昔、日本人の戦時中の精神状態に関心があったので、ノモンハンやインパールなどの記録を集中して読んだことがあった。これは「山本七平」を愛読した時期でもある。これについては最近のニュースで感じたことだが、この頃に読んだ「日本人の戦時中の現実無視・現場無視の体質」が、70年も経った今でも「全然変わってない」ということである。厚労省を始めとする官僚達のウィルス対処方法が、状況の変化に全く対応できず「過ちを認めることが出来ない硬直した体質」のために、更に過ちを重ねる失策を連発しているように私には思える。
結局日本人は、全ての悪いことを「誰が悪かったのか」という形で「決着する」のである。何か受け入れがたい事故・事件が発生すると、必ず最後は「誰かが悪い対応をした結果」だと思うのだ。そして、「誰かを悪者にする」ことで事件を決着したがる傾向があるのだ。前回の大戦時は軍部、とくに陸軍大本営と参謀部に批判が集中し、結局「東条英機」がその責任を一身に背負って無念の絞首台に登った。それで総括が行われ、日本国民はアジアへの極悪な加害者から一転、むしろ「東条英機など軍部の一方的独走に翻弄された被害者だ」ということで、国民は「罪の意識」から開放されたのである。この決着の付け方については、いまだに韓国や中国から批判されているのは周知の事実だ。だがこの解決法は実は、日本人の根本的な部分に根付いている「この世で起きた事象は、すべて心の反映」であるという考え方に沿ったものだ、と私は考えている。
例えばマラソンで負けた選手に対して「根性が足りない」と言えば、何でも「精神主義」にしてしまうと現代では笑われるであろう。いまでは「科学データ」をしっかり取るようになり、筋肉量とか肺活量とかをいろいろ比較することで「選手の現在の状態と練習方法」を決めていく現場主義に変わっている。これは、実は日本という風土は、「全員平等主義」に毒された国なんである(驚き!)。つまり、それぞれの持っている「能力」は平等で、結果が違うのは「努力が足りないから」だというのだ(さらに驚き!)。これ、皆さんも経験したことがあるでしょう。努力すれば必ず叶えられる、というのも「それである」。一時、小学校の体育祭で「徒競走に着順」をつけるのは「差別」であるとして、着順なしの全員1等という馬鹿げた話が横行したことがあった。これは事実と差別を「混同・誤解して」対応したのが原因である。これも実は、能力を正当に評価することが「本人に可哀想」である、という誤った考えから出て来たもので、これも「全員平等主義」の弊害である。
これが今回のコロナウィルス対策に見られるような「極限の状況」に相対すると途端に、後で「責任を問われたら困る」という心理が真っ先に働いてしまう。何かあると国民全体が「一体、こんなこと誰が決めたんだ?」と騒ぎ出すというわけだ。こういう事態を引き起こした犯人を見つけることが一番の重要事になり、「自分でなければ誰でも良い」という心理が国民に働くのでなる。こういう状況だから、責任者は一度決めた対策をどうしても改めることが出来ないのである。改めれば「責任問題」が生じてしまう。結果、どんどん現場との乖離が進んで「悪循環」が止まらないわけだ。今回のコロナウィルス問題でも同じことが起こった。クルーズ船で感染者が出たことで、政府はクルーズ船を隔離した。ウィルスを国内に入れないことを重視しすぎた結果、この水際作戦は逆に、クルーズ船の乗客乗員を「感染するままに放置」することとなってしまったのである。つまり、クルーズ船の乗客は「可愛そうだが諦めてくれ」、ということである。政府はクルーズ船を見捨てたのだ。その結果621人という異常な高確率での感染者を生んでしまった(20日現在)。クルーズ船で起きている現実を見ようとせずに、「己の責任のみ」を回避する事に執着した結果である。
日本政府の公式見解は「船内感染はない」という立場だから、今回もそれに従ってどんどん下船させている。PCR検査もだいぶ前に行ったままで、下船決定直前の段階では「無検査」だというから「?」となるのは当たり前であろう。2月4日に検査してその後何もせず、そのまま下船した人の話をテレビでやっていたが、この人は所定のバスから新幹線と公共交通機関を乗り継いで、最後はタクシーで家に帰ったという。この人が感染していたら、恐ろしい数の「濃厚接触者」を生み出している事になる。この人によると「降りる前にもう一度PCR検査をしてくれ」と政府に頼んだが、結局は「検査せず」下船させられたという。政府は2月5日以降の「船内感染はなかった」という姿勢を崩していないのだが、これには批判が噴出するだろう。実際現場では、20日の時点で「621人」も感染者が出ているから、二次感染は起きているのは確実なのだ。しかも船内の隔離状況は、「船と陸との隔離」は出来ているが「船内はズブズブ」だった可能性が出てきている。以前、専門家には「エアロゾル感染」を危惧する声が出ていたが、実際のクルーズ船の状況を見ると私は「空気感染」も有り得ると考えている。つまり「結核」と同じ伝播力だ。
事態は刻々と変化している。今日、内閣官房と厚労省職員が感染と判明。この二人は2月5日以前には船に乗っていないから、もはや「船内感染は明らか」な事態になって来ている。それでも厚労省は「隔離対応は機能していた」と言い張って、頑として当初の姿勢を崩していない。それで、何が困っているかと言うと、クルーズ船の乗務員や配膳・掃除の人たちが「感染の危険がある中で働き続けるリスク」を一身に背負っているのである。現場で働いている人達が「どれだけ不安」に苦しみ、恐怖に耐えながら過ごしているか、ということに厚労省のトップの連中には分からないのである。言わば無関心である。テレビでは、船で働いている20代の女性乗務員が「泣きながら家族に電話してきて」、いつ感染して死ぬかも知れない中で僅かに残っている「責任感を奮い立たせて」頑張っている・・・、と報じていた。私は、こういう本来の業務目的から大幅に逸脱してしまった人々(乗務員であっても医療従事者ではない)を、「不安な状態から開放してやる」ことがなぜ出来ないのか。厚労省は、はなはだ「冷酷な対応」だと感じている。これじゃまるで人身御供ではないか。
私はウィルス感染者が出た時に全員を船外に移送し、人里離れた「別荘とかコテージ」に小分けして分散隔離した上で、全員PCR検査をして陰性を確認できた人から順次、普通の生活に戻るというのがベストな対応だったと思う(2月10日に「クルーズ船を何とかせよ」で書いた通り)。今の政府のやり方は、科学的データを調べるより「君達は努力が足りない」、という精神論で乗り切ろうとしているのである(私の個人的感想である)。
ちなみにクルーズ船で感染入院していた患者のうち、80代の2人が死亡した。この2人のうち一人は「基礎疾患」があったと報じられている。しかし、わざわざクルーズ船に乗って「何週間かの旅行を楽しもうという人達」である。ちょっと考えてみても分かると思うが、むしろ「元気な人」の部類に入るのではないだろうか。現実には、身の回りの80代でも、普通に生活しているのである。だからコロナウィルス肺炎で重症化する人はどういう人なのかと言うと、もう「体力免疫力の差」としか言えないのだ。
私は「毎晩酒を飲んで」体温を上げるようにしている。アルコールがウィルスを撃退するというのは嘘で、実は「体温を上げる」ことが重要みたいである。それとビタミンDだ。魚やキノコに多いというが、私はサプリメントを今日買いに行く予定である(善は急げ、だ!)。とにかくコロナウィルスも怖いが、インフルエンザも怖い。今年はコロナウィルスのおかげて手洗いが励行され、お蔭でインフルエンザの発症者が「影がかすんでいる感」があるが、アメリカではインフルエンザ死者数が1万人を越えているらしい。コロナウィルスどころの話じゃ「無い」のだ。日本では、今季の医療機関受信者数が67万人と、去年のシーズンと比べると「4分の1」に減っているそうである。やっぱり手洗いが有効なのかもね。いまじゃインフルエンザと言っても「誰も注目してくれない」のだから、人々の不安感・恐怖感というのは「実態とかけ離れている」ということの何よりの証拠である。先ずは、先入観のない現実分析が大切だ、ということだ。
昔のことだが、初めて咸臨丸でアメリカに行った勝海舟が「日本人」について語っていたことを思い出す。彼が語るに「アメリカでは指導層が優秀です」だった。で、日本はどうかと言うと「現場で指揮を執る下士官は優秀」だが、上の方に行くに従って「役に立たない人が多い」と答えたらしい。勝海舟らしい、飾らない直言である。まさにコロナウィルス対策で見た「厚労省の役人と、クルーズ船で必死に頑張る乗員」の情景とピッタリ符合するではないか。このとき勝海舟は、ピタリと「彼我の国民の差」を言い当てていたのである。私は特にどちらの国民がどうと言っているわけではない。要は、日本人は「現場の状況分析がとても下手」ということだ。これは何にでも言えることだが、現実を目の前にして「法律やマニュアルに走ってしまう役人」が多すぎる。今回もクルーズ船で実際に起きていたことだが、PCR検査してくれという乗客の必死の訴えに対応した役人は、「武漢など中国からの旅行者または感染者と濃厚接触が疑われる人」以外は予定がありません、と突っぱねたそうである。この期に及んでまだ「武漢や浙江省縛り」という政府見解を鵜呑みにして、目の前の現実を見ないのが「日本人」なのである(この情報に間違いがあったら、すぐ訂正いたします)。米軍の本土決戦を目前にして「竹槍で戦いましょう、それが出来ない人は自決して下さい」と言ったとか言わないとか・・・、日本人が「お上の命令」に盲目的に服従する姿勢というのは、もう「芸術的」である。
今私はコロナウィルスについて、「普通のウィルス対策」をちゃんとやれば、重症率はインフルエンザとそれ程変わらないと思っている。インフルエンザは国民1億2千万人に対して発症者70万人だから、1000人で5人ぐらいである。全国にウィルスが蔓延して「この程度」だから、免疫力をアップするように気をつけていれば、まず「それほどの心配」は無いと言える。もし重症になって不幸にもお亡くなりになってしまった人には残念だが、それはそれで「仕方のないこと」と諦めるしか無い。まあ、交通事故で亡くなる人もいるし、ガンでなくなる人はもっと多いし、生きることとは「死と隣り合わせ」と考えるべきなのだ。今回のコロナウィルスも「そういった死因の一つ」に、何れ落ち着くことになると思っている。過去にはエイズやエボラ熱などの恐ろしい感染症も、今では次第に忘れられてニュースにも取り上げられなくなっていることだから、今回のコロナウィルスも「それまでの間をどうやり過ごすか」というのが大事だろう。
で、私は先ずは手洗いを始めた。今まで手洗いなど「したことが無かった」のだが、一応気付いたらやることにしている。
次に濃厚接触を避ける。人混みには行かないし、公共交通機関などの「密閉閉鎖空間」は特に避けている。そして換気。私のアパートは換気が効かないので困っているが、要は「なるべく広々とした空間」にいるようにしている。最後に「免疫強化」である。ちなみ私は「毎朝の納豆」を欠かさないようにしている。納豆、最強の免疫力らしい。勿論、晩酌は欠かせない。
もしあなたが普段から風邪を引きやすいというのであれば、少しは注意したほうが良いかも知れない。しかし若い時はよく風邪を引いていたものだが、50を過ぎてからは「めったに風邪を引かなくなった」。これは、免疫とか抗原抗体反応が「ほぼ出来上がった」とも言える。が、80代になると逆に「基礎的体力」がグンと下がっているから、ちょっとした段差でつまづいて大腿骨骨折とか、何でも「重症化」するリスクが上がって来るのだ。何とかコロナウィルスを避けたとしても、心筋梗塞・クモ膜下出血・各種ガン・白血病・腎臓透析・糖尿病・白内障(これは関係ないか・・)、数え上げたら切りがない。何の病気で死ぬかなんて、実際本人にしてみれば「どうでもいいこと」ではないだろうか。
私は80を過ぎたら、何の病気で命を落とすとしても「全て運命」と受け入れる覚悟はできている。しかし若い人はそうは行かないだろう。幸い、重症患者はいないようだから、今は静かに推移を見ている段階である。それよりもむしろ、厚労省などの官僚に見られる「我々は間違ってない」式の「日本人のメンタリティ」に私は大いに注目している。これは彼らがどうこういうよりも、日本人自体が「こんなことになった原因は誰のせいなのか」と、一斉に犯人探しをすることのほうが心配である。この際、クルーズ船で感染が発覚してからの現場検証を再度徹底的にやり直して、「どういう方法が最上だったのか」を、専門家を交えて再検証すべきだと思う。担当者や政府の対応を非難するのであれば、それは「色んな人の意見を素直に聞く柔軟な耳」と、「法律やマニュアルに縛られない、現場重視の取り組み方」が出来なかったこと、に尽きると思う。
法律でこうなっているとか、マニュアルではこうなっているとか、または先例にないとか、専門家の意見ではこうだとか、要するに、誰かの意見を「受け売りで」繰り返しているだけの人は、大体間違っていると見て大過ないと思う。こういう時に大事なのは、自分はこう思うというように「自分の言葉」で語ることなのだ。以前に映画「踊る大捜査線」で青島刑事こと織田裕二が叫んだシーン、「事件は会議室で起きてるんじゃない!、現場で起きているんだ!」の名言が思い出される。会議室のお偉方は、事件は「精神的な努力ではどうにもならない」ということが、分からないのである。現場に立たないで「対策を建てる」ことが、如何に頭で考えた教条主義的なものになるか、我々は戦時中の経験を生かさなければならない。それを今の官僚に求めるのは無理があろう。もう、「新しい政治を始める」時期なのかも知れない、そして「新しい国民性」を作っていく時代である。
とにかくコロナウィルスは、あの死の女神「ペスト」ほどには致死率が高くない病気だと分かった。未知の新生物ペスト菌は、猛威を振るった一時は「人口が半減」した都市もあったようである。そんな狂ったウィルスとは違って、コロナウィルスは「インフルエンザ程度」のものであると分かってきたのが「せめてもの救い」であろう。これで東京オリンピックも、何とか開催できそうな雰囲気になってきた。後は中国の武漢が何時回復に向かうのかが注目されるが、都市全体が「隔離された陸のクルーズ船状態」になっているのが心配である。もしかしたら中国政府は「武漢を捨てた」のかも知れない。それほど「ウィルス封じ込め」は厳しく実行されているようだ。何と言っても15億人の人口を持つ中国である。もしかしたら中国共産党は、「3万人位は死亡する」と考えている、とも言えるのだ(私の勝手な想像です)。勿論、習近平も苦渋の選択だったのだろう。それを思えば死者が1200人ほどに抑えられている現状は、むしろ「何とか成功」とも言えるようだ。少なくとも共産党指導部の考えている被害総数からすれば、多分「相当に少ない」と思われる。医療体制も整っていない武漢の人は、冷たいようだが「何とか自力で生き残る」ことを求められている。孤立無縁の武漢の人々、彼らに日本からも「心からのエール」を送ろう!
そして、神の御加護を・・・。
結局日本人は、全ての悪いことを「誰が悪かったのか」という形で「決着する」のである。何か受け入れがたい事故・事件が発生すると、必ず最後は「誰かが悪い対応をした結果」だと思うのだ。そして、「誰かを悪者にする」ことで事件を決着したがる傾向があるのだ。前回の大戦時は軍部、とくに陸軍大本営と参謀部に批判が集中し、結局「東条英機」がその責任を一身に背負って無念の絞首台に登った。それで総括が行われ、日本国民はアジアへの極悪な加害者から一転、むしろ「東条英機など軍部の一方的独走に翻弄された被害者だ」ということで、国民は「罪の意識」から開放されたのである。この決着の付け方については、いまだに韓国や中国から批判されているのは周知の事実だ。だがこの解決法は実は、日本人の根本的な部分に根付いている「この世で起きた事象は、すべて心の反映」であるという考え方に沿ったものだ、と私は考えている。
例えばマラソンで負けた選手に対して「根性が足りない」と言えば、何でも「精神主義」にしてしまうと現代では笑われるであろう。いまでは「科学データ」をしっかり取るようになり、筋肉量とか肺活量とかをいろいろ比較することで「選手の現在の状態と練習方法」を決めていく現場主義に変わっている。これは、実は日本という風土は、「全員平等主義」に毒された国なんである(驚き!)。つまり、それぞれの持っている「能力」は平等で、結果が違うのは「努力が足りないから」だというのだ(さらに驚き!)。これ、皆さんも経験したことがあるでしょう。努力すれば必ず叶えられる、というのも「それである」。一時、小学校の体育祭で「徒競走に着順」をつけるのは「差別」であるとして、着順なしの全員1等という馬鹿げた話が横行したことがあった。これは事実と差別を「混同・誤解して」対応したのが原因である。これも実は、能力を正当に評価することが「本人に可哀想」である、という誤った考えから出て来たもので、これも「全員平等主義」の弊害である。
これが今回のコロナウィルス対策に見られるような「極限の状況」に相対すると途端に、後で「責任を問われたら困る」という心理が真っ先に働いてしまう。何かあると国民全体が「一体、こんなこと誰が決めたんだ?」と騒ぎ出すというわけだ。こういう事態を引き起こした犯人を見つけることが一番の重要事になり、「自分でなければ誰でも良い」という心理が国民に働くのでなる。こういう状況だから、責任者は一度決めた対策をどうしても改めることが出来ないのである。改めれば「責任問題」が生じてしまう。結果、どんどん現場との乖離が進んで「悪循環」が止まらないわけだ。今回のコロナウィルス問題でも同じことが起こった。クルーズ船で感染者が出たことで、政府はクルーズ船を隔離した。ウィルスを国内に入れないことを重視しすぎた結果、この水際作戦は逆に、クルーズ船の乗客乗員を「感染するままに放置」することとなってしまったのである。つまり、クルーズ船の乗客は「可愛そうだが諦めてくれ」、ということである。政府はクルーズ船を見捨てたのだ。その結果621人という異常な高確率での感染者を生んでしまった(20日現在)。クルーズ船で起きている現実を見ようとせずに、「己の責任のみ」を回避する事に執着した結果である。
日本政府の公式見解は「船内感染はない」という立場だから、今回もそれに従ってどんどん下船させている。PCR検査もだいぶ前に行ったままで、下船決定直前の段階では「無検査」だというから「?」となるのは当たり前であろう。2月4日に検査してその後何もせず、そのまま下船した人の話をテレビでやっていたが、この人は所定のバスから新幹線と公共交通機関を乗り継いで、最後はタクシーで家に帰ったという。この人が感染していたら、恐ろしい数の「濃厚接触者」を生み出している事になる。この人によると「降りる前にもう一度PCR検査をしてくれ」と政府に頼んだが、結局は「検査せず」下船させられたという。政府は2月5日以降の「船内感染はなかった」という姿勢を崩していないのだが、これには批判が噴出するだろう。実際現場では、20日の時点で「621人」も感染者が出ているから、二次感染は起きているのは確実なのだ。しかも船内の隔離状況は、「船と陸との隔離」は出来ているが「船内はズブズブ」だった可能性が出てきている。以前、専門家には「エアロゾル感染」を危惧する声が出ていたが、実際のクルーズ船の状況を見ると私は「空気感染」も有り得ると考えている。つまり「結核」と同じ伝播力だ。
事態は刻々と変化している。今日、内閣官房と厚労省職員が感染と判明。この二人は2月5日以前には船に乗っていないから、もはや「船内感染は明らか」な事態になって来ている。それでも厚労省は「隔離対応は機能していた」と言い張って、頑として当初の姿勢を崩していない。それで、何が困っているかと言うと、クルーズ船の乗務員や配膳・掃除の人たちが「感染の危険がある中で働き続けるリスク」を一身に背負っているのである。現場で働いている人達が「どれだけ不安」に苦しみ、恐怖に耐えながら過ごしているか、ということに厚労省のトップの連中には分からないのである。言わば無関心である。テレビでは、船で働いている20代の女性乗務員が「泣きながら家族に電話してきて」、いつ感染して死ぬかも知れない中で僅かに残っている「責任感を奮い立たせて」頑張っている・・・、と報じていた。私は、こういう本来の業務目的から大幅に逸脱してしまった人々(乗務員であっても医療従事者ではない)を、「不安な状態から開放してやる」ことがなぜ出来ないのか。厚労省は、はなはだ「冷酷な対応」だと感じている。これじゃまるで人身御供ではないか。
私はウィルス感染者が出た時に全員を船外に移送し、人里離れた「別荘とかコテージ」に小分けして分散隔離した上で、全員PCR検査をして陰性を確認できた人から順次、普通の生活に戻るというのがベストな対応だったと思う(2月10日に「クルーズ船を何とかせよ」で書いた通り)。今の政府のやり方は、科学的データを調べるより「君達は努力が足りない」、という精神論で乗り切ろうとしているのである(私の個人的感想である)。
ちなみにクルーズ船で感染入院していた患者のうち、80代の2人が死亡した。この2人のうち一人は「基礎疾患」があったと報じられている。しかし、わざわざクルーズ船に乗って「何週間かの旅行を楽しもうという人達」である。ちょっと考えてみても分かると思うが、むしろ「元気な人」の部類に入るのではないだろうか。現実には、身の回りの80代でも、普通に生活しているのである。だからコロナウィルス肺炎で重症化する人はどういう人なのかと言うと、もう「体力免疫力の差」としか言えないのだ。
私は「毎晩酒を飲んで」体温を上げるようにしている。アルコールがウィルスを撃退するというのは嘘で、実は「体温を上げる」ことが重要みたいである。それとビタミンDだ。魚やキノコに多いというが、私はサプリメントを今日買いに行く予定である(善は急げ、だ!)。とにかくコロナウィルスも怖いが、インフルエンザも怖い。今年はコロナウィルスのおかげて手洗いが励行され、お蔭でインフルエンザの発症者が「影がかすんでいる感」があるが、アメリカではインフルエンザ死者数が1万人を越えているらしい。コロナウィルスどころの話じゃ「無い」のだ。日本では、今季の医療機関受信者数が67万人と、去年のシーズンと比べると「4分の1」に減っているそうである。やっぱり手洗いが有効なのかもね。いまじゃインフルエンザと言っても「誰も注目してくれない」のだから、人々の不安感・恐怖感というのは「実態とかけ離れている」ということの何よりの証拠である。先ずは、先入観のない現実分析が大切だ、ということだ。
昔のことだが、初めて咸臨丸でアメリカに行った勝海舟が「日本人」について語っていたことを思い出す。彼が語るに「アメリカでは指導層が優秀です」だった。で、日本はどうかと言うと「現場で指揮を執る下士官は優秀」だが、上の方に行くに従って「役に立たない人が多い」と答えたらしい。勝海舟らしい、飾らない直言である。まさにコロナウィルス対策で見た「厚労省の役人と、クルーズ船で必死に頑張る乗員」の情景とピッタリ符合するではないか。このとき勝海舟は、ピタリと「彼我の国民の差」を言い当てていたのである。私は特にどちらの国民がどうと言っているわけではない。要は、日本人は「現場の状況分析がとても下手」ということだ。これは何にでも言えることだが、現実を目の前にして「法律やマニュアルに走ってしまう役人」が多すぎる。今回もクルーズ船で実際に起きていたことだが、PCR検査してくれという乗客の必死の訴えに対応した役人は、「武漢など中国からの旅行者または感染者と濃厚接触が疑われる人」以外は予定がありません、と突っぱねたそうである。この期に及んでまだ「武漢や浙江省縛り」という政府見解を鵜呑みにして、目の前の現実を見ないのが「日本人」なのである(この情報に間違いがあったら、すぐ訂正いたします)。米軍の本土決戦を目前にして「竹槍で戦いましょう、それが出来ない人は自決して下さい」と言ったとか言わないとか・・・、日本人が「お上の命令」に盲目的に服従する姿勢というのは、もう「芸術的」である。
今私はコロナウィルスについて、「普通のウィルス対策」をちゃんとやれば、重症率はインフルエンザとそれ程変わらないと思っている。インフルエンザは国民1億2千万人に対して発症者70万人だから、1000人で5人ぐらいである。全国にウィルスが蔓延して「この程度」だから、免疫力をアップするように気をつけていれば、まず「それほどの心配」は無いと言える。もし重症になって不幸にもお亡くなりになってしまった人には残念だが、それはそれで「仕方のないこと」と諦めるしか無い。まあ、交通事故で亡くなる人もいるし、ガンでなくなる人はもっと多いし、生きることとは「死と隣り合わせ」と考えるべきなのだ。今回のコロナウィルスも「そういった死因の一つ」に、何れ落ち着くことになると思っている。過去にはエイズやエボラ熱などの恐ろしい感染症も、今では次第に忘れられてニュースにも取り上げられなくなっていることだから、今回のコロナウィルスも「それまでの間をどうやり過ごすか」というのが大事だろう。
で、私は先ずは手洗いを始めた。今まで手洗いなど「したことが無かった」のだが、一応気付いたらやることにしている。
次に濃厚接触を避ける。人混みには行かないし、公共交通機関などの「密閉閉鎖空間」は特に避けている。そして換気。私のアパートは換気が効かないので困っているが、要は「なるべく広々とした空間」にいるようにしている。最後に「免疫強化」である。ちなみ私は「毎朝の納豆」を欠かさないようにしている。納豆、最強の免疫力らしい。勿論、晩酌は欠かせない。
もしあなたが普段から風邪を引きやすいというのであれば、少しは注意したほうが良いかも知れない。しかし若い時はよく風邪を引いていたものだが、50を過ぎてからは「めったに風邪を引かなくなった」。これは、免疫とか抗原抗体反応が「ほぼ出来上がった」とも言える。が、80代になると逆に「基礎的体力」がグンと下がっているから、ちょっとした段差でつまづいて大腿骨骨折とか、何でも「重症化」するリスクが上がって来るのだ。何とかコロナウィルスを避けたとしても、心筋梗塞・クモ膜下出血・各種ガン・白血病・腎臓透析・糖尿病・白内障(これは関係ないか・・)、数え上げたら切りがない。何の病気で死ぬかなんて、実際本人にしてみれば「どうでもいいこと」ではないだろうか。
私は80を過ぎたら、何の病気で命を落とすとしても「全て運命」と受け入れる覚悟はできている。しかし若い人はそうは行かないだろう。幸い、重症患者はいないようだから、今は静かに推移を見ている段階である。それよりもむしろ、厚労省などの官僚に見られる「我々は間違ってない」式の「日本人のメンタリティ」に私は大いに注目している。これは彼らがどうこういうよりも、日本人自体が「こんなことになった原因は誰のせいなのか」と、一斉に犯人探しをすることのほうが心配である。この際、クルーズ船で感染が発覚してからの現場検証を再度徹底的にやり直して、「どういう方法が最上だったのか」を、専門家を交えて再検証すべきだと思う。担当者や政府の対応を非難するのであれば、それは「色んな人の意見を素直に聞く柔軟な耳」と、「法律やマニュアルに縛られない、現場重視の取り組み方」が出来なかったこと、に尽きると思う。
法律でこうなっているとか、マニュアルではこうなっているとか、または先例にないとか、専門家の意見ではこうだとか、要するに、誰かの意見を「受け売りで」繰り返しているだけの人は、大体間違っていると見て大過ないと思う。こういう時に大事なのは、自分はこう思うというように「自分の言葉」で語ることなのだ。以前に映画「踊る大捜査線」で青島刑事こと織田裕二が叫んだシーン、「事件は会議室で起きてるんじゃない!、現場で起きているんだ!」の名言が思い出される。会議室のお偉方は、事件は「精神的な努力ではどうにもならない」ということが、分からないのである。現場に立たないで「対策を建てる」ことが、如何に頭で考えた教条主義的なものになるか、我々は戦時中の経験を生かさなければならない。それを今の官僚に求めるのは無理があろう。もう、「新しい政治を始める」時期なのかも知れない、そして「新しい国民性」を作っていく時代である。
とにかくコロナウィルスは、あの死の女神「ペスト」ほどには致死率が高くない病気だと分かった。未知の新生物ペスト菌は、猛威を振るった一時は「人口が半減」した都市もあったようである。そんな狂ったウィルスとは違って、コロナウィルスは「インフルエンザ程度」のものであると分かってきたのが「せめてもの救い」であろう。これで東京オリンピックも、何とか開催できそうな雰囲気になってきた。後は中国の武漢が何時回復に向かうのかが注目されるが、都市全体が「隔離された陸のクルーズ船状態」になっているのが心配である。もしかしたら中国政府は「武漢を捨てた」のかも知れない。それほど「ウィルス封じ込め」は厳しく実行されているようだ。何と言っても15億人の人口を持つ中国である。もしかしたら中国共産党は、「3万人位は死亡する」と考えている、とも言えるのだ(私の勝手な想像です)。勿論、習近平も苦渋の選択だったのだろう。それを思えば死者が1200人ほどに抑えられている現状は、むしろ「何とか成功」とも言えるようだ。少なくとも共産党指導部の考えている被害総数からすれば、多分「相当に少ない」と思われる。医療体制も整っていない武漢の人は、冷たいようだが「何とか自力で生き残る」ことを求められている。孤立無縁の武漢の人々、彼らに日本からも「心からのエール」を送ろう!
そして、神の御加護を・・・。
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