六十年以上も前のことなのに、時々、思い出す。
幼稚園の時、先生が「明日、砂場遊びをしますから、なにか一つおもちゃを持ってきなさい」と言った。
なににしようか? と考えたが、考える必要などなかった。
おもちゃといえば、夜店で買った15円のブリキのポンポン船しかない。
なのに、夕方、畑から帰って来た親に「なに持っていったらエエんやろ?」ときいた。
きく必要などなかった。ないのだから・・・。
細かなやりとりは覚えていないが、夕焼けの中、父が、カブ(単車)の後ろに私を乗せて、富田林のおもちゃ屋さんに連れて行ってくれた。
店に着くと蛍光灯が白々と灯っていた。
蛍光灯すらめずらしい時代だった。
おもちゃ屋に行ったのも初めてだった。
両端の棚におもちゃがいっぱい並んでいる。
なににしようか? と思ったが、悩む必要などない!
棚のいちばん下にねっころがっているトラックを選んだ。
次の日、トラックを持って幼稚園に行った。
うれしいはずなのに、よく覚えていない。
ただ一つ覚えているのは、大きな山を一人でつくり、トンネルを掘ってトラックを通そうとしたら、誰かがトンネルをつぶして、大げんかになって、先生にしかられたこと。
まだ五歳の幼稚園生ということもあるが、その時、その時の感情気持ちを思い出せない。
初めておもちゃを買ってもらった気持ちや、それを家に持って帰った時の気持ちや、そのトラックで砂場で遊んでいた時の気持ち、壊された時の気持ちがあるはずなのに思い出せない。
そのあとに、買ってもらったトラックで遊んだのかも思い出せない。
人は嫌な思いは忘れてしまうものだとすれば、あまり良くない思い出だったのかもしれない。
にもかかわらず、時々、思い出すのは、親への感謝があるからだと思う。
この年になると未来はしれたものだから、現在にしがみついて、楽しい過去を思い出すのがいい。
なのだが、現在にしがみついていると、なかなか過去がよみがえってこない。
なのに、なんとなく幼稚園の頃の切ない思い出がよみがえったのは、こないだ、高校時代の同窓会があったからかもしれない。
100%楽しい中で、100%の切なさを感じて、200%の力で生きていたのが青春という時期なのだろう。
そんな青春時代があったからこそ、今があるのだ。
楽しくとも、切なくとも、過去には感謝で、現在をしがみつくのがいい。
※『たのしいおもちゃ (トッパンの写真絵本)』 トッパン 昭和27・※『社会科画集 小学初級』小学新教育研究会 編(国立国会図書館デジタル)