「荒城の月」のモデル 岡城跡
大分・竹田市
(2014年12月23日~2015年3月8日 九州一人旅の記録)
標高325mの高さにそびえ立つ難攻不落の堅城。
文禄3年(1594)に豊臣秀吉の命により
播磨の国三木城からこの地にはいった岡藩初代藩主中川秀成が総勢四千人余で入部。
戦国時代の城郭を基礎として近世城郭の整備・城下の町割りなどを行った。
現在も石垣補修や環境整備のため有料となっています。
駐車場から、大手門か近戸門の険しい城道を登り、
城内の役所・家老屋敷跡を横目に本丸・二の丸・三の丸まで往復30分
本丸から くじゅう連山を近戸門からは阿蘇山と城下町を一望できるスポットがある。
二の丸には高等小学校時代に親しんだ
「荒城の月」の作曲者瀧廉太郎像(朝倉文夫作)があります。
瀧廉太郎は少年時代を竹田で過ごし、
荒れ果てた岡城に登って遊んだ印象が深かったとされ、
明治34年(1900)に中学校唱歌「荒城の月」を作曲、発表している。
ここから入城します
上ったところに
大手門
近戸門
阿蘇山と城下町を一望できるスポット
西中仕切から見た石垣
太鼓櫓跡
三の丸から本丸方面を望む
この階段を上ると本丸跡
岡城天満神社
城内に沢山植えられている桜が今頃は満開になっていると思います。
美しい石垣と桜
何時の日か桜のシーズンに尋ねてみたいものです。