今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

断捨離の実践(2009.10.26)

2010-07-14 23:31:09 | 断捨離とは?
モノを捨てるには、覚悟とエネルギーがいる。

捨てたくない、取っておきたい…と思うのは、人間の本能に近いかもしれない。

備えあれば、憂いなし…というやつだ。

だが、備えすぎるから、憂うことってないだろうか。

備えれば備えるほど、これで十分だろうか…と不安になって、もっともっとため込みたくなる。

必要なモノは与えられる、必要な時に手に入れればよい…と思っていれば、わざわざ狭い家にどっさり買い置きしておく必要はない。



モノの要不要を判断するのは、気持ち的にもとっても疲れる作業だ。

だから、とりあえず置いておく方が、断然ラクチンなのだ。


それで断捨離初心者は、ともすれば判断することすら諦めてしまいがち。

でも大丈夫。段階を踏んで取捨選択していけばいいのだから。



まず最初の基準は、使えるか、使えないか。

これは簡単だ。

壊れたモノ、破れたモノ、腐ったモノ、賞味期限が切れたモノ、部品が足りないモノ、変質したモノ。


次の基準は、自分が使うか、使わないか。

まだ十分使用には耐えるが、自分や家族が使わないモノは、家の中に置いておいてはいけない。


3番目の基準は、本当に必要なモノか、なくても困らないモノか。

お助けグッズや便利グッズの類は、意外となくてもOKな場合が多い。

何か他の道具で代用できたり、1年に数回しか使わないモノは、スペース対効果を考えると、いらないかな。


そして最後が、お気に入りか、そうでないか。

例えばマグカップは使えるモノだし、毎朝使うし、ないと困る。

でも3番目までの基準をクリアしたカップが、ポイントを貯めてもらった、全国チェーン店のロゴ入りノベルティじゃ、味気ない。

使うことで自分が嬉しくなるようなお気に入りを残して、あとは手放しても大丈夫。


こういう風に4つのステップを経て、必要最低量にまでモノを絞れば、すっきり空間を手に入れることができる。


自分に不要なモノを、すなわちゴミと呼ぶ。

ゴミを置いておく場所はゴミ置き場、自分の住まいをゴミ置き場にしてはダメ。

あなたはゴミ置き場に住むのに相応しい人ですか?…と問われて、YESと答える人はいないだろう。

自分をゴミ置き場の住人にしてはいけない。



…ということで始まった、私の断捨離。


スイッチが入って、いきなりやる気度120%、一度にゴミ袋20袋出すツワモノもいるそうだが、私はそこまでガッツリできないので、ゆるゆるのんびり進めることにした。

やましたひでこ先生の助言に従って、あきらかなゴミから間引いていく方法で着手した。


それからの1ヶ月、普通ゴミの日は、通常ゴミ+45㍑ゴミ袋1~2袋、燃やさないゴミの日は通常の2~3倍出しているので、確実にモノは減っているはずだが、まだ日が浅いからか、目に見える劇的変化はない。



これまでに断捨離したモノたち。


*子供たちが保育園時代に使っていたお昼寝布団。

なんでこんな物を取っておいたんだろう…と思い返してみたら、なんとワンコが老犬になった時の介護用だった。

愛犬は7歳なので、介護はまだまだ先の話。

黄ばんだ布団は即ダンシャリ。


*OL時代に来ていたスーツ数着。

高かったし、とてもいい生地を使っているし、仕立て直したらまた着られるかも…と思ってずっと取ってあったシロモノ。

ワンレン・ボディコンが大流行していた頃の遺物。

20年前のいかつい肩パッド入りで、まるでアメフトの選手みたい。

いくらリメークしたところで、古臭さは抜けないし、現在はスーツを着る機会もほとんどないので、ダンシャリ。


*乙女チックなジュニア小説

娘が小5~6の頃、夢中になって読んでいた、「若女将は小学生シリーズ」「パスワード探偵シリーズ」「黒魔女さんシリーズ」その他諸々100冊ほど。(小学生が若女将って、どんな旅館なんだ!)

小1時間で読める軽い小説で、1~2回しか読んでいない、ほとんど新品。

子供たちの母校に全部寄付。

以前、この小学校で図書ボランティアをしていたので、スムーズに話がついた。

きれいにラミネートして学級文庫に配置されるらしい。

本を捨てるのは忍びないので、再利用されて嬉しい。


*ガーデンパラソル

でかいパラソルで、わざわざアメリカから持ち帰った品。

今は庭に増築したので、パラソルを立てるスペースはない。

昔、バーベキューをよくした頃は役に立ったが、今は使わない。


*息子の中学の教科書(予定)

うちの子供たちは、なぜかよく教科書を紛失する

…で、妹が教科書を失くした時のために、兄の教科書がとってあるが、なんせ2学年分なので嵩張る。

娘には教科書を大切にするよう言い渡して、兄の教科書は処分しよう。


*赤ちゃん用の食器

キティ柄のプラスチックのお椀。

孫ができた時、「あなたのママもこのお椀で食べてたのよ」…とでも言うつもりだったのか。

ヤンママになるとしても、まだ先の話だし、買っても500円の食器だ。

感傷に浸るのはやめて、ダンシャリした。



その他諸々、衣類、家財、食器、おもちゃ、本…、あらゆる分野のモノを細々とダンシャリしている。

それにしても、モノの多さに驚かされる。

全てのモノは、私か家族の誰かが家に持ち込んできたもの。

長い年月をかけて、これほど大量のモノが蓄積されていたとは…。

そしておそらく、その半分以上が断捨離しても困らない、今の私たちにとっては不要なモノたちだ。


頑張ろうっと

住まいをゴミ置き場から解放して、すっきり空間でのびのび暮すんだ!(…いつの日か)


断捨離との出会い(2009.10.24)

2010-07-14 18:39:08 | 断捨離とは?
突然の来訪者にも、笑顔で「いらっしゃい。さあ、あがって」と言えるくらい片付いた状態の家に憧れている。

装飾過多ではなく、すっきりシンプルで、ダイニングテーブルの上に雑多なプリント類やDMの類はなく、椅子の背にジャケットやセーターが掛けっ放しになっていることもない。

脱いだソックスが落ちていたり、窓の桟や電話機にうっすら埃が積もっていたり、コーナーにワンコの抜け毛がたまっていたり、宅急便の箱がそのまま放置されていたり、3日前の新聞や2か月前の雑誌が積み上げてあったり、お菓子の包み紙がパソコンの前に置きっ放しだったり、マンガ本や教科書が床の上に撒き散らしてあったりは、もちろんしない。


一輪ざしにすっと生けられた庭の花が、なんとも清々しい


そんな状態の家。


憧れてはいるけれど、いざ我が家を美しく保つとなると、何故だろう、…上手くいかない。

汚しまくる家族がいるから…、出した物を元の場所に戻す習慣がないから…、面倒くさがりだから…、理由は山ほど挙げられる。



だけど家が片付かない最大の理由は、モノが多いことだと思う。



私の愛読する「そうじ力であなたが輝く!」も、その他のお掃除&収納関連の本も、まず最初に不要物を処分する所から始まる。


いらないモノは捨てる。

分かっちゃいるけれど、この捨てるという行為はなかなか難しい。

せっかく処分しようと決心しても、その決心を鈍らせるブラックなパワーが存在するからだ。

まだ使えるから、もったいないから、思い出があるから、頂き物だから、高かったから、またいつか使うから。

そして、やっぱりとっておこう…と再び仕舞い込み、家の中はモノでいっぱい、片付かなくてイライラすることになる。



現在の我が家は、以前に比べると若干ましにはなったが、それでも常に散らかっている。

その状態を不快に感じながら、効率よく改善できなくて、それがまたストレスに繋がる。



そんな時、断捨離に出会った。

提唱者はクラター・コンサルタント(clutterはガラクタのこと)のやましたひでこ先生。

たまたま同県にお住まいで、あるキッチンリフォーム会社で行われたセミナーにひょんなことから参加した。


目から鱗がボロンボロン落ちた


掃除と片付けは別モノだったのだ。

家を整えるには、片付け→整頓→掃除の3ステップがある。

片付けは、モノを絞り込み取捨選択する作業。

整頓は厳選したモノをあるべき場所に収める作業。

そして最後の掃除は掃く・拭く・磨く作業。


片付けができていないと、掃除の作業は全然はかどらない。

掃除機をかけるには、まず溢れかえるモノをどかさないといけないからだ。

そして片付けなければならないモノの多さにうんざりして、そこで嫌になって挫折する。


基本は不要なモノを家から排除すること。

いかに収納するかではなく、モノを捨てて身軽になることなのだ。



では、その断捨離とはなんぞや。


「だんしゃり 断・捨・離とは、
自律神経と氣のレベルからモノとの関係を問い直し、
暮らし・自分・人生を調えていくプロセス

不要・不適・不快なモノとの関係を、
文字通り、断ち・捨て・離れ
引き算の解決方法によって停滞を取り除き
住まいの、暮らしの、身体の、気持ちの、人生の、
新陳代謝を促す・・・

住まいが、片づかないという悩みはもとより
身体の不調、煩わしい人間関係、忙しすぎる状況をも
解決していきます」

(やました先生のブログから抜粋)



モノを捨てるだけで、人生が好転するのか?

ウソだろ…と思いがちだが、確かに散らかった家にはマイナスのオーラがある

やる気をそぎ、笑顔を奪い、なんでも先延ばしにし、怠惰な気持ちを増幅させる、嫌~~なパワーがある。


それは私もなんとなく感じている。

だからこそ、息子の反抗期が熾烈を極めた時期、泣きながら玄関タイルを磨いたじゃないか。

そうすることに何の意味があるのか分からなかったが、磨かずにはいられなかった。

憎しみや軽蔑や嫌悪ではなく、愛情や笑顔や笑い声の満ちる家庭に少しでも近づけたかったから。


でもあの時は、闇雲に掃除をしていて、モノを捨てるという最初のステップがおろそかになっていた。

だから、一時的には綺麗になっても、すぐに元の木阿弥、キープすることができなかったのだ。


では、やってみようじゃないか、その断捨離とやらを。 

momoです、よろしく

2010-07-14 17:27:07 | 断捨離とは?
はじめまして。

ダンシャリアンのmomoです。

断捨離の記事が増えてきたので、新たにブログを立ち上げました。


断捨離とは、ただ単にモノを捨てる作業ではありません。

モノと自分の関係性に焦点を当て、執着を手放し、自分に本当に必要なモノ、自分をご機嫌にしてくれるモノを選択していくプロセスです。

断捨離で整えるのは、実は住まいではなく、自分自身。

生き方や人間関係にも大きな変化がもたらされます。


私が体験した断捨離、現在進行形でもありますが、その過程をブログにつづります。

まずは過去記事を、順次アップしていきます。