「JPCZ」
Japan sea Polar air mass Convergence Zone
日本海寒帯気団収束帯
二つのものが収束することで
新たな状態が出現することを示す。
日本海側の平野部にも大雪が
出現する現象だ。
毎年この大雪によって大渋滞が
発生している。
それぞれの対立した二項が
一つに収斂して、
新たな状態が出現する。
科学にも重ね合わせの状態
SuperPositionとして
新たな状態が出現する現象がある。
光があれば影(闇)もある
正義があれば悪もある
神があれば悪魔もある
天使がいれば魔女もいる
という人間の分別。
世の中の理解できないことや
納得できないことに接することから、
そこを乗り越えるためには、
おとぎ話などの物語が必要であった。
将来の不安を解消し安定するために、
対立する二項が一体化して出現する
神話が必要であった。
例えば日本の古墳から出土する鏡は
邪悪なものを退けるための祭祀として
出現したものであるとされている。
出土した鏡や剣には「邪悪なものを
寄せつけない力がある」との
ストーリーによって埋葬されたとされる。
そもそもホモサピエンスにとって、
死体をごみのようには扱えないから
何らかの儀式が必要となったのと同じである。
要は
人間の進化によって獲得した分別によって
生じた苦悩や悲しみに対し、
そこを乗り越えるための必要なものであって、
いわば想像上の秩序である。
特に、生と死の二項対立は人間にとって
避けることのできない状態だ。
「JPCZ」と同様のように、
生と死の二項対立が一体化することにより、
普遍的で尚且つ体系的に理論化され、
新たに生まれた物語が宗教であると
言える。
光があれば影(闇)ができる。
正義があれば悪ができる。
夢と現実とが一体となることで
物語ができる。
やがて
闇や悪による苦悩から解放されるために
宗教や権威主義思想が生まれる。
夢(理想)と現実という二項対立(色)。
現実だけでは解決できない、納得できない、
そこから
夢(想像上)という理想の物語とが
一体となること(空というエネルギー)で
将来への安定が生まれ(新たな色が)
獲得される。
しかし
思想上の概念のみにこだわっては、
思想と豊かさとが一体となることで現れる
新たなエネルギーに乏しく、
現実社会での自由(多様性)が制限される。
要は人間の分別である二項対立においては
片方だけにこだわらないことだ。
片方のみにこだわれば
新たな状態は出現してこない。
いつまでたっても
解決することができないので
苦難の道を歩み破綻する。
例えば闇のみにこだわってしまうと、
どうせ死ぬのに人間はなぜ生きるのか?
から抜け出せなくなり
物語が生まれずに苦難の道が続いてしまう。
一旦リセット(空観)して
苦悩との折り合いも必要なのである。
要は分別と共存することでも不安から
解放される。
その場その場で自分のできることを
行う。
出来る時に行い、出来ない時には
行わない。
あるがままでもいいし、
あるがままでなくてもいい、
親鸞のいう「無義の義」である。
また西行も言う、
「身を捨ることこそが己を救う道でしょう」
一旦、全部捨てたことだと思えば、
かえって元気が出るものだ。
[参考]
奈良富雄丸山古墳:
(コラム産経ニュース)2023/1/30
盾の防御性と鏡の神秘性とが一体化して
被葬者を邪悪なものから守る
「辟邪(へきじゃ)」の観念が生まれた。
大阪大学の福永伸哉 教授
Japan sea Polar air mass Convergence Zone
日本海寒帯気団収束帯
二つのものが収束することで
新たな状態が出現することを示す。
日本海側の平野部にも大雪が
出現する現象だ。
毎年この大雪によって大渋滞が
発生している。
それぞれの対立した二項が
一つに収斂して、
新たな状態が出現する。
科学にも重ね合わせの状態
SuperPositionとして
新たな状態が出現する現象がある。
光があれば影(闇)もある
正義があれば悪もある
神があれば悪魔もある
天使がいれば魔女もいる
という人間の分別。
世の中の理解できないことや
納得できないことに接することから、
そこを乗り越えるためには、
おとぎ話などの物語が必要であった。
将来の不安を解消し安定するために、
対立する二項が一体化して出現する
神話が必要であった。
例えば日本の古墳から出土する鏡は
邪悪なものを退けるための祭祀として
出現したものであるとされている。
出土した鏡や剣には「邪悪なものを
寄せつけない力がある」との
ストーリーによって埋葬されたとされる。
そもそもホモサピエンスにとって、
死体をごみのようには扱えないから
何らかの儀式が必要となったのと同じである。
要は
人間の進化によって獲得した分別によって
生じた苦悩や悲しみに対し、
そこを乗り越えるための必要なものであって、
いわば想像上の秩序である。
特に、生と死の二項対立は人間にとって
避けることのできない状態だ。
「JPCZ」と同様のように、
生と死の二項対立が一体化することにより、
普遍的で尚且つ体系的に理論化され、
新たに生まれた物語が宗教であると
言える。
光があれば影(闇)ができる。
正義があれば悪ができる。
夢と現実とが一体となることで
物語ができる。
やがて
闇や悪による苦悩から解放されるために
宗教や権威主義思想が生まれる。
夢(理想)と現実という二項対立(色)。
現実だけでは解決できない、納得できない、
そこから
夢(想像上)という理想の物語とが
一体となること(空というエネルギー)で
将来への安定が生まれ(新たな色が)
獲得される。
しかし
思想上の概念のみにこだわっては、
思想と豊かさとが一体となることで現れる
新たなエネルギーに乏しく、
現実社会での自由(多様性)が制限される。
要は人間の分別である二項対立においては
片方だけにこだわらないことだ。
片方のみにこだわれば
新たな状態は出現してこない。
いつまでたっても
解決することができないので
苦難の道を歩み破綻する。
例えば闇のみにこだわってしまうと、
どうせ死ぬのに人間はなぜ生きるのか?
から抜け出せなくなり
物語が生まれずに苦難の道が続いてしまう。
一旦リセット(空観)して
苦悩との折り合いも必要なのである。
要は分別と共存することでも不安から
解放される。
その場その場で自分のできることを
行う。
出来る時に行い、出来ない時には
行わない。
あるがままでもいいし、
あるがままでなくてもいい、
親鸞のいう「無義の義」である。
また西行も言う、
「身を捨ることこそが己を救う道でしょう」
一旦、全部捨てたことだと思えば、
かえって元気が出るものだ。
[参考]
奈良富雄丸山古墳:
(コラム産経ニュース)2023/1/30
盾の防御性と鏡の神秘性とが一体化して
被葬者を邪悪なものから守る
「辟邪(へきじゃ)」の観念が生まれた。
大阪大学の福永伸哉 教授