空観方程式

「色」と「空」の一体化によって可視化され、相互作用で共感・共鳴が生じ、新たなる思いや生命力が実体化される。

動的重ね合わせと般若心経

2022年04月02日 | 記事のコメント
重ね合わせにある1個の量子ビットの
右回転でもあり左回転でもある状態を
人間は観察することはできない。
唯一偶然によってのみ、
右回転か左回転かのいずれかが
観察される。
それによって高速の演算が可能となる。
量子を見るまでは右回転か左回転か存在しないが、
素粒子のような微視的世界では実証されているが、
人間スケールの巨視的世界ではこれまで未解決だ。


ところで天使と悪魔がいて
双方が逐次出現する場合を動的平衡という。
禍福はあざなえる縄のごとしである。
しかし悪いことは重なるものだと
言われることがあるように、
コインの様に表と裏が回転して
順次現れるとは限らない。
競技においても、一度ミスしてしまうと
ズルズル点差が開いて引き離される。
逆に
一旦勝つことでイケイケどんどんとなって
勝ち進む。
従い天使と悪魔は、コインの様に順次現象が
入れ替わる動的平衡とは異なり、重ね合わせが
実在のようだ。しかし
人間は重ね合わせの一体となった状態を
観察できないから、
たまたま天使か悪魔かを観察できたとしても、
それは偶然の結果である。
しかもそれは人間の意識上のものだ。

重ね合わせの状態にある天使と悪魔のイメージ図


さて、「電子は波でもあり粒子でもある」
その重ね合わせされた状態は観察できないが、
”粒子”である電子を一個ずつ
二重スリットに向けて打ち込むと、
多数の蓄積が進むにつれて
スリットを通過した位置のスクリーンには
電子の重ね合わせ状態によって生まれた
波の”干渉縞”が現れ、観察が可能である。




重ね合わせは自体は眼に見えないものだが、
例えば疎水性と親水性が
重ね合わせの状態にあるとすれば、
そのことで、
自発的に細胞膜が合成されている。
その状態のイメージを下図に示す。




親水性と疎水性の重ね合わせの状況は
観察できないが、現れた物質の細胞膜は
眼で見ることは可能である。
親水性と疎水性の重ね合わせの上図は
想像図であるが、
問題は自発的にしかも動的に細胞が合成されて
現れる状況だ。

同様に時間と空間の重ね合わせの状態は
見ることができないが、それによって生まれた
人生や運命も重ね合わせの結果なのであろうか。
もしそうであれば、
動的重ね合わせで作られ決められた運命に
逆らってみても思い通りにはならないわけだ。

ただ、よく乗り越えるべき人生とか、
定められた運命とかいわれるところを見ると、
あらかじめ時間と空間の重ね合わせによって
自発的に且つ動的に作られているように思える。
あらかじめ作られた人生が目の前に現れるので
ラッキーか、アンラッキーなものか、そしてそ
れを乗り越えようとすることは可能だが、
逆らったり無かったことにすることはできない。

であれば、
何のために生まれてきたのかって?
生きる理由は時間と空間の
動的重ね合わせの原理に聞いてくれ!
動的重ね合わせで現れた運命から聞いてくれ!
ということになる。


「人間が人生の意味は何かと問う前に、
人生のほうが人間に対し問いを発してきている。
だから人間は、本当は、
生きる意味を問い求める必要などないのである。
人間は、
人生から問われている存在である。
人間は、
生きる意味を求めて問いを発するのではなく、
人生からの問いに答えなくてはならない。
その運命を受け入れる事だ。」
ヴィクトール・E・フランクル

自分が死んでも自分は困らない。
生きる理由は自分にないから。
子供のように
海とか山とかのつながりから
自分は生きている。
養老孟司



誕生直後の宇宙における
空間のみの膨張をインフレーションという。
インフレーションが終わると、
宇宙の温度が上昇し、ビッグバンが起こる。
そして、素粒子、光、熱が生まれた。

そもそも初めから現在まで
すべてが自発的(自律的)であり動的である。
そして現在でも宇宙の加速膨張が続く。
その原因は、ダークエネルギーとダークマターだ。
人間が観察できないのは、それぞれが重ね合わせの
状態だからなのかもしれない。

アインシュタインの方程式に依れば、
時空のゆがみと時空の変化が物質の分布、
即ちエネルギーに相当するという。
このダークエネルギーが見えないのは
時空のゆがみと時空の変化が重ね合わせの状態
になっているのかもしれない。
しかし、ダークエネルギーから合成によって
人間が観察できるものも絶え間なく自律的に
出現される。
近年、ダークエネルギーからの合成によって
(二つのブラックホールの合体時に)
重力波として観測されている。

宇宙の中の圧倒的な割合で存在する
ダークエネルギーとダークマターは、
ビッグバン直後では素粒子の合成が主だったが、
今では巨視的なものも自律的に合成し続けている。
それらのそれぞれの合成の結果で
人間たちの運命(人生)が創られる。



また、いささかこじつけ的であるが、
具体的には
時間と空間の重ね合わせによって生まれた
闇と明るさについても同様だ。
自律的に生まれる事象なので、
そこにどうしても出会ってしまうモノだ。

西洋では数多くの争いの中から生まれ、
そしてよく言われる。
闇はあらゆる所から、
そしてあらゆる方向から迫ってくる。
しかし明るさも必ず生まれているので、
少しでもその明るさによって対抗すべきであると。


目の前に現れた人生や運命が
ラッキーかアンラッキーなのかは
眼で見ることで自分の意識によって変化する。
せいぜい天使が見えてくるように
意識を誘導することは可能だ。

天使か悪魔かわからなければ人間は
「気分よく過ごすと、天使のように意識され」
逆に
「心配、不安、恐れ」そういう感情を持つと、
悪魔がやってくる意識が働く。
要は
天使だろうが悪魔だろうが
両方合わせたモノが実在の全体だ。

人間は重ね合わせの中でしか生きられないので
重ね合わせの状態を外から観察できない。
唯一神だけがこの重ね合わせの状態を外から
見ることができるのかもしれない。





波動方程式の解やオイラーの公式にも
重ね合わせの状態が数式上に見られる。
  





ところで
般若心経にある「空」も
量子ビットで言う重ね合わせに近い。
いわば
電子が波でもあり、粒子でもある状態と同じだ。
それはダークエネルギーと同様に
人間は見ることのできない世界である。
人間はそこから自発的に現れる時空、
即ち関係性の縁起やら関係者を初めて
目の前にする。
それが「色」というもので表現される。

眼に見える「色」には古来より、
意識により状態が変化する善悪二元と、
変化しない陽陰二元が知られている。
変えられないものを変えようとしない事だ。
また、
仏教では二元の境界について、無分別や
一体化などと、これもよく知られていて、
ここから「空」の概念が導入されてくる。


ここでは、その時間と空間とがふたたび
重ね合わせとなった状態になれば元の
「空」である。



「空」は量子ビットと同様に
空間のゆがみと時間の変化の
重ね合わせであれば、
人間にとって
観察することができない状態であるが、
現実には存在しているものであって、
したがい「無」とは異なる概念だ。


加えて、
「色即是空」と「空即是色」もちょうど
量子ビットの右回転と左回転に対応している
重ね合わせの状態だ。
「色即是空」これが真理だ!
とこれだけに固執するならば、
真理には到達しない。量子ビットと同様に
重ね合わせの状態であって、
「色即是空」であるとともに
「空即是色」であり多様的だ。

同じく妄想をさらに拡大させれば、
ダークエネルギーとダークマターに
対応しているとも考えられる。
「色即是空」と「空即是色」のそれぞれの
重ね合わせの状態は
やはり見ることができないので
想像するしかない。
それによって例えば群れが自発的に作られる。
その重ね合わせから作られた群れが実態として
初めて観察される。
群れの動的な多様性は人間の意識として
創りだされた結果である。



ダークエネルギーとダークマターの
重ね合わせで、宇宙に満ち溢れている
有機物の群れが自発的に現れ、その中から
遺伝子の4つの塩基も創られる。

こうした重ね合わせは誰も見たことはないので
否定する証拠はなく、無敵である。



時間と空間(関係性)の重ね合わせと同様に
概念の重ね合わせも創造される。
「諸行無常」と「諸法無我」も重ね合わせ
であれば目で見ることはできないが、
「涅槃寂静」が自発的(自律的)かつ動的に
に創り出される。
それは社会の多様性に対処できる。
そこが動的重ね合せの原理である。

例えば「諸行無常」が青で、「諸法無我」が赤である。
「涅槃寂静」が純粋実空間に対応する。
「諸行無常」と「諸法無我」の事象の上に
成り立つ概念であって、動的なものであり且つ
涅槃と寂静が時間と空間の複素空間のように
やはり重ね合わせとなっているように見える。
悟りと安らかの状態として表現されてはいるが、
重ね合わせの状態であれば観察はできない。
しかし
それによって自発的に合成されたものは
柔軟性や多様性などの自己肯定の姿となって
目に見えてくるものだ。





参考:
弁証法で知られる止揚論については、
対立したり矛盾したりする概念によって創られる。
双方を合わせ、どちらも切り捨てることなく
より高次の次元での概念を導くものであるが、
動的なものではなく静的である。





唯識論
「客観と主観との両者を含めたあらゆる存在はすべて、
ただ表されたもの、知られたものに過ぎない」
という意味。
唯識説は、あらゆる存在は認識された姿として
立ち現れているだけであって、
認識された姿の背後に実体的に何かが存在すると
予想しない。
人間の目には見えない重ね合わせから立ち現れてくる
現象と同様だ。



エントロピーの法則に逆らう生命現象も動的である。
合成と分解とが常に逐次繰り返されている。
分解を少しだけ先回りすることで
持続的な秩序として生命が生まれる。
福岡伸一博士が提唱した「動的平衡状態」と呼ばれていて
大変有名である。





ダマスカス鋼
ダマスカス鋼はその強靱さ、錆びにくさ、
表面に浮かぶ優美な波紋から神秘性をもち、
その製法はいまだ謎に包まれている。
溶解させた鋳鉄を
坩堝の中でゆっくり凝固する際に、
内部結晶作用により融点の違う鋼が
別々に結晶化したことにより模様が
発生した鍛鉄をいう。
この溶解させた鋳鉄の状態が量子ビットの
重ね合わせの状態に近いものだ。
見ることができないから想像するしかないので
神秘性のイメージとなる。
自律的に結晶化して現れたものが観察される。

ところで現代のダマスカス模様は
異種金属を多層に重ね合わせることで、
この模様を形作っている。従い
量子ビットの重ね合わせとは異なるものだ。
この多層に重ね合わせ、素材を鍛えることは、
日本刀の技術で知られるように、
非常に優れた刀身を生み出す。
これは多層の素材を圧延し鍛える過程で、
現れる模様である。







空観方程式での問題の解決では
重ね合わせの状態にすることだ。
即ち、これらは量子ビットのように
両方の状態をいつも同時に持つことである。


あるときはあるように
ないときはないように。

できないときはできないように
できるときはできるように。

ありのままでもいいし
ありのままでなくてもいい。



「やればきっとできる」という自己効力感は
成長するにしたがい、さまざまなネガティブな
経験によって低下してしまいがちだ。それは
正しいか正しくないかだけの物事に固執してしまう。
再び高めるためには柔軟性を持つことだ。
「何があっても受け入れる」という柔軟な心。

何が起きるかわからない世界で生きるには、
重ね合わせの状態によって、多様性へ備え
「いいときも悪いときもありのままの自分を信じ、
自分は何を選んで、何を大切にしていくのか」の
目の前に現れてくる実態としての前向きな気持ち、
自己肯定を常に持ち続けることだ。









重ね合わせとは

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