今日18日(火)は曇りですが、県内は昼過ぎから大雨となるところがある見込みです。
まだまだ心配な空模様です。
さて、7月13日の福島市民家園の続きです。
旧筧家宿店
江戸末期~明治10年代に、旧会津街道と旧米沢街道の分岐点に建てられました。
元客自軒(旧紅葉館)
元客自軒は、幕末から明治初期にかけて福島有数の割烹旅館で、福島の歴史上重要な舞台
となったことで知られています。慶応4年(1868)に、北南町の金沢屋(かなざわや)に投宿
していた奥羽征討軍の下参謀世良修蔵(せらしゅうぞう)を、仙台藩士が襲撃し、金沢屋の
北側にあった「客自軒」に引き立てた後、阿武隈川畔で斬殺した事件があり、これが引き
金となり東北の諸藩すべてを巻き込んだ戊辰戦争の拡大につながっていきました。
明治中期に所有者が代わり「紅葉館」と改名されましたが、福島の自由民権運動の中心人物
である河野広中(こうのひろなか)が命名したと言われています。
その後、割烹旅館から下宿業にかわり、昭和61年に解体されるまで利用されていました。
建築部材はすべて細かく、当時の町家造の手法に近く、略式化した数寄屋造りの手法が
みられます。復原にあたってはのちの増築部分を除き、江戸後期頃の「客自軒」にあたる
部分を原形に復しています。
旧広瀬座 国指定重要文化財
旧広瀬座は伊達郡梁川町の広瀬川川岸に当時の唯一の大衆娯楽施設として、明治20年
(推定)に町内の有志によって建てられた芝居小屋です。
舞台中央は回り舞台でその床下には奈落があり、花道・ぶどう棚・ちょぼ席など芝居小屋
として必要なものはひと通り備えています。外観も全般にわりあい簡素で古い形式ですが、
小屋組には明治中期の建築を反映して、梁の長い洋風な造り(真束小屋)が採用されました。
舞台の裏手は楽屋になっており、板壁には当時来演した役者たちの落書きが多数残されて
います。このような芝居小屋は全国的にみても数棟しか現存していません。
明治の終わりから大正にかけて、次第に芝居の間に映像を入れる連鎖劇が上演され、
昭和になると活動写真(映画)の人気が高まっていきました。昭和24年にはついに、
映画館として改装され新たな娯楽施設となりましたが、テレビの登場で次第にすたれて
しまいました。広瀬川のたび重なる氾濫で被害を受け、昭和61年の洪水のあと、川幅を
広げるため取り壊されることが決まりましたが、貴重な芝居小屋を残すため民家園で
復原されました。なお、周防正行監督映画「カツベン」やNHK朝ドラ「エール」の
撮影ロケ地にもなりました。
ネジバナ