今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

援助物資の条件(ちょい辛口)

2011-04-13 15:19:55 | 日記

お掃除の神様、たった1日で帰っちゃった…。

クスン


まあ、仕方ないか。

神様もあちこちで必要とされてて忙しいだろうし、
1日びっちり居てくれただけでも、御の字だ。

ごきげんは、神頼みじゃなく、自分の手でゲットしなければ。



神が降臨した翌日は燃えるゴミの日。

なんと我が家から出たのは、45リットルゴミ袋が9袋


もしこれが、純粋に断捨離の成果であれば、それはもう素晴らしいとしか言いようがない。


…んだけど、違うんだな、これが。


実は、ブログに書くことをずいぶん迷ったが、誰かの役に立つかもしれないので、思い切ってアップする。


9袋のうち3袋は、町内一斉清掃で集めた落ち葉や枯れ草の類。

そして通常ゴミと断捨離で出たゴミが2袋ずつ。


残り2袋は…、



被災地に送るために寄付してもらった靴類だ。


善意で託してもらった品を捨てるとはナニゴトだ!…と叱られるかもしれない。

だけど私の個人的判断で、廃棄処分にした。


なぜなら…、状態が悪かったから


おそらく何年も下駄箱か倉庫に眠っていたのだろう。

女子が喜びそうなデザインだけど、強烈にカビ臭いスニーカー。

ファブリーズして天日干し、ついでに靴乾燥機にかけたが、臭いが抜けない。

…不快な臭いが玄関はおろか、2階まで充満してしまった。


グレーかと思ったら、びっしり埃で覆われたピンクの運動靴、
しかも年数が経っているからか、油膜と合体してこびりつき、こすっても取れない。


持ち主には、かかとを踏む癖があったのだろう。

後部全体が潰れてペッタンコのズック。


経年劣化で靴底のゴムがバリバリに割れた長靴もあった。


すでにガムテープが変色して、ウネウネになったダンボール。

箱も中の靴も埃をかぶっている。

処分しようとして、そのまま忘れ去られてしまった靴なのだろうか。

せめて箱のふたを閉めておけば、ここまで汚れなかっただろうに。




被災地には、何もない。

全て流されてしまった。

着の身着のまま逃げてきた人々は、どんなモノでも嬉しい。




本当に?



キツイ言葉で申し訳ないが、援助物資は施しではない。


自分が援助を受ける側だったとして、カビ臭いスニーカーが本当に嬉しいだろうか?

埃だらけのスニーカーを誰も欲しがらなかったら、
ゴミ処理場も機能していない被災地で、一体誰が処分するのだろうか?

ボランティア?それとも被災者の皆さん?


援助ではなく、邪魔になってしまう。



断捨離をする時、まだ使えるものを手放すのは辛い。

もったいない!・・・と罪悪感にさいなまれる。

そう、捨てる判断は、楽じゃない。

それなら、あげちゃえば?

無料なんだし、使おうと思えば使えるんだし、嫌なら捨ててくれていいし、
自分もいいことした感じで気分がいい上に、
こっちは捨てる辛さを味わわず、向こうも靴が手に入り、一石二鳥じゃん

…的なノリは間違っているんじゃないか?



援助物資は、必ずしも新品である必要はないが、
受け取った人が不快感を覚えない程度には状態のいい物でなければならないと思う。

現在の日本なら、それが可能だし、
状態のいい物を提供したからといって、家計が著しく圧迫されることもないはずだ。



不要物を処分したいのなら、捨てる痛みは自分で負う。

他人に、ましてや被災した方々に押し付けてはいけない。

ダンシャリアンは潔くありたい。



もちろん集まった靴のほとんどは、清潔で傷んでいない品。

きっと被災地でも役に立ってくれることと思う。

第二の人生(靴生?)、東北で頑張っておいで




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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぴよ)
2011-04-14 03:01:29
自ら仕分けをなさったなんて,やはりmomoさんは責任感が違いますね。


衣類もそうですが,洗っていないものを援助物資に入れる人とか,信じられないような方がおられるようです。
自分がもらって困るものは他人だって困るはずです。

大槌町では,支援物資募集の際,「フリーマーケットに出せる程度のもの。機能しないものは不可」という,あまりにも当たり前の基準を立てておられましたが…そういうことを言わなくてはいけない世の中(日本に常識が通用しない方が増えてきたこと)が悲しいです。
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Unknown (otayori)
2011-04-14 09:43:09
相手の方が、多分喜んで下さるであろうもの、自分がもらっても、うれしいもの、それが贈りものの条件ですよね。
大切な大切な人に、面と向かって、そのものがあげられたか。。。。

現地でも、このようなことが起こっているのでしょうね。

いろいろと動いてくださり、ありがとうございます。
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Unknown (ゆかこ)
2011-04-15 01:38:47
私も同じこと感じます
大切な人にあげれるものを支援物資にしよう
ブログに書いてくださり勇気に感謝
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これを自分がもらったら? (momo)
2011-04-20 09:15:35
>ぴよさん、援助物資には条件がある…と、今回痛切に感じました。
タダなんだから、何でもいいだろうという感覚はNGですね。
そして「いらなかったら捨ててくれていいから」という、一見相手を思いやっているような言葉も、実は捨てる痛みを肩代わりしてもらう言い訳のような気がします。
仰るとおり、ポイントは、自分がもらって嬉しいかどうかを考えることだと思います。。
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好きな人にあげるなら… (momo)
2011-04-20 09:22:38
>otayoriさん、相手が見知らぬ被災者の方ではなく、自分の大切な誰か…と考えると、分かり易いかもしれませんね。
自分の大好きな人に、果たしてこれをあげられるか?
なるほど、援助と処分の違いがはっきりします。
届けるのは気持ちです。品物の状態に、送り手の気持ちが表れます。
相手が不快にならないよう、ただでさえ大変な被災地の負担にならないよう、しっかり見極めなければ…と改めて思いました。
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物資は厳選する (momo)
2011-04-20 09:33:47
>ゆかこさん、共感してくださって、ありがとう。
大切な人にあげても恥ずかしくないモノに限定すると、物資の量は減るかもしれません。
でも処分寸前のモノを大量に送っても、たいして喜ばれず、却って処分の手間を増やしてしまうなら、それは援助ではなく、ただの邪魔になります。
それだけは避けなければ…と思います。
地元商店街でも、靴の募集を始めた…と新聞に載ってましたね。
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