表題にもあるように、
たしかに、なぜこんな時代というか、時期というか、そんなときに〝司馬遼太郎〟を読むのか?
そうした疑念をもつのは、一つの理かも知れません。
これまで、わたしも司馬遼太郎の本は、それなりに読んできました。
でも、司馬遼太郎には、どっかに保守的な雰囲気が纏わりついていて、というか〝司馬遼〟を好む読者層が、多くは大会社の重役だったり、戦後日本の高度成長期に功成り名を遂げた企業人だったりして、よくお店でも、料理もお酒も美味いけど、やたら成金めく客ばかり、つまりは客筋が悪い店があるように、司馬遼太郎の小説もそんなファンが多いように見えて、大学生のころは敬遠していたように思います。
とは言うものの、1986年ころから司馬遼太郎は小説を書かなくなります。そして『この国のかたち』というエッセイの連載を行うようになるわけですが、それを読んでいくと、司馬遼太郎が、詩人田村隆一などと同じように「学徒出陣」組で、特攻だったり、南方に送られたりしたわけではないものの、あきらかに〝戦争〟の中に自身の死に近似した経験をもつ者の、ある種の「精神の歪み」といったものが見えてくる。
そして、そうしたものが、なぜ『この国のかたち』を書きはじめることから明示されていったのか。もしかして司馬遼太郎は、「この国」の未来に、あるいは世界の流動に、なにか不吉な暗渠を見ていたのではないか。
作品やエッセイを読んで思うのは、司馬遼太郎、本名の福田定一は、おそらく好奇心の強い、読書好きで、物知り、好事家といった市井の人だったように思います。さかんに冗談も言う、それなりに人に合わせて調子よくやれる。まじめな話をしても、とつぜんコテコテの大阪弁で、「ほな、儲かったやろねぇ」などとニンマリするような人だったように思います。
そうした面白話を好む人物が、突如としてなにかに怒っているいるような表情になる。だからといって、だれかに教わった文切りの言葉やお題目のような、いわばイデオロギーの岩盤が透けて見えるような言葉は使わない。
できるだけ、どんなふうに考えたらいいのかをたぐり寄せるように、「国家」や「歴史」、そして「人間」や「文学」に思考の錘を降ろしていく。
そうしたたたずまいに、なぜか司馬遼太郎の本を読んでみたいという思いを抱かせる源泉があるように思うわけです。
いま「世界」は、あちらこちらで苦しんでいるのだと思います。そして、多くのひとびとは、どう生きればいいのか、日々の暮らしも含め、どう楽しみを見いだせるか。周りの人びと、上手くやっているか。それが見えてこない。そんな気持ちでいるようにも思います。
戦争、弾圧、恐怖、絶望、不安・・・。そうしたわたしたちを取り巻くいまのもやもやをどうすればいいのか。
そう考えると、やはり、ここにはどう生きるかの態度を示す羅針盤があった方がいいように思います。
いまこの講座をしようという意図はまさにそこにあります。
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