さて4回目。
まずは「51回定期」の曲目から。モーツァルトの「15番」「16番」。以前の定期でもすでに演奏していますが、初回と再演では曲がまったく違って見えるものです。
初回では「曲を知る」という作業が練習の大部分を占めます。構造を理解する、とか、流れを覚えるとか。すると、そのつもりは無くても、おのずと受動的な姿勢になるのです。本を読むとか映画を観るような。それが少しずつ、人に聴かせるための「朗読」のようになって本番を迎えるわけです。
ところが、再演の場合は「曲をつくる」ことから入れます。筋も台本も頭に残っているので、「役づくり」から入れるような感じ。それも、「前回よりも活き活き動かしたい」という欲がはじめからあるので、能動的になります。
ということで初期の練習は、破綻を恐れずに「つくってきた役」をぶつけ合う感じになります。これがまた楽しい。前に楽譜に書き込んだ通りのことを漫然とやると、他のメンバーから見事に裏切られたりする。またそれに説得力があったりすると、気持ちのよい「やられた感」につながる。
先日受けたレッスンで出された、「表現の幅を広げる」という課題をそれぞれに意識しているのもわかります。
さすが名曲の数々、一度きりでは味わえないものだということがよくわかりました。4月の本番まで充分に楽しんで、それをお客さんと分かちあえるようにしたいものです。
まずは「51回定期」の曲目から。モーツァルトの「15番」「16番」。以前の定期でもすでに演奏していますが、初回と再演では曲がまったく違って見えるものです。
初回では「曲を知る」という作業が練習の大部分を占めます。構造を理解する、とか、流れを覚えるとか。すると、そのつもりは無くても、おのずと受動的な姿勢になるのです。本を読むとか映画を観るような。それが少しずつ、人に聴かせるための「朗読」のようになって本番を迎えるわけです。
ところが、再演の場合は「曲をつくる」ことから入れます。筋も台本も頭に残っているので、「役づくり」から入れるような感じ。それも、「前回よりも活き活き動かしたい」という欲がはじめからあるので、能動的になります。
ということで初期の練習は、破綻を恐れずに「つくってきた役」をぶつけ合う感じになります。これがまた楽しい。前に楽譜に書き込んだ通りのことを漫然とやると、他のメンバーから見事に裏切られたりする。またそれに説得力があったりすると、気持ちのよい「やられた感」につながる。
先日受けたレッスンで出された、「表現の幅を広げる」という課題をそれぞれに意識しているのもわかります。
さすが名曲の数々、一度きりでは味わえないものだということがよくわかりました。4月の本番まで充分に楽しんで、それをお客さんと分かちあえるようにしたいものです。