並木たより

写真付き日記

アダプティブ・ルール    Adaptive Rule

2006-11-05 01:36:25 | 日記・エッセイ・コラム

道徳は相対的である。ゆえに人を導くにあたって、自分をその人の立場に置いて彼を導くべきである。公式によらず、実際によりて、彼の能力の範囲内において神の律法を実現すべく、彼を助くべきである。

われらはパリサイ人のごとくに高きに坐して命令を下してはならない。自ら低きに下り、救わんとする人の立場に立ち、その手を取り、その足を運びて、彼を理想へと導くべきである。

そうして、これ、我らの救い主イエス・キリストの取りたまいし道である。彼はサマリヤの女を導くにあたって、彼女の不倫を責めて彼女に不可能を強いたまわなかった。彼は彼女の能力に応じて、彼女を生命の泉へと誘いたもうた。

イエスは最大の道徳家であった。ゆえに、人に応じて道徳を教えて誤らなかった。道徳は、より低きより、より高きに導く道である。これを伝うるに、父の威厳と母の慈悲とを要する。われらは道徳を父の厳命とのみ解してはならない。 (内村鑑三)

「律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育係となったのである」(ガラテヤ書3:24)

Therefore the law was our tutor to bring us to Christ, that we might be justified by faith. (Galatians 3:24)

---------------------------------

(今日のお弁当)

Pict0002_97

.

.

.

.

.

.


同窓会    Class Reunion

2006-11-05 00:55:21 | 日記・エッセイ・コラム

Kurasukai_1

.

.

.

クラス会は良い。相手の年齢を尋ねる必要がない。

出身や生い立ちを気にしたり、当方に何を期待して寄って来るのかと勘繰る必要もない。

現在の身分や地位やらを(気にしなければ)気にしないで済む。

幼少年期の(今となっては)たあいのない隠し事や秘め事を暴露しあったりして、至福のひと時を過ごした。

「私たちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、幼な子らしく考えていた」(コリント前書13:11)

When I was a child, I spoke as a child, I understand as a child, I thought as a child. (1 Corinthians 13:11)

-------------------------------------

(昨日のお弁当)

Pict0001_92 .

.

.

(昨日の夕食)

Pict0005_32 .

.

.

.