河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑――楽

2022年09月24日 | 菜園日誌

ペットは買っていない。旅行やグルメにも縁がない。
だから、ブログを書くネタに苦労する。ではない。

まあ、趣味・道といえば百姓仕事か。
百姓にとって彼岸がくるとしくなる。
彼岸花が一斉に咲き、地温が20度前後に落ち着いてきたことを教えてくれる。
たいがいの種を蒔いても芽が出る。
真東にある二上山の真ん中から陽が昇り、真上を通って極があるという西方浄土に沈む。
それを体感したかったのだが、あいにくの雨。
そこで、MP3の聞けるラジオで演歌の音をかけながら、家のガレージで種まき。

墓花用の撫子と桔梗。野菜は法蓮草と大阪しろ菜に野沢菜。
畑に直接まいても良いが、水やりや間引きがじゃまくさい。
セルに植えて、本葉が出そろった頃に畑に定植する。この方がである。
ここで、ふと考えた。
」という漢字に〈身体的負担が少ない〉いう意味があるのだろうか?

調べてみると古語には無い。「」の本来の意味は〈音楽〉の意。
音楽を聞いていると楽しくなるので「楽し」という語ができた。
楽をする〉意で使われ出すのは室町時代以降。どうやら仏教の影響らしい。
仏教の教えに「道楽」という語がある。仏道を求めるという意味で、「どうぎょう」と読む。
したがって、「道楽」は〈仏道を修めて得られる楽しみ〉の意である。
それがやがて「楽しみ」という意味だけが残り、「道楽息子」のように良い意味では使われなくなる。
そして、「道楽」の「」から「楽す(らくをする)」という語が生まれた。


に二種あり。俗楽道楽となり」
本来の道楽から外れた我が俗楽の身には、極楽往生はほど遠いか・・・。
いや、「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」
と納得して、芽が出そろうのを楽しみにしている彼岸である。

※下の絵葉書は京都大学付属図書館アーカイブより


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