薬草にも関わらず、人を殺す毒を持つ
マンドラゴラからの解放は、対立する
2元性と折り合いを付けるための特性として、
知っておいて無駄なことはない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/9c/a66b6110d65a80e6dd5ec13a674bf33b.jpg)
人間の二元対立を解決しようとする場合
マンドラゴラのように一体化している状態
であって、
そこに折り合いを付けようにもそうそう
簡単なことではない。
そこで
二元の対立が一体化している状態ならば
オイラーの公式にならって、
三角関数での解決方法ではなく、
指数関数の方法を取り入れることだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b6/2ff9208fafb5fb62c0f26a7cce58dc52.jpg)
即ち
三角関数ではなく指数関数を使うということは、
例えば正しいか正しくないかではなく、
何が本当かということだ。さらには
例えば人生の意味を人間が問うのではなく、
人生の方から問われているのだと視点を変えることだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/de/4a70b6046e3bec15f09710ba464ce00b.jpg)
横から見れば四角だが、
上から見れば丸になる様に。
「理念の中で泳いでいる魚は、
自分が泳いでいることが解らない」
そこで上から見れば、
泳いでいることが見えてくる。
まずは理解することではなく姿に親しむこと、
姿を知ることだ。
何かが芽生えるまで、
答えが出てくるまで何度でも繰り返し、
心に宿すものが出てくるまでじっくり付き合う。
包んでいるように見えても、
包まれていることがわかる。
ごまかそうとする意識や逃げようとする姿、
夢や希望を抱きながら
何に関り、何に関ることを避けているのか、
そうした動的平衡状態の姿として知りつつ、
その場その場で最善を尽くすことだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/92/630df40ca1717b78a95fac904d156199.jpg)
要は、オイラーの公式が示す
三角関数から離れて
指数関数を使うということは、
自己主張による解決方法だけではないことだ。
例えば個性とは
自分が作り出すもの、目新しいものだけではない。
他者が作り出している外的要因、
そこにある水や土、気候風土から生まれてくる
ものを生かすことであり、
本当の良さとは自然にできてくるものであって、
そうした中で生まれてきた、昔からの個性をも
重んじることだ。
そもそも生命とは合成と分解による
動的平衡のバランスで成り立つように、
人体細胞との折り合いを付けながら、
代謝の持続と生命の連続を継続させる。
合成と分解を同時進行させながら、
わずかに分解が合成を先回りしたとき、
エントロピーの減少する方向が起る。
(福岡伸一著:西田哲学を読むより)
薬草でありながら人を傷つける毒を持っている
マンドラゴラのように、人間もこうした二元性と
折り合いながら人生や運命を維持してゆくものだ。
注目すべき点は、
合成と分解の繰り返しの場合には分解を優先する点だ。
薬草と猛毒の二元性では
猛毒の分解を薬草の合成より少し先回りすることだ。
もしも薬草の合成を優先させてしまえば
生命の維持がスムースに行われないということだ。
エントロピー増大の法則という、
どうすることもできないことと
関わってゆくために、
合成と分解による動的平衡という二元の
流れによる効果(福岡伸一より)によって
折り合いをつけている。
とりもなおさず
支配しながら、支配される関係であり、
ありのままのダイナミズムな姿の
自覚である。
理念の中だけで泳いでいる自分の姿を見る様に、
どんな実体や観念の中でいるのか、
真の実在は何なのか、何が本当なのか、
即ち本質との一体化であって、
ひいては居心地の良さの感得でもある。
一方、
オイラーの公式と同様に
三角関数の化学反応ではなく、
指数関数である触媒反応という
システムを使う方法もある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/26/76e2a638609485f98acf18ccc1a2fbc1.jpg)
同様にして
例えば親水性と疎水性の動的平衡による
秩序の維持においては、
疎水性を少しだけ優先して、
エントロピー増大の老廃物を汲み抱いて廃棄しながら
生命秩序を継続させる。
親水性と疎水性の動的平衡状態によって代謝する
脂肪加水分解酵素リパーゼのように、
油というものを、
水のような液体に溶解させながら
分解して、心の老廃物をシステムを利用して
汲み出し廃棄する。
これはエントロピーの排出機能そのものであって、
エントロピー(増大)の法則に従う状態と
エントロピーに逆らう状態(減少)がそれぞれ交互に
繰り返されることで生命秩序が維持されてゆく。
エントロピー増大の法則と折り合いをつける方法でもある。
都合の悪い自分の姿から逃げることを優先するのではなく、
ありのままの自分の姿を少しだけ先回りさせて
白日の下に晒すことで、心の老廃物を洗い流すことができる。
これこそマンドラゴラのように、対立が一体化している、
どうすることもできないものとの化学反応ではなく
触媒酵素での折り合いをつける方法であり、
マンドラゴラからの解放でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b3/0e62944829b7f4b1218e2960d207c938.jpg)
運命の法則によって生じた老廃物を、いつまでも
抱え込むことの無い様にする方法であって、
いささかこじつけ的であるが、
生命のダイナミズムにもつながるシステムである。
人生においても
何でもコントロールできると思って
自己主張するだけが解決方法ではない。
他人の意見を受け入れる方を
少しだけ先回りさせ、
自己主張は少しだけ遅らせる事で
人生をスムースにさせる方法となりうる。
これが化学反応ではなく、
触媒・酵素反応の代謝方法である。
人の細胞と同様に分解を少しだけ先回りさせる。
目の前にある対立によって生じた問題の
化学反応だけが解決法ではない。
秩序は守られるために絶え間なく壊され、
再構築される(福岡伸一より)
エントロピーを排出する代謝システム
=運命の老廃物を廃棄する。
これもまた、
理念や観念だけでなく、真の実在
即ち本質との一体化であって、
ひいては居心地の良さの感得でもある。
酵素触媒システムの参考例:
神輿を担ぐように対立を空洞化させる方法や
「相即」のシステムで解決する方法もある。
自分と他人との二元対立
他人のために生きる生き方も
苦しみを消す一つの道だ。
人の痛みが分かる人間となる
幸福と不幸の二元対立
自分の不幸を肯定的に受けいれる。
そもそも不幸を乗り越えることによって
幸福が訪れるものだ。
そして人間をより大きくするものだ。
また、素晴らしいものは困難から生まれる。
逆らわないと受け容れるの二元対立
逆境は必ず訪れるものだ、
それを回避するだけでなく
受け容れることも必要だ。
一方的、あるいは一元的なものは
人為的であって自然ではない。
人生の楽しみは自分の心の持ち方次第だ。
困難を乗り越えるだけでなく、
困難を受け容れ、
折り合いをつけることでも可能だ。
(方丈記)
マンドラゴラからの解放は、対立する
2元性と折り合いを付けるための特性として、
知っておいて無駄なことはない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/9c/a66b6110d65a80e6dd5ec13a674bf33b.jpg)
人間の二元対立を解決しようとする場合
マンドラゴラのように一体化している状態
であって、
そこに折り合いを付けようにもそうそう
簡単なことではない。
そこで
二元の対立が一体化している状態ならば
オイラーの公式にならって、
三角関数での解決方法ではなく、
指数関数の方法を取り入れることだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b6/2ff9208fafb5fb62c0f26a7cce58dc52.jpg)
即ち
三角関数ではなく指数関数を使うということは、
例えば正しいか正しくないかではなく、
何が本当かということだ。さらには
例えば人生の意味を人間が問うのではなく、
人生の方から問われているのだと視点を変えることだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/de/4a70b6046e3bec15f09710ba464ce00b.jpg)
横から見れば四角だが、
上から見れば丸になる様に。
「理念の中で泳いでいる魚は、
自分が泳いでいることが解らない」
そこで上から見れば、
泳いでいることが見えてくる。
まずは理解することではなく姿に親しむこと、
姿を知ることだ。
何かが芽生えるまで、
答えが出てくるまで何度でも繰り返し、
心に宿すものが出てくるまでじっくり付き合う。
包んでいるように見えても、
包まれていることがわかる。
ごまかそうとする意識や逃げようとする姿、
夢や希望を抱きながら
何に関り、何に関ることを避けているのか、
そうした動的平衡状態の姿として知りつつ、
その場その場で最善を尽くすことだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/92/630df40ca1717b78a95fac904d156199.jpg)
要は、オイラーの公式が示す
三角関数から離れて
指数関数を使うということは、
自己主張による解決方法だけではないことだ。
例えば個性とは
自分が作り出すもの、目新しいものだけではない。
他者が作り出している外的要因、
そこにある水や土、気候風土から生まれてくる
ものを生かすことであり、
本当の良さとは自然にできてくるものであって、
そうした中で生まれてきた、昔からの個性をも
重んじることだ。
そもそも生命とは合成と分解による
動的平衡のバランスで成り立つように、
人体細胞との折り合いを付けながら、
代謝の持続と生命の連続を継続させる。
合成と分解を同時進行させながら、
わずかに分解が合成を先回りしたとき、
エントロピーの減少する方向が起る。
(福岡伸一著:西田哲学を読むより)
薬草でありながら人を傷つける毒を持っている
マンドラゴラのように、人間もこうした二元性と
折り合いながら人生や運命を維持してゆくものだ。
注目すべき点は、
合成と分解の繰り返しの場合には分解を優先する点だ。
薬草と猛毒の二元性では
猛毒の分解を薬草の合成より少し先回りすることだ。
もしも薬草の合成を優先させてしまえば
生命の維持がスムースに行われないということだ。
エントロピー増大の法則という、
どうすることもできないことと
関わってゆくために、
合成と分解による動的平衡という二元の
流れによる効果(福岡伸一より)によって
折り合いをつけている。
とりもなおさず
支配しながら、支配される関係であり、
ありのままのダイナミズムな姿の
自覚である。
理念の中だけで泳いでいる自分の姿を見る様に、
どんな実体や観念の中でいるのか、
真の実在は何なのか、何が本当なのか、
即ち本質との一体化であって、
ひいては居心地の良さの感得でもある。
一方、
オイラーの公式と同様に
三角関数の化学反応ではなく、
指数関数である触媒反応という
システムを使う方法もある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/26/76e2a638609485f98acf18ccc1a2fbc1.jpg)
同様にして
例えば親水性と疎水性の動的平衡による
秩序の維持においては、
疎水性を少しだけ優先して、
エントロピー増大の老廃物を汲み抱いて廃棄しながら
生命秩序を継続させる。
親水性と疎水性の動的平衡状態によって代謝する
脂肪加水分解酵素リパーゼのように、
油というものを、
水のような液体に溶解させながら
分解して、心の老廃物をシステムを利用して
汲み出し廃棄する。
これはエントロピーの排出機能そのものであって、
エントロピー(増大)の法則に従う状態と
エントロピーに逆らう状態(減少)がそれぞれ交互に
繰り返されることで生命秩序が維持されてゆく。
エントロピー増大の法則と折り合いをつける方法でもある。
都合の悪い自分の姿から逃げることを優先するのではなく、
ありのままの自分の姿を少しだけ先回りさせて
白日の下に晒すことで、心の老廃物を洗い流すことができる。
これこそマンドラゴラのように、対立が一体化している、
どうすることもできないものとの化学反応ではなく
触媒酵素での折り合いをつける方法であり、
マンドラゴラからの解放でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b3/0e62944829b7f4b1218e2960d207c938.jpg)
運命の法則によって生じた老廃物を、いつまでも
抱え込むことの無い様にする方法であって、
いささかこじつけ的であるが、
生命のダイナミズムにもつながるシステムである。
人生においても
何でもコントロールできると思って
自己主張するだけが解決方法ではない。
他人の意見を受け入れる方を
少しだけ先回りさせ、
自己主張は少しだけ遅らせる事で
人生をスムースにさせる方法となりうる。
これが化学反応ではなく、
触媒・酵素反応の代謝方法である。
人の細胞と同様に分解を少しだけ先回りさせる。
目の前にある対立によって生じた問題の
化学反応だけが解決法ではない。
秩序は守られるために絶え間なく壊され、
再構築される(福岡伸一より)
エントロピーを排出する代謝システム
=運命の老廃物を廃棄する。
これもまた、
理念や観念だけでなく、真の実在
即ち本質との一体化であって、
ひいては居心地の良さの感得でもある。
酵素触媒システムの参考例:
神輿を担ぐように対立を空洞化させる方法や
「相即」のシステムで解決する方法もある。
自分と他人との二元対立
他人のために生きる生き方も
苦しみを消す一つの道だ。
人の痛みが分かる人間となる
幸福と不幸の二元対立
自分の不幸を肯定的に受けいれる。
そもそも不幸を乗り越えることによって
幸福が訪れるものだ。
そして人間をより大きくするものだ。
また、素晴らしいものは困難から生まれる。
逆らわないと受け容れるの二元対立
逆境は必ず訪れるものだ、
それを回避するだけでなく
受け容れることも必要だ。
一方的、あるいは一元的なものは
人為的であって自然ではない。
人生の楽しみは自分の心の持ち方次第だ。
困難を乗り越えるだけでなく、
困難を受け容れ、
折り合いをつけることでも可能だ。
(方丈記)