おめでとう、よかったですね。
賛成 694844
反対 705585
now creationより転載しました。 http://nowcreation.jimdo.com/2015/05/17/ディスクロージャー/
(翻訳ありがとうございます)
ディスクロージャー
ディスクロージャーのプロセスを開始するときになりましたので、比較的最近の本物の画像を二つリリースします。ディスクロージャーのプロセスに関与している、ドラゴン筋からのものです。私は光の勢力から、この二つの画像が何であるかを、まだ明かさないようにと指示されました。なぜなら、そうしてしまうと人間のマインドは、憶測や知的な思考に走るからです。人々がエネルギー的に画像を直接体験する方が、ずっと大事なのです。
今後、私が本物の画像をリリースするときには、いつでもそのように明示します。
ブレイクスルーは近い!
福島復興の最強の案を私は考えました。
東京の政府をすべて、福島に移転させることです。住民だけに押し付けていないで、議員は率先して行うべきです。カンテイはもちろん、国会議事堂など、大きなものはすべて移していけます。更地になっているので、問題ないと思います。原発の近くなら、もっとも安全を身近に感じて、国民にアピールができて実に好都合かと思いますよ。カクリョウもご一緒に福島へどうぞ、住んでください。病院もありますよ。「放射能問題はまったくない」といっている病院ですから、安心ですよ。
福島をたべて応援もできます。オスプレイを買っているので、それで通勤もできるのではないでしょうか?どう思いますか?せっかくの高値で買っているのですから、一国の首相がつかわないって、もったいないです。アベバカチンは、カンテイに住んでいません。自宅あるいは、都内のホテルに泊まっているようです。自宅にも帰らないで、ホテルで何をやっているのですか?
シオニスト政権イスラエル軍が、パレスチナへの侵略を継続する中、ガザ地区中心部でパレスチナ人の農業関係者を銃撃しました。
パレスチナ・アルヨウムによりますと、シオニスト政権軍は16日土曜午前、軍用車両を使用してガザ地区中心部の難民キャンプの東部を攻撃し、パレスチナ人の農地に対して攻撃を加えています。
この報告からは、シオニスト政権軍の銃撃により、パレスチナ人の農業関係者が農地から退去させられたことが明らかになっています。
シオニスト政権軍はまた同日、ヨルダン川西岸の町ベツレヘムを襲撃し、パレスチナ人の若者3名を逮捕しました。
これ以前にも、シオニスト政権軍は15日金曜、ヨルダン川西岸の町バルアインで、シオニスト入植地や分離壁の建設に抗議するパレスチナ人のデモ隊を弾圧しました。
この報告によりますと、シオニスト政権軍はパレスチナ人の抗議者に対しプラスチック弾や音響爆弾、催涙ガスを使用し、これにより多数の人々が呼吸困難に陥ったほか、多数のオリーブの木が燃やされました。
スプートニク日本より転載しました。
米マスコミが予想、21世紀はロシアと中国の時代となる
(本来ならば孤立状態にあるはずの)ロシアと隣国中国との友好は強化される…。ニューヨーク・ポスト紙にベンニ・アブニ評論員のこんな論説が登場した。アヴニ評論員はこれには何の不思議もなく、「両国ともパワーポリティックを重んじ、米国が国際舞台で弱点を披露していることを笑っている」と書いている。
オバマ米大統領がロシアに対し、露骨に軽蔑的な態度に出たのは、オバマ政権が対露関係の「リセット」で大敗を帰した直後だった。アヴニ評論員は、オバマ大統領は「プーチン政権のロシアは孤立で破綻の瀬戸際にある」とまで豪語したと揶揄。
「だがこれはずいぶん前のことだ。火曜(12日)、クレムリンに対してなめたような態度がとられた数ヶ月の後、ケリー米国務長官はおとなしくソチに飛び、プーチン氏とセルゲイ・ラヴロフ外相とのコンタクトを得ようと努力した。」アヴニ氏はこう書いている。
アヴニ氏は、クレムリン側はワシントンに対し、完全な軽蔑を見せつけたとの見方を示し、その証拠として、最後の瞬間まで、ケリー長官、プーチン大統領との会談の承認を出したがらなかったことを挙げている。
ところが会談が終了するやいなや、ケリー長官は「おどおどと」交渉をコメントし、双方は「シリアスな突破」を行おうなどとは全く思っていなかったと言い訳を行った。
アヴニ氏は、ケリー長官が待つ間にプーチン大統領は露中の軍艦の合同演習の実施に自分の時間を割くだろうと指摘している。
アヴニ氏は「我々が中東で、そしてアジアで友を失くしている間に、『孤立した』プーチン氏はあちこちで連合国を増やしていくだろう」と強調し、西側諸国にとっては「中国、ロシアの愛の物語」は最良のニュースでもなんでもないと書いている。
「政治家らはよく『新たな米国のセンチュリー』などと言うが、そのかわりに21世紀が露中の時代とならぬよう、期待したいところだ。」
続きを読む http://jp.sputniknews.com/politics/20150516/344208.html#ixzz3aM08LGED
◆何か神妙な顔の二人ですね。この二人は友人のような顔です。
◆http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/pamphlet/kyumei.htmより転載しました。 これで終わりではないです。サイトの記事「事件の真相1」のみを転載終了しました。続きがありますので、上記のサイトでぜひご覧ください。
この事件の真相と謎について、知ることは、私たちの社会への目覚めになるはずです。社会は実際にはこのように、正義を貫けない形となってゆがんでいるのです。事実を知れば、あなたにもでっち上げ事件がわかるようになる、と思います。
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http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/pamphlet/pamphlet-1.htm#hajimeni
より転載しました。
知識人諸氏の奮起を期待する 真相を究明する会会員(大学教員、55歳・東京) 無責任な前言の"撤回" 私は、このかんの現地調査をおこなった仲間の報告をうけて、神戸小学生惨殺事件とそれをめぐる警察の「捜査」のおかしさをいよいよ確信することができました。けれども、いま多くの人びとは神戸事件の残虐性には心をいためながらも警察に操作されたマスコミの論調に影響されてしまっています。 〈立花隆氏〉 良心をかけ勇気をふるって発言しはじめた人びと もちろん、知識人の大多数が警察発表やこれに追随したマスコミ報道の解釈に終始しているなかにあっても、ひきおこされている事態への危機意識をバネとし、みずからの良心をかけ勇気をふるって発言しはじめている人びともいます。とりわけ作家の野坂昭如氏は、警察発表やマスコミ報道の数かずの矛盾をつきだし(「屍臭、さらに血の匂いに警察犬が反応したのを捜査員が無視したのは奇妙」「二年半で、こんなに文章の内容が変るかとびっくりするほど」「頭部と共にあったメッセージの原文は、まだ公表されていない」など)、「本当に少年が犯人なのか、僕はまだ疑問を持っている」と率直に疑問を提出しています(『週刊文春』七月十七日号)。
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http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/pamphlet/pamphlet-1.htm#hajimeni
より転載しました。
『週刊文書』(七月二四日号)のあるコラムで高島俊男氏は神戸新聞社に犯人が送った手紙について、「少年の手紙?」と題し次のようなみかたをしている。(以下引用します) |
少年の手紙?
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…はじめテしビを見て感心(?)したのは封筒の表書きである。タテ長の封筒の上の方に横書きでまず『神戸新聞社』とあり、その下に所書きが書いてある。……へえ、英語の手紙みたいだな。近ごろはこんなふうにまずズバリと相手の名前を書<のがはやるのかな、と思った。 ……次に『神戸新聞社』の『戸』の字が珍しい。ふつうわれわれがこの字を書くときは、まずチョンを書いてその下に『尸』を書く。しかるにこの封筒表書きでは上がチョンではなく『一』である。しかもその一が下の目」よりも横幅が長い。新聞を見ると活字はまさしくそうなのである。…… ……『酒鬼薔薇』の『鬼』の字。われわれはふつうこの字を書く際、まず『ノ』を書き、ついで下の部分を書く。しかるにこの手紙ではノのかわりに字の中央にごく短いタテ棒がついている。つまり字の上半分が『由』になっている。これも印刷字体ではそうなのである。
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このような高島氏のみかたからすると、この手紙はふだん日本語を書いていない英語圏の人が、活字を見ながらレタリングするように写して書いたものだということになる。 |
産能大教授・安本美典氏の指摘する筆跡の違い 筆跡鑑定の専門家である産能大の安本美典教授(言語心理学)は、次のように語っている。 「学校前に置かれた挑戦状あるいは神戸新聞社に送られてきた声明文と少年の小学校六年生の時の作文の筆跡ははっきり違っている〔下表参照〕。テしビなどで放映されている筆跡鑑定は似た字だけを取り出している。しかし活字に近い字は誰が書いたって似る。本当は筆跡鑑定はその人独特の癖みたいなものを取り出さないといけない。小六から中三までの三年でそんなに筆跡が変わるかどうか、非常に疑問である。私は少年が事件に関わっていた可能性はなお否定しえないが、疑問を暖昧にすべきではない。」 |
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/pamphlet/pamphlet-1.htm#hajimeni
より転載しました。
5月27日午後3時頃、早朝の頭部発見につづいて、竜の山(通称タンク山)にあるケーブルテレビのアンテナ基地の床下から、淳君の胴体部分が機動隊員によって発見された。そして、現場の発見状況からして淳君殺害・遺体切断の現場は別の場所とする報道がなされた。ところが6月中旬になると、これとはまったく逆に、タンク山が殺害・遺体切断の現場であるとする説が流布されるようになった。
現在では、A少年の「自供」と称して、次のような筋書きが描かれている。---24日午後A少年は「むしゃくしゃしていた。誰でもいいから殺してやろう」と思いたち、淳君を山に誘い込み、山中で首を絞めて殺害。いったんアンテナ基地の近くの窪地に遺体を隠す。「遺体を切ってみよう」と思いつき、下山して金ノコと南京錠を万引き。道具をもってまた山に登り、遺体を基地内にひきいれて隠した。翌24日午後、同基地内のコンクリート部分で遺体を切断。胴体部分は床下に隠し、頭部は草むらに放置した。道具一式を持って下山し向畑ノ池に捨てた。翌26日夜、タンク山に頭部を取りに行き、自宅に持ち帰り屋根裏に隠した後、浴室で洗った。そして翌27日未明に学校へ出かけた、---と。〔ただ、あとで述べるように、淳君を山に誘った時刻、殺害の時刻、遺体を基地内に引き入れた日時、などについて、各紙の報道は今日でも大きく食いちがったままである。〕
だがこのような筋書きはあまりにも非現実的なものである。われわれは、捜査本部発表を根本からくつがえす数々の決定的証言をえたのだ。
遺体発見直前、管理者が現場を見ていた!
われわれ調査団は、神戸市開発管理事業団ケーブルテレビ課の家田祥生事業係長に会って話を聞いた。
彼は5月27日の胴体部分発見の直前の午後1時半頃に、新人職員の研修のため、7人でアンテナ基地に行っていたのである。
彼は入口の南京錠があかないので、鍵を間違えて持ってきてしまったと思ったという。しかし、基地内に入れなかっただけに、より入念にフェンス越しに中を見たのである。その彼が言った。
「その時、何かいつもと変わったことは全然気付かなかったですね」
「遺体の一部とか、靴とか、血痕とか、そういうものは何も見ませんでした」
「匂いとかも気付かなかったですね。・・・金ノコの切り屑とかも気付かなかったです」
遺体切断の場所とされている基地内のコンクリート部分は目の前三メートルほどの所である。
「自供」のとおりA少年が淳君の遺体をここに運び込みコンクリートの上で切断したのなら、たとえ遺体は床下に隠されていて見えなかったとしても、相当の血のりが残っていたはずであり、家田係長らの目にとまらないはずがないのである。
また、今年の暑い5月末の気候のもとで殺害後三日が経っている切断された遺体が屍臭を漂わせないはずがないのである(5月24日=22.5度、25日=21度、26日=22度、27日=20.7度と、この四日間のこの地方の最高気温は---神戸気象台の記録によると---いずれも20度を上まわっている)
その前日の26日も同様である。PTAの捜索でケーブル基地まで行った友が丘8丁目の主婦3人は異口同音に「フェンス越しに中を見たけど気になるものは何もなかった」と語っている。
淳君の遺体を切断した場所が基地内のコンクリートの上などということは、絶対にありえないのだ。
捜索のまっただ中で遺体の切断ができるのか?
そもそもA少年がその日の午後にアンテナ基地で遺体を切断したとされている25日は、淳君の大がかりな公開捜査が行なわれており、タンク山には午前中から警察犬を連れた警官や住民が入っていた。
「タンクの脇から迂回して登っていくと薮の中を警察犬を連れた鑑識のような格好をした人が捜索をしていた」
友が丘8丁目に住むSさんはこのようにわれわれに語った。
しかも、淳君の通う多井畑小学校の先生たちやPTAの役員も付近を捜索していた。さらに日曜日ということもあり散歩で山に入る人々もかなりいたという。
このような大がかりな捜索のまっただ中で、警察犬まで出動している中で、しかもまっ昼間に、だれにも目撃されることもなく、南京錠を切断し、40キロあまりの淳君の遺体を運び入れ(一人で?)遮蔽物のないアンテナ基地のコンクリート部分でそれを切断するなどということが、どうしてできるというのであろうか。
明らかに、遺体の切断場所はアンテナ基地以外の別の場所なのである。
このように警察のいうA少年によるタンク山での淳君殺害・遺体切断の筋書きは矛盾だらけなのだ。
ところで、今回の事件が殺人・遺体切断・遺棄という大事件であるにもかかわらず、警察は、淳君殺害の時刻、南京錠を切断して遺体を基地に運び入れた日時、遺体を切断した時刻などを、今なお明確にし公表することをしていない。
だから警察のリークにすがるにすぎないマスコミ各紙の報道の内容もまっぷたつの有様なのである。たとえば「読売」「産経」は、「24日は遺体は草むらに置きっ放し。25日に南京錠を切り遺体を基地内に運び入れて切断」と報道し、「毎日」「東京」および「共同通信」は、「24日に殺害後鍵と金ノコを手に入れ、再び山に戻って基地内に遺体を入れ、25日に切断」と報道する、というように。
なぜ警察は、事件の詳細をあきらかにしようとしないのか? その理由はおそらくこうである。
24日の午後2時20分頃に北須磨公園で淳君が目撃されていること。また同日午後4時30分頃にA少年と友人がレンタルビデオ・ショップで会っている事実があること。これらのことからすると、警察は、「24日は殺害しただけ。南京錠を切り遺体を基地内に入れて切断したのは25日」という筋書きを描くしかなかった。
しかし他方、25日の午前中には警察犬まで出動して“山狩り”のような捜索が行なわれており、基地のすぐ近くまで行った警察犬と警官が、草むらに放置された淳君の遺体を発見できなかったとするのは、いかにも無理がある。そこで警察は、「A少年は24日中に南京錠と金ノコを手に入れ、再び山に入って基地内の床下に遺体を隠した」というストーリーを作らざるをえなくなったのである。---24日の一日だけでA少年が、山を二往復し、のすべてを行ったことにするために、公園付近での淳君目撃の情報は握り潰し、また殺害の時間も司法解剖結果ギリギリの午後二時頃にまで早めて。
そして「A少年の思いつき的な単独犯行」というストーリーを捏造するのに四苦八苦しているからこそ、A少年の家庭裁判所への送致にあたって検察が公表した「事件の経緯」では、殺害・遺体切断・遺棄などのすべてにわたって「午前」「午後」「未明」などの大雑把な表現でゴマかさざるをえなかった、というわけなのだ。
“あちらを立てればこちらが立たず”---A少年を犯人に仕立て上げるために、嘘八百を並べ立てデタラメな事件の筋書きを描いてきた警察は、しかしそうすることによって完全に自縄自縛となってしまっているのだ。
◆こんなに変わった犯人像と手口◆ | |
---|---|
【犯人像】 | |
年齢 黒いポリ袋を持った 三-四〇歳代の男 |
→ 一四歳の中学生 |
人数 車を使用した複数犯 | → 単独犯 |
【犯行の手口・凶器】 | |
計画的な犯行 | → 衝動的場当たり的犯行 |
殺しのプロの手口 | → 「切ってみよう」と思いついて |
電動ノコギリで切断 | → ナイフと金ノコ |
【犯行の場所】 | |
殺害 タンク山以外の別の場所 | → アンテナ基地近く(五月二四日) |
遺体切断 アンテナ基地以外、 胴体部のみ運び込む |
→ 基地のコンクリートの上 (五月二五日) |
【頭部遺棄】 | |
時間 神戸新聞配達員がみていないと証言した五時一〇分以降 | → 五月二七日午前O時に起きだし 午前一時から三時の間に |
場所 壁の上から校門プレートの下、さらに鉄製門扉の中央に | → コンクリートの壁の上に置こうとしたが落下、鉄製門扉の中央に置く。その後移動なし |
【南京錠の切断】 | |
大型のボルトクリッパーを使用 | → 金ノコを使用 |
連休前に交換 | → 殺人の後に万引きして交換 |
【犯行声明文の投函場所】 | |
神戸西局管轄内のポストと断定(消印に戸または中と読める一字がある) | →菅の台の郵便局前のポスト(須磨北周の集配で消印は須磨北) |
【動機】 | |
「義務教育と社会への復讐」 | →少年に体罰をおこなった学校への恨み →ホラーマニア →祖母の死を契機に死に関心 |
ナイフと金ノコでは遺体のような切断面はできない 捜査本部の対応は金ノコ発見にまつわる異常さだけではない。犯人が残していった他の物的証拠との関連からしても、この少年の逮捕後に新たに発見された凶器なるものは決して犯行に使われたものではないことは明らかであった。 南京錠がなぜ発見されなかったのか? 金ノコと一緒に、切断したアンテナ基地の南京錠と取り替えた新しい南京錠の鍵のふたつを池に捨てたと少年が供述したとされていた。しかし、古い南京錠と新しい南京錠のカギを発見できないまま、突然、捜査本部は池の捜索を打ち切った(7月13日)。 犯行声明の投函場所を示す消印を抹殺 権力は物証の捏造を公然と行ってさえいる。捜査本部は当初、神戸西郵便局内のポストで投函されたとしていた「第二犯行声明」の投函場所を、その後菅の台郵便局の前のポストであると流しはじめた。 A少年を犯人ときめつけてみせる警察権力の理由づけは、"小学生惨殺に使用した凶器がA少年の自供した通りの場所から見つかった"という、ただこの一点にすぎない。 |
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/pamphlet/pamphlet-1.htm#hajimeni
より転載しました。
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/pamphlet/pamphlet-1.htm#hajimeni
より転載しました。
◆ サカキバラ事件は免罪ではないか?おぞましい記憶が残っているので、もしかしたら、この記事を読みたくない人もいると思います。けれども一人の少年の罪がすでに終わって社会に復帰しているにも、関わらず相変わらず、彼の現在を執拗にPCに載せている悪質なものが出回っています。また、私たちの誰もがこの少年になりうる可能性がある、事件だと思いますし、今でも似たような免罪事件がでっちあげられている、可能性があります。これは真相を調べて来た市民の記事ですから、ぜひ。読んでほしいと思います。 免罪事件とは実に恐ろしいものです。
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神戸小学生惨殺事件の真相 その1
権力の恐るべき犯罪----神戸小学生惨殺事件の真相
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/pamphlet/pamphlet-1.htm#hajimeni