旅は発見の緩やかな連続だと思う。テレビで初めて見る不思議な風景、次々と変わる驚きの景色に目を見張る時間は、まるで自分が旅してるようで楽しい。僕は富士山を描いた絵よりむしろ、セザンヌのサント=ヴィクトワール山の絵の方が好きなのである。風景は、変に有名な名前など無い方が良い。
例えば目の前にある景色が美しいと感じるには、僕はまだまだ美的感受性が足りないのだろうか。静かだとか何処までも平らだとか密集しているとか、そう言うストレートな表現しか出てこない。ただ、今はまだそれで良いかな。風景をあるがままに受け入れたい。だから実は景色は何処でも良かったりする、何処か未知なる場所であるということが大事だったりする
だから僕はテレビの旅番組が好きだ。最近特に鉄道をメインにした旅番組が楽しい。
例えばBSの「鉄道一人旅」。ダーリンハニーの吉川がMCを勤める鉄道番組。地方のローカル線の電車にひたすら乗りまくるだけの番組だが、これが実に雰囲気が出ていて楽しい。ここで肝心なのは同行者で、同じ景色が面白くも詰まらなくもなる道づれは、番組としては風景以上に大事である。いや、むしろ風景なんかどうでも良く感じることがある。三宅裕司の「ふるさと探訪」はそんな番組。ーーいや、これはテイストが違う、故郷を笑い飛ばしてペーソスと人情を誘う番組、これはお笑いだーー。
旅番組の楽しさは、やはり人の温もりかも。どんな景色も、そこに人が住んで生活をしている事で活き活きと感じられる。本当は風景より人なのじゃないかな、僕はそう感じる。広々とした畑も、それを耕して収入を得ている人がいてこそ、美しく見えてくる。
火野正平の「にっぽん縦断 こころ旅」は、自転車で巡る日本の風景というコンセプトにジンワリとさせる想い出を重ねた、なかなか独創的な番組である。これも火野正平という人間がいて成り立つ番組である。
鉄道も自転車も僕の大好きな旅の友達とおもっている。だけど車はどうなんだろう。車は、まだそれほどまでには僕の身体の一部になってない。それはもしかして風を感じないから又は、風景と自分との間にドアがあるから、なのかもしれない。
この先、僕は旅番組をしばらく見つづける事になるだろうけど、それはいつまで続くのかな。
そして、僕自身が旅を始めるのはいつになるのか、ーーー。
例えば目の前にある景色が美しいと感じるには、僕はまだまだ美的感受性が足りないのだろうか。静かだとか何処までも平らだとか密集しているとか、そう言うストレートな表現しか出てこない。ただ、今はまだそれで良いかな。風景をあるがままに受け入れたい。だから実は景色は何処でも良かったりする、何処か未知なる場所であるということが大事だったりする
だから僕はテレビの旅番組が好きだ。最近特に鉄道をメインにした旅番組が楽しい。
例えばBSの「鉄道一人旅」。ダーリンハニーの吉川がMCを勤める鉄道番組。地方のローカル線の電車にひたすら乗りまくるだけの番組だが、これが実に雰囲気が出ていて楽しい。ここで肝心なのは同行者で、同じ景色が面白くも詰まらなくもなる道づれは、番組としては風景以上に大事である。いや、むしろ風景なんかどうでも良く感じることがある。三宅裕司の「ふるさと探訪」はそんな番組。ーーいや、これはテイストが違う、故郷を笑い飛ばしてペーソスと人情を誘う番組、これはお笑いだーー。
旅番組の楽しさは、やはり人の温もりかも。どんな景色も、そこに人が住んで生活をしている事で活き活きと感じられる。本当は風景より人なのじゃないかな、僕はそう感じる。広々とした畑も、それを耕して収入を得ている人がいてこそ、美しく見えてくる。
火野正平の「にっぽん縦断 こころ旅」は、自転車で巡る日本の風景というコンセプトにジンワリとさせる想い出を重ねた、なかなか独創的な番組である。これも火野正平という人間がいて成り立つ番組である。
鉄道も自転車も僕の大好きな旅の友達とおもっている。だけど車はどうなんだろう。車は、まだそれほどまでには僕の身体の一部になってない。それはもしかして風を感じないから又は、風景と自分との間にドアがあるから、なのかもしれない。
この先、僕は旅番組をしばらく見つづける事になるだろうけど、それはいつまで続くのかな。
そして、僕自身が旅を始めるのはいつになるのか、ーーー。
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