西方浄土に向かう前の一瞬の名残りか、それとも肉体が焼かれる前の今生の別れなのか、どちらかを見定める絶好のチャンスだったのだが、一生の不覚である。私が経験したのはこの2件だけだった。

早くに亡くなった姉は生前、夢に父が出てきて「とあるデパートのエスカレーターの上に立って、こっちへこい」と手招きしているのよ、と母に話したそうだ。母は真顔で「行っちゃダメだよ、絶対だよ、わかった?」と言い聞かしていたが、病床で姉はケラケラ笑っていたそうだ。その姉も今はいない。さてそうなると、亡くなってから何年も立っている父が出てきて手招きしたことになるから、魂は肉体を離れた後に「別個の生命体として、ずっと存在し続ける」ことになるのだが、本当だろうか?

私は自分の体験のみを信じるので、姉の話は「脳内の似たような記憶が蘇っただけ」だろうと解釈している。第一、エスカレーターと言い、上から手招きする父と言い、余りにも現実的すぎるではないか。それに比べて私の夢は「私の記憶の何処にもない映像」で、暗い場所に横たわる母の姿など「想像すら出来なかった」のである。だからといって事実だと主張するつもりはないが、人間が死んで一定の間は霊魂が浮遊し、生きている者と通信できる状態が「多少ともある」という風に今は考えている。だがそれが真実なら、殺人事件の被害者などは間違いなく恨みを呑んで死んでいくわけだから、夫や妻または子供達の夢に出てきて「せめて犯人の名前ぐらいはチクってもいい」のじゃないかと思うのだが、現実はどうもそうじゃないらしい。

何れにしてもこれは生死に関わる問題だから、次に体験するとしたら「私が死にそうになった時か、あるいは死んだ後」である。私の親族は弟が2人だが、どちらも霊感とは無縁の俗人で、「悲しみに泣き崩れる」などということにはなりそうもないので、私が「はたして夢に出られるかどうか」心もとない。まあ、きっと久しぶりに母が出てきて、慈愛に満ちた微笑みで「あの世」へと導いてくれるとは思うのだが。

とにかく「魂」はあるにしても肉体が滅んでからしばらくの間で、最後には跡形もなく消滅して「無」に帰す、というのが私の信条である。そうでなければ人間が生まれ変わって、輪廻転生新しい人格になって「再び人生を謳歌する」って言う夢みたいな話がオジャンになってしまう。死んだ後、生まれ変わって再びこの現世に舞い戻ってくるって考え、私は最高だと思うけど「本当のところ」はどうなんかね。まあ、死んだら分かるだろうけど。

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