今日18日(木)は晴れのち曇り、最高22日度、最低6度の予報です。
昨日は黄砂が凄かったです。出かけてきたのですが、山が霞んで見えました。
今日も同じようにぼんやりとして見えます。昨日の福島 吾妻小富士です。
帰りの東北中央道、山がうっすらとしか見えません。
家に帰って、夕焼けを撮るつもりがこんな空でした。
本当に黄砂には困りますね。
我が家の庭では白、黄色に続いてピンクのイカリソウも咲いていました。
昨日のお月さまです。
午後3時19分撮影
午後6時34分撮影 月齢8.4
さて、13日の桜紀行の続きです。国道348号を走り上山市に来ました。目的地は
上山城です。駐車場は満車状態でしたが、出ていく車もあるのでなんとか駐めることが
できました。やはりお城と桜は絵になります。福島県会津若松市の鶴ヶ城は格別ですが、
近場ならここがお薦めスポットです。
上山市街と蔵王の山並みを桜と一緒に見ることができます。
「幕府の厳しい宗教統制として元和法度(幕府の禁止令)や紫衣(しえ)事件(天皇の詔で
決まっていた大徳寺の住職を幕府が決め、また天皇から賜る紫衣着用は幕府が認めた者
に限るなどが定められた)に対し強く抗議した京都大徳寺の沢庵禅師(たくあんぜんじ、
1573〜1646)は寛永6年(1629)8月に出羽国上山に流される。
本丸北の堀端の上には、見事な桜の古木があり、沢庵禅師もこの桜花を眺めて、配流の身
を慰められたといわれ、多くの領民は『沢庵桜』と愛称していた。
元禄4年(1691)に、土岐頼行公の跡を継いだ頼孝慇公が一万石加増で大坂城城代に
栄進し、翌5年に転封となった後、上山は幕府領となって上山城は破壊され、沢庵桜も切
り倒されそうになったとき、幕府の代官は、由緒有る桜樹を惜しんで、切らずに残そうと
したが、幕名には背けず根本から3メートル余りの幹と枝を残して切り取らせた。
その時の代官の歌に、
『そよ風も いとひしものを 桜木二 斧打つ音を 聞くぞかなしき』 小野浅之丞
『手折りしも いとひしものを 今とても 根をたへねと八 いかておも八ん』 永田作太夫
後任の金森氏が5年間在住の後、同10年松平信通公が着封、その家臣中山四郎右衛門は、
荒廃した上山城跡に一際美しく咲いている沢庵桜を眺め、両代官の残した歌に感動し、
一首の歌を詠んでいる。
『斧の音 くたく言の葉 なかりせ八 月岡山の 花をや八見し』 中山四郎右衛門
沢庵桜はその後も上山城の春を飾ったが、30年後に惜しくも枯れ果ててしまったという。
しかし、その根本からは蘖が成木しており、西紀2000年を記念して有志相はかり、その
成木から苗木を育て、上山城跡はじめ禅師縁の地などに植樹して、沢庵禅師の遺徳を偲び、
温情と勇断をもって愛護した先人の心情を称え、後世に語り伝えようとするものである。」
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