茨城の煽り運転加害者にワイドショーが飛びついている。この宮崎文夫容疑者と喜本奈津子容疑者、実に不愉快な反社会的トラブルメーカーだが、この手の連中を社会から一掃する方法は何か無いかと考えた。勿論何らかの犯罪または違反行為をしなければ捕まえることは出来ないのだが。なんにせよ、こいつらは金に困っているわけではなく、性格的に年中トラブルをまき散らして人々に恐怖と不快の念を抱かせながら生きている「社会に潜む癌」のような存在なのだ。我々市井の一般人はどの様に対処すれば良いのか、そこを考えてみる。まずは法律の改正である。
1、あおり運転罪を即刻新設する(というか、まだ出来ないの?というのが我々の本心であり、怒りである。国会議員は高い給料もらっていて、一体何をしているのか。猛省すべきだ!)
一般道と高速道では罪の構成要件が異なるが、車を使って他人に恐怖を与えた場合、説諭から30年までの罰則・実刑が与えられる。刑期の違いは「実際の被害の程度」によるものとする。何故、説諭放免と30年との刑期の違いがあるかと言うと、煽り運転の原因は「なめた真似すんじゃねぇぞ、コノヤロー!」という反社会的感情であるから、実害がないと言っても罪は根深いのである。それで何らかの被害がないと逮捕できないという刑法の基本を変更し、ヤクザや半グレやその類の連中の得意とする「威嚇行動」を、「反社会的という罪」で刑法摘要の道を開くことが大事ではないだろうか。とにかく宮崎文夫のような人間を野放しにしておくわけにはいかないのである(喜本奈津子も同罪)。
で、逮捕するとして、その先が問題だ。現在の法律では道交法違反と威嚇暴行傷害の罪だが、初犯であれば執行猶予付きの軽い刑と免許停止とかの「さしたる罰」にならずに社会に放免されてしまう。そこで私は次の手を考える。
2、懲役刑の見直し
刑法を変更して、逮捕され裁判にかけられて罪を犯したことが確定した者は、刑に服す前にまず「犯した罪を反省」しなければならない、とするのだ。この反省作業は「専門心理カウンセラー」が担当し、心理学者と協同のうえ判断して「医学的見地から」反省の度合いを評価するのである。ここで反省していると認められた場合には「刑期終了放免ではなく、そこから刑期が始まる」こととする。
2、反省しないと刑期が始まらない
もし宮崎文夫が6ヶ月の実刑で結審したとすると、「己の罪を心底悔い改めれば」6ヶ月の実刑終了後に刑務所を出られる。だが全然反省の色がないと判断された場合「最長30年」の反省期間が課せられるのだ。実に名案ではないだろうか(自画自賛)。
3、再犯者への懲罰的追加刑
一度犯罪を犯したものは、「反省した上で」刑期を全うして刑務所を出てくる。しかしそれでもまた罪を犯してしまう人間がいる。そこで各人のマイナンバーに「犯罪歴」を記載しておき、「再犯者」にたいしては「重加算罪」を与えるのだ。つまり反省が効いていないということである。十分反省し、罪を償ったつもりで社会復帰しているのに又罪を犯す犯罪者に対しては、初回の対応と「全然違う更生プログラム」が必要になる。つまり、罪を犯してしまう精神的社会的要因を徹底的に解明し、「人格改造ぐらいの勢い」で対処しなければ社会が納得しないであろう。勿論、本来の刑と別個の重加算罪は、5年から30年くらいの重い刑である。
4、基本的人権の停止
今回のあおり運転は、免許は取り消しになるが「一定期間の後にまた再取得が可能である」点、法整備の盲点が指摘されている。ここはまず「反省の内容を吟味」することから始めるのが大前提として、自分が「車に乗ると人格が変わる性格」で煽り運転を犯したのそのせいである、と真摯に反省し刑期を終了した場合は(当然、被害者にも心から謝罪するのだが)、免許をもう一度与えてもよいだろう。但しその場合の免許は「社会生活に必要な最低限の免許」とし、スポーツカーやキャンピングカーなどドライブの楽しさを目的とする車や、周りを走るドライバーを威嚇するような高級車などには乗ることが出来ず、軽トラックのような「カッコ悪い軽自動車」しか運転できないものとする。つまり一回煽り運転をしてしまえば、普通の人の乗る「一般免許」は取得できないよう制限されるということである。これは生涯回復できないものとする(厳しいようだが、人生とは」そういうものである)。
5、免許の問題を根本的に解決する
よく「田舎で免許がないと生きていけない」という意見を聞く。しかし、そんな人のために「もらい事故」にあって人生を台無しにしていい、とは言えないのではないだろうか。生活が出来ないと言われると困るが、そうかと言って事故も怖いし、という人のために、私は以前に「電動4輪自転車」を提案した。日本人が何処まで真剣にこの問題を受け取っているかは分からないが、奈良に移住する計画を立てている私としてみれば、切実な問題である。残り少ないとはいっても私の命だから、同じ死ぬんでも「痛いのは御免」なのだ。認知症老人のアクセル踏み間違い事故から我が身を守るためにも、早くこの「電動4輪自転車」を製作・発売してくれないかな、というのが私の願いでもあるのだが・・・。実際乗ってみれば便利だと思うんだがねぇ。
さて、これからはオマケの話
通常の生活行動を逸脱した反社会的行動の罪というのも「新しく刑法に加える」たらどうだろう、というのもついでに提案したい。例えば、繁華街や夜道でやたらと絡んでくる「危険な人間・怖い人間・危ない人間・集団で威嚇してくる人間」などは、即座に「市民安全隊」が対応して通常生活行動とはどういう行動を指し、あなたの場合は「カクカクシカジカでちょっと逸脱してますよ」と優しく反省を促すのである。本人が反省すれば良し、反省しなくて口論になるようだったら「意見交換・議論の場」を設けて白黒つける、ものとするのだ。ちゃんと理由があれば双方納得である。しかし大概「大したこと無いのにイチャモンつける連中」だから、あれこれ文句言っても全く無駄である。それで、もし暴行・傷害などの罪を犯せば「警察が対応」する(実はこれを待っているのだが、頭に悪い連中は気がつかない)。要は犯罪の芽を事前に潰すことが求められるのだ。
で、結局は「目立ちたがり屋」と「粋がっている奴」と「怖がられたい輩」がいて、コイツラの楽しみは「他人が眉をひそめれば潜めるほど」楽しいのだからタチが悪い。それを法律で裁くのは警察権力の暴走につながるから、市民の対応で「裏に隠された不平不満」を取り除いて、「平凡な人生の喜び」を教えるのが良いと思う。まあ、それでダメなら「生粋の犯罪者グループ」ということで、好きなだけ刑務所に行ってもらうしかないだろう。
以上、私の考えをサラリと述べてみた。宮崎文夫と喜本奈津子の二人には「徹底した反省」を求めたい。まあ、本人が「生まれついての性格だから簡単に治らない」というのであれば、ずっと刑務所にいれておくしかないであろう。このような場合に「反省が出来なければ刑期を始められない」とするシステムが「有効」なのである。罪は悔い改めてこそ許される。反省なき刑罰は、本人たちに「仕返しのチャンスを用意する」だけなのだ(名言!)。では、宮崎文夫は反省するのか?。何をどう反省すれば反省したと言えるのかというと、それは宮崎文夫しか分からないことだと思うが、反省するには原因と対策を考えるだけの「それ相応の頭」がいるのである。宮崎文夫は頭が良いそうだから、意外と「しおらしく反省したり」して・・・。
私としては、下世話な興味もあって「宮崎文夫の反省文」というのも読んでみたい気がするのだが、無理かなぁ・・。期待しちゃうんだけど。
1、あおり運転罪を即刻新設する(というか、まだ出来ないの?というのが我々の本心であり、怒りである。国会議員は高い給料もらっていて、一体何をしているのか。猛省すべきだ!)
一般道と高速道では罪の構成要件が異なるが、車を使って他人に恐怖を与えた場合、説諭から30年までの罰則・実刑が与えられる。刑期の違いは「実際の被害の程度」によるものとする。何故、説諭放免と30年との刑期の違いがあるかと言うと、煽り運転の原因は「なめた真似すんじゃねぇぞ、コノヤロー!」という反社会的感情であるから、実害がないと言っても罪は根深いのである。それで何らかの被害がないと逮捕できないという刑法の基本を変更し、ヤクザや半グレやその類の連中の得意とする「威嚇行動」を、「反社会的という罪」で刑法摘要の道を開くことが大事ではないだろうか。とにかく宮崎文夫のような人間を野放しにしておくわけにはいかないのである(喜本奈津子も同罪)。
で、逮捕するとして、その先が問題だ。現在の法律では道交法違反と威嚇暴行傷害の罪だが、初犯であれば執行猶予付きの軽い刑と免許停止とかの「さしたる罰」にならずに社会に放免されてしまう。そこで私は次の手を考える。
2、懲役刑の見直し
刑法を変更して、逮捕され裁判にかけられて罪を犯したことが確定した者は、刑に服す前にまず「犯した罪を反省」しなければならない、とするのだ。この反省作業は「専門心理カウンセラー」が担当し、心理学者と協同のうえ判断して「医学的見地から」反省の度合いを評価するのである。ここで反省していると認められた場合には「刑期終了放免ではなく、そこから刑期が始まる」こととする。
2、反省しないと刑期が始まらない
もし宮崎文夫が6ヶ月の実刑で結審したとすると、「己の罪を心底悔い改めれば」6ヶ月の実刑終了後に刑務所を出られる。だが全然反省の色がないと判断された場合「最長30年」の反省期間が課せられるのだ。実に名案ではないだろうか(自画自賛)。
3、再犯者への懲罰的追加刑
一度犯罪を犯したものは、「反省した上で」刑期を全うして刑務所を出てくる。しかしそれでもまた罪を犯してしまう人間がいる。そこで各人のマイナンバーに「犯罪歴」を記載しておき、「再犯者」にたいしては「重加算罪」を与えるのだ。つまり反省が効いていないということである。十分反省し、罪を償ったつもりで社会復帰しているのに又罪を犯す犯罪者に対しては、初回の対応と「全然違う更生プログラム」が必要になる。つまり、罪を犯してしまう精神的社会的要因を徹底的に解明し、「人格改造ぐらいの勢い」で対処しなければ社会が納得しないであろう。勿論、本来の刑と別個の重加算罪は、5年から30年くらいの重い刑である。
4、基本的人権の停止
今回のあおり運転は、免許は取り消しになるが「一定期間の後にまた再取得が可能である」点、法整備の盲点が指摘されている。ここはまず「反省の内容を吟味」することから始めるのが大前提として、自分が「車に乗ると人格が変わる性格」で煽り運転を犯したのそのせいである、と真摯に反省し刑期を終了した場合は(当然、被害者にも心から謝罪するのだが)、免許をもう一度与えてもよいだろう。但しその場合の免許は「社会生活に必要な最低限の免許」とし、スポーツカーやキャンピングカーなどドライブの楽しさを目的とする車や、周りを走るドライバーを威嚇するような高級車などには乗ることが出来ず、軽トラックのような「カッコ悪い軽自動車」しか運転できないものとする。つまり一回煽り運転をしてしまえば、普通の人の乗る「一般免許」は取得できないよう制限されるということである。これは生涯回復できないものとする(厳しいようだが、人生とは」そういうものである)。
5、免許の問題を根本的に解決する
よく「田舎で免許がないと生きていけない」という意見を聞く。しかし、そんな人のために「もらい事故」にあって人生を台無しにしていい、とは言えないのではないだろうか。生活が出来ないと言われると困るが、そうかと言って事故も怖いし、という人のために、私は以前に「電動4輪自転車」を提案した。日本人が何処まで真剣にこの問題を受け取っているかは分からないが、奈良に移住する計画を立てている私としてみれば、切実な問題である。残り少ないとはいっても私の命だから、同じ死ぬんでも「痛いのは御免」なのだ。認知症老人のアクセル踏み間違い事故から我が身を守るためにも、早くこの「電動4輪自転車」を製作・発売してくれないかな、というのが私の願いでもあるのだが・・・。実際乗ってみれば便利だと思うんだがねぇ。
さて、これからはオマケの話
通常の生活行動を逸脱した反社会的行動の罪というのも「新しく刑法に加える」たらどうだろう、というのもついでに提案したい。例えば、繁華街や夜道でやたらと絡んでくる「危険な人間・怖い人間・危ない人間・集団で威嚇してくる人間」などは、即座に「市民安全隊」が対応して通常生活行動とはどういう行動を指し、あなたの場合は「カクカクシカジカでちょっと逸脱してますよ」と優しく反省を促すのである。本人が反省すれば良し、反省しなくて口論になるようだったら「意見交換・議論の場」を設けて白黒つける、ものとするのだ。ちゃんと理由があれば双方納得である。しかし大概「大したこと無いのにイチャモンつける連中」だから、あれこれ文句言っても全く無駄である。それで、もし暴行・傷害などの罪を犯せば「警察が対応」する(実はこれを待っているのだが、頭に悪い連中は気がつかない)。要は犯罪の芽を事前に潰すことが求められるのだ。
で、結局は「目立ちたがり屋」と「粋がっている奴」と「怖がられたい輩」がいて、コイツラの楽しみは「他人が眉をひそめれば潜めるほど」楽しいのだからタチが悪い。それを法律で裁くのは警察権力の暴走につながるから、市民の対応で「裏に隠された不平不満」を取り除いて、「平凡な人生の喜び」を教えるのが良いと思う。まあ、それでダメなら「生粋の犯罪者グループ」ということで、好きなだけ刑務所に行ってもらうしかないだろう。
以上、私の考えをサラリと述べてみた。宮崎文夫と喜本奈津子の二人には「徹底した反省」を求めたい。まあ、本人が「生まれついての性格だから簡単に治らない」というのであれば、ずっと刑務所にいれておくしかないであろう。このような場合に「反省が出来なければ刑期を始められない」とするシステムが「有効」なのである。罪は悔い改めてこそ許される。反省なき刑罰は、本人たちに「仕返しのチャンスを用意する」だけなのだ(名言!)。では、宮崎文夫は反省するのか?。何をどう反省すれば反省したと言えるのかというと、それは宮崎文夫しか分からないことだと思うが、反省するには原因と対策を考えるだけの「それ相応の頭」がいるのである。宮崎文夫は頭が良いそうだから、意外と「しおらしく反省したり」して・・・。
私としては、下世話な興味もあって「宮崎文夫の反省文」というのも読んでみたい気がするのだが、無理かなぁ・・。期待しちゃうんだけど。
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