土蔵白壁の街 松合
熊本・宇城市不知火町松合
-うきし しらぬひまち まつあい-
2014年12月23日~2015年3月8日 九州一人旅の記録)
松合は港と醸造で栄えた町です
古くから漁業の町として繁栄、
安政2年(1855年)には松合漁港が完成したことにより、
熊本藩第一の漁港として繁栄しました。
気候温暖で清冽な湧水に恵まれているため江戸時代には
万屋、財布屋、阿波屋、新酒屋といった造酒屋が
千石近い酒を生産していました。
その後、酒造業は醤油醸造に代わり
大宅、天満両家が参入したこともあって
松合は醤油の町へと代わっていきます。
明治維新後、
松合は飛躍的な賑わい、入船千艘と言われ
天草や島原を始め、遠く五島、薩摩からも魚が水揚げされていました。
松合の町は
山にまれた狭い土地に民家が密集しているため、大火にも みまわれてきました。
特に、文政9年(1826年)~天保2年(1831年)には、
4度の大火で、のべ871戸の家屋が焼失しています。
そのなかで白壁土蔵造りの家屋だけが焼失を免れたことにより、
土蔵造り白壁建築が行われるようになりました。
説明板より抜粋
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