女性たちのお悩み相談を聞くと、
「誰々のせいで、ひどい目に遭った」
というのばかりだ。
しかし一般論で言えば、
50%は女性側の責任なのだ!
たとえば、四柱推命学を勉強すれば、
すぐにそのことに気づくだろう!
「誰々のせいで、ひどい目に遭った」
ではなく、
「半分は自分のせいなのだ」
に気づけば、
不幸の連鎖から、解放されるだろう!
人生を楽しく生きることができるだろう!
いつまで自分を不幸にすれば気がすむのか?
女性たちのお悩み相談を聞くと、
「誰々のせいで、ひどい目に遭った」
というのばかりだ。
しかし一般論で言えば、
50%は女性側の責任なのだ!
たとえば、四柱推命学を勉強すれば、
すぐにそのことに気づくだろう!
「誰々のせいで、ひどい目に遭った」
ではなく、
「半分は自分のせいなのだ」
に気づけば、
不幸の連鎖から、解放されるだろう!
人生を楽しく生きることができるだろう!
いつまで自分を不幸にすれば気がすむのか?
小池都知事のカイロ大首席…は面白い
・・・と思う。
なぜなら、どんな女性でも、
「私はミスコンでグランプリを取った」
と言えるのだ。
たとえば、
「私の住んでいる町会は20世帯だが、
その中で一番美人」
と言える。
ミス町会グランプリだ!
もっとすごいのは、
「私の住んでいるアパート双葉荘で、
一番美人だった」
とも言える。
ただし、双葉荘は6世帯で、
住んでいる若い女性は、
2人しかいなかった・・・と言うこともあり得る。
ミス双葉荘グランプリだ!
もっともっとすごいのは、
「私は一人っ子の女の子。
私の家族の中では、当然、一番きれいな独身女子だ」
つまりミス家族グランプリだ!
もっともっともっとすごいのは、
一人暮らしの女性は皆、
「自分の部屋の中」では、
ミスグランプリなのだ!
ミス自分の部屋グランプリだ!
小池都知事も、
「日本人留学生の中では、首席だった」
とも言えるし、
「私のクラスの日本人留学生の中では、首席だった」
とも言える、
だって、「私のクラスの日本人留学生は一人だけ」なら、
当然そうなる。
ミス・グランプリや首席卒業は、
条件さえ隠しておけば、
決して、間違いではないのだ!
恋人や夫がいて、
性的に満足している女性や、
80,90歳の女性は別として、
ほとんどの女性は内心
「ああ、抱かれたいなあ」と思っているもんだ。
あるいは、ときたま、そういう気持ちになるときがある。
でも、実際に、男が女性の体に触ると、
「きゃっ、やめて」
となる。
世の中、難しいもんやで。
60歳以上の人と話をするのは、
「60歳過ぎたら、いつ死んでもおかしくないよな」
である。
数日前、四国愛媛出身の70歳の男性と話した。
彼は、淡々と
「中学時代の同級生は、半分くらいは死んでるよ」
と言っていた。
大地一人65歳、「まさか」とは思ったが、
ありえないことではない。
老後は、心身ともに、
できるだけ健康でありたいもんだ。
2018年6月18日、
俳優の加藤 剛さん、80歳で亡くなれた。
大地一人、子どものころ、
フジテレビの「三匹の侍」で、大型俳優が現れたなと思ったが、
その後も、期待通りに、
いい演技を見せてくれた。
しばらくは、ゆっくり休んでいただきたいと思います。
ずいぶん昔の話ですが、
大地一人、歌手の小田和正氏の音楽を、
批判しましたが、
それは、
「高い見地からすると、本当の男女愛を歌っていないのではないか?」
という意味です。
もちろん、彼の人格などを非難するものでは、
まったくありません。
大地一人、一般論で言うと、
男女愛の50%は、「性欲」と関係あると思います。
ですから「男女愛は100%すばらしい」
とは言えないと思います。
仏教でも、恋愛を否定的に見ています。
それは「色即是空」の言葉にあるように、
「恋愛は執着につながるから」です。
恋は性欲と関係あるので、
苦しみにもなります。
つまり、小田和正氏の歌う恋愛は、
仏教の執着を感じさせる・・・と本能的に思ったわけです。
もちろん、大地一人も、女性は大好きです。
でも、最終的に、女性を心で愛したいし、
それが永続的な愛につながると思っています。
心で愛すれば、
女性が寝たきりになっても、
大病しても、
愛することができると思います。
性欲で愛すれば、
女性が病気になった時点で、アウトになります。
離婚につながります。
逆に言えば、
「本当の恋愛歌には、50年たっても、
おまえが病気になっても、おまえを愛するぞ」
という部分がないといけないと思います。
小田和正氏の歌う恋愛には、
高い見地からすると、そういう「危うさがある」
・・・と思ったわけです。
しかし、小田和正氏のような恋愛歌があっていいし、
それは個人の自由であり、
また彼のファンの求めるものであればいいわけです。
また、かくいう大地一人だって、
一時的であれば、
性欲で女性を選ぶこともありました。
つまり、自戒の意味も込めて、
小田和正氏を批判した・・・というわけです、ハイ。
(また小田和正氏を批判した気持ちの中には、
嫉妬心もあったことは、確かだと思います)
ただ、小田和正氏も、
なぜタモリさんなどから、あれほど嫌われたのか?
ということを、考えてほしいと思います。
きっとタモリさんも、同じ男として、
大地一人と似たようなものを感じたのでしょう。
小田和正氏には、
日本および人類のために、
今後とも、創作家として、頑張ってほしいと思います、ハイ。