金田正一投手は、不世出のピッチャー
・・・という人がいる。
なにせ、400勝あげたんですからね・・・と。
確かに、一流のピッチャーであったことは間違いないが、
「不世出」のピッチャーと言うならとんでもないだろう。
まず彼の400勝に驚嘆する人は、
当時のピッチャーの登板スタイルを知らない人だ。
当時のピッチャーは、先発投手だって、
どんどんリリーフもやった。
一応は先発で投げるが、
チームが、勝ちそうなときは、
「行け行けどんどん」で、リリーフでも投げていたのだ。
特に、彼の所属していた国鉄スワローズは弱かったから、
勝てると思ったら、すぐに彼がマウンドに登った。
監督の指令がなくても、
彼が勝手にマウンドに上がったのだ。
そうやって、勝ち星をどんどん稼いだのである。
だから当時は30勝投手は全然珍しくなく、
稲尾投手などは一年で42勝もあげているが、
これもリリーフをやったからである。
言葉は悪くて申し訳ないが、「つまみ食いの勝ち星」である。
そういうことが巨人に移籍してからはできなくなり、
勝ち星が、ガタッと下がった。
巨人時代の5年間の勝ち星は、
11,4,16,11,5・・・と、
並みの先発ピッチャーになったのである。
しかも、400勝と言うが、負け数も298敗であり、
歴代通算最多であり、
さらには、シーズン敗戦数も、3度も、最多敗戦投手になっているし、
(1951.54.60)
負け数が勝ち数以下のシーズンが5度もある。
(1950,52,54,60,66)
最低でも、勝ち星が負け数を上回るのが、
真の一流ピッチャーの証ではないだろうか?
またコントロールが悪く、
シーズン3度も最多四球を与えている。
3度最優秀防御率を取ったのは、
さすがに一流の投手と言えるが、
彼の投球スタイルは、「サインなし」で投げていたのだ。
打者の打ち気を最後の瞬間で判断できるので、
ピッチャーには有利だったが、捕手泣かせだった。
国鉄の根来(ねごろ)捕手は大変だっただろう。
またもう一つ。
当時はバッティングマシーンがなかったので、
彼のような速球派投手は、非常に有利だった。
また彼の言動は超ワンマンで、金田天皇と呼ばれていたが、
今の時代なら、とても通用しないだろう。
ただ彼は、健康管理には熱心だったのと、
もともと体が丈夫だったのが、幸いした。
健康管理は個人の責任なので、
これは立派だったと思います。
また性格が明るかったのは、彼の大きな長所と言えるでしょう。
ま、とにかく、400勝にだまされないでほしいですね。
今の時代なら、間違いのう、半減でんがな。