2011年12月21日の朝、バラク・オバマ米大統領は、メリーランドのアンドリューズ空軍基地で、イラク戦争の終結に区切りをつけ、イラクにおける米軍の最高司令 官、ロイド・オースティン大将の帰還を祝う式典を主催した。
大統領が同意を表してうなずく中、オースティン大将はこう宣言した。"わが軍が、ほぼ9年間に わたって、イラクで達成したことは、実に素晴らしい。我々の同盟諸国と、献身的な民間人団体と共に、彼らは残忍な独裁者を排除し、イラク国民に自由を与え た。"
ゲーリング元帥も、ポーランド“解放”について、これ以上うまくは語れなかったろう。
イラクからの最後の"戦闘”部隊撤退、決してアメリカの対イラク介入が終わる区切りになるわけではない。とはいえ、それは現代における最大の犯罪の 一つを見極める機会にはなるだろう。"成功"と“自由"という胸の悪くなるような偽善的まじない文句など、どうであれ、戦争と占領は、イラク国民にとって の大惨事であり、アメリカ合州国の国民にとっての悲劇なのだ。
統計によって、アメリカ軍が押しつけた破壊の規模を、多少は推し量れるだろう。
・ 2007年に行われた科学的推計によれば、侵略と占領の結果、100万人以上のイラク人が殺害された。2008年に、国連は、470万人、つまり国民の約16パーセントが、難民と化したと推計している。
・ 電力システムを含むイラクのインフラは徹底的に破壊された。国連のState of the World's Cities(=世界の都市状況)、2010-2011年報告によれば、公衆衛生や水道等の生活にとって基本的なものが使えないものとして定義される、ス ラムで暮らすイラク人の都市人口比率は、2003年の20パーセント以下から、2010年の53パーセントへと増加した。
・実際の失業は、50パーセント台にあり、インフレは50パーセントを越える。医師や他の専門職が大量出国しており(戦前のイラクにいた人々の40パーセントと推計されている)、教育制度は荒廃している。
・ イラクでは幼児や子供の死亡率が驚くほど増加している。2007年報告は、子供達の28パーセントが慢性的栄養失調に苦しんでいると推測している。 2007年、あるイラク政府機関は、イラクの子供の35パーセント(約500万人の子供)が孤児だと報告している。一つの世代丸ごと、両親が殺害されたか、不明になっているのだ。
・ 戦争と占領の中で、4,500人以上のアメリカ兵が死亡し、30,000人以上が負傷した。これには、深刻な精神的な傷を抱えたままイラクを去った何万人もの人々は含まれていない。
・ 資源という点では、イラク、アフガニスタンとパキスタンでの戦争は、直接経費と、医療や経済成長に対する長期的な影響を含め、およそ4兆ドルかかったと推 計されている。数千億ドルが、国防関連契約業者や悪徳業者に注ぎ込まれ、少なくとも160億ドルは、単純に、失われたか、盗まれてしまったのだ。
◆2001年12月3日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、その年の911を受けて、対テロ戦の次の対象として、イラクのサダム・フセイン政権を打倒すべきだとの主張が、ブッシュ米政権内部と周辺の保守グループで急速に強まっていると報じた。
共和党保守派のギングリッチ前下院議長は「サダムは悪であり危険だと見る勢力が優性になっている」と指摘している。同紙によると、政権内ではラムズフェルド国防長官、ウルフォウィッツ同副長官らが、イラクの反体制勢力を援助し、フセイン政権を軍事的に打倒する戦略を主張。キッシンジャー元国務長官やブラウン元国防長官ら18人の有力安保関係者が名を連ねる「国防政策協議会」が理論的支えで、その中核はパール元国防次官補という。
これに対して、パウエル国務長官、アーミテージ同副長官、ジニ中東特使らは、同盟国と協力してフセイン政権に国際査察を受け入れさせ、同時にイラク制裁を効果的にするとの立場とされている。
2004年1月30日
イラク戦争の真実・・大量破壊兵器は存在しなかった
日本で国論を二分して自衛隊のイラク派遣の是非を問うていた最中、肝心のブッシュ政権のお膝元からイラク攻撃の不正を告発する爆弾証言が飛び出してきたことは何とも皮肉であった。
英米のイラク攻撃から時間の経過とともに、この戦争が不法、不正義の戦争であったことがますます明らかになってきている。
1 つ目はいうまでもなく開戦の大義名分である。
開戦にいきり立つ米国に多くの国は反対し、IEAの査察
の続行を支持して、国連も先制攻撃に反対し、反戦デモも世界各地で盛り上がった。
しかし、強い反対を押し切って「イラクの大量破壊兵器(WMD)が国際社会に脅威を与え、アメリカにもその脅威がさし迫っている」―と『脅威』を全面的に振りかざして米国は見切り発車した。米世論がブッシュを支持したのも、この脅威のためであった。
ただ、この時、米英によって国連に示された脅威の証拠、大量破壊兵器の存在の証拠が何ともズサンであったこと、すぐ底が割れる情報操作された疑いの強いものであったことは記憶に新しい。
こうした、米英のなりふりかまわぬ姿勢に、逆に多くの人が「大量破壊兵器は存在しないのでは!?・・」と疑問を感じたことも事実である。そして、フタを明けるとあんの定『先に攻撃ありき』だったのである。
デビッド・ケイ前大量破壊兵器調査団長(CIA 顧問)は1月28 日の米上院軍事委員会の公聴会で「私を含めてみんなが間違っていた。調査活動が85%ほど終了した今、生物・化学兵器が発見される可能性はもうないだろう」と証言した。
ブッシュ政権はフセインを倒すために大量破壊兵器(WMD)の脅威がでっち上げたのである。
では、大量破壊兵器は一体どこにいってしまったのか。
95 年にイラクから亡命した湾岸戦争当時、大量破壊兵器開発の責任者であったフセイン・カメル元中将(フセイン元大統領の長女の夫・故人)は「化学兵器は湾岸戦争後
に破壊した。生物兵器も国連の査察後、すべて廃棄した」と証言しているが、ケイ団長もこれを裏付けた形で「生物・化学兵器は国連査察とイラクの独自対応で廃棄された。90 年代半ば以降、大規模な備蓄はなかった」と述べている。これがほぼ真相だろう。
父子ブッシュ政権時代、イラクのサダム・フセインが「生物・化学兵器を製造している」として、2度にわたり行われたイラク戦争。
この生物・化学兵器の原料は、アメリカ政府自身がイラクに販売していた。
イラクが、この兵器原料を購入する資金は、通称サダム・フセイン銀行と呼ばれるイタリアの銀行BNL=バンカ・ナツォナローレ・ラボロのサダム・フセインの口座に「何者か」から送金され、供与されていた。
送金を行っていた送金元の名義は、キッシンジャー・アソシエイツ社であり、その経営者は歴代アメリカ政府のブレーン・相談役として活躍してきたヘンリー・キッシンジャーであった。
イラクが生物・化学兵器を開発するための資金は、アメリカ政府自身が「提供」していた。
イタリアの警察組織が、BNLへの捜査を開始すると、
銀行BNLの頭取が、BNLのビルの窓から外壁に向け、首吊り状態でロープにブラ下がった他殺死体で発見された。
「本当の事を話せば、こうなる」という、見せしめ・脅迫であった。
フセインとブッシュ一族は古くから強い絆で結ばれている。
若きサダム・フセインがCIAのエージェントになったのは1958年のこと。以来、フセインはアメリカ政府の援助を受けながら、エジプトでの亡命生活を経て、イラクの独裁者へと成り上がっていったのである。
その間、フセインと深くかかわり、最大のスポンサーとなっていたのが、CIA長官も務めたブッシュ元大統領、パパ・ブッシュだった。
とりわけ、80年代はイラクとアメリカの蜜月時代で、石油ビジネスとCIAを行き来していたパパ・ブッシュは、フセインと合弁会社をつくり経営するほどの一心同体ぶりだった。一方、フセインはアメリカを後ろ盾に石油を売りまくった。そのリベートを山分けするため、2人はイタリアの銀行「BNL」のシカゴ支店に匿名口座を開設した。
当時の記録によれば、フセインとパパ・ブッシュは10兆円を超える資産を共有していたという。この事実を裏付ける証拠書類が、なんとアメリカ議会下院の銀行委員会に提出された。全く別件の関連資料の中から見つかったというのだが、そのことを知ったパパ・ブッシュが委員長に口止め工作をしたためか、いまはまだ大きな問題にはなっていない。
しかし、この匿名口座の一件が米政界でスキャンダル化するのは時間の問題だ。というのは、スクープ報道で定評のあるカナダのケーブル放送「クローク・アンド・ダジャー」がかぎ付け、資金の流れを解明する調査を進めているからである。
これまでに、フセインはこの秘密資金を使ってダイムラークライスラーの事実上の最大株主になり、取締役会の出席権を持っていたことも分かってきた。このほかにも、フセインはフランスのベルトコンベヤー納入会社やイタリアのミサイル製造会社などにも投資して、大きな利益を確保していたという。
こうした「闇の投資家フセイン」を育てたのもパパ・ブッシュである。実際には、彼が最近まで最高顧問を務めてきたアメリカの投資顧問会社「カーライル」社が仲介してきたようだ。ちなみに、カーライルはアメリカ政府のお墨付きを得て、イラク復興ビジネスのセミナーを一手に仕切り、目下、驚異的な利益を生み出している。ブッシュとフセインは金儲けのパートナーでもあるのだ。
前ブッシュ政権を含む、親子2代にわたるブッシュ政権で、2度に渡って行われた、アメリカとイラクの戦争。
この戦争の口実は、イラクが残虐な生物・化学兵器を持っていると言う事であり、「世界の警察アメリカ」にとって、それは許しがたい、と言う事であった。
しかし、1980年代、イラクのサダム・フセインに対し、生物化学兵器を売り付けたのが、米国の化学産業G・D・サール社であった。
そして、このG・D・サール社の社長がドナルド・ラムズフェルドであった。
ラムズフェルドは、前ブッシュ政権がイラク戦争を開始した際の、国防長官である。
ラムズフェルドは、「自分で生物化学兵器を、イラクに売り付け、金儲けを行い、その後、イラクが生物化学兵器を持っていることは、ケシカランとして、戦争を開始した。」
80年代、ラムズフェルド本人は、サダム・フセインの軍事コンサルタントとして、イラクに駐在していた。生物化学兵器の製造・実戦使用のノウハウを、イラクに伝授したのが、ラムズフェルド国防長官本人であった。「それにも関わらず、ラムズフェルドは、イラクが生物化学兵器を持っていることは、ケシカラン」として、イラクを戦争で壊滅させたのである。
フセインに生物化学兵器を売り付ける事は米国軍事産業の利益になる。そして、フセインが「生物化学兵器を持っているのはケシカラン」と戦争を行う事も、米国軍事産業の利益になる。
ラムズフェルドの「行動基準は、首尾一貫している」。
北朝鮮が核武装する事も、北朝鮮が日本にミサイルを射ち込む事も、ミサイル防衛システムを日本に買わせる結果になり、それは米国軍事産業の利益になる。従って、アメリカは北朝鮮の核兵器製造を「支援する」のである。
さらに近い将来、日本の自衛隊が、北朝鮮と「戦争する事」も、米国軍事産業の利益になる。
日本と中国が、「戦争する事」も、日本・中国の両方に兵器を販売している米国軍事産業の利益となる。
既報のように、「米国政府が育てた北朝鮮外交官」を通じ、米国は北朝鮮の軍事・外交を自国の軍事産業に有利な形でコントロールする事が出来る。
そして、戦争が終結し、米国軍事産業が十分に利益を上げた後に、「戦後」、北朝鮮を親米国家にする準備も整っている。
米国軍事産業の経営者の「預金通帳の残高を増やすため」、殺し合いを行い、死んで行く、日本人と朝鮮半島の人間達だけが、「バカを見る」結果になる。日本国内で、反中国、反朝鮮の「感情を、アオル、日本の自称・愛国者=民族主義者達」が、米国軍事産業の奴隷として、デマ宣伝を繰り返す売国奴である事は、明白である。
(2006年12月30日13時58分 読売新聞)
イラクの元大統領フセインの死刑執行について、ブッシュ米大統領は29日、「イラクでの暴力を止めるものではないが、イラクの民主化において重要な節目となる」とする歓迎声明を出した。 声明は、死刑判決にいたる裁判が「公正だった」と改めて強調。今後については、「困難な選択とさらなる犠牲」があるとしつつ、「イラクの若い民主主義が進展するため、気をゆるめてはならない」と述べた。
「人道に対する罪」で絞首刑による死刑だそうだ。
ことの前提に「イラク戦争」が無くて、「クルド人虐殺」等々の非人道的行為が罰せられたのならまだしも、アメリカの武力攻撃をキッカケにした身柄確保から裁判-死刑へとの流れは理由がはっきりしない。
開戦理由に間違いがあった戦争で捕まえた独裁者――別件逮捕で死刑判決に至ったというような結果だ。
裁判が「公正だった」と強調しないといけないあたりが、よけいにスッキリしない。
もう一つ、本当に死刑にされた人物が本人であるという確証はない。
その理由は
CIAのエージェントは死ぬまでCIAである。
ブッシュと親友であるウサマ・ビンラディン同様、やはり親友のフセインも、今では莫大な退職金とともに、南洋の別荘地で悠々自適の生活を送っているとされる。なぜならブッシュのテロとの戦いは、ブッシュ家と軍需産業と傭兵の、営業活動である。
◆イラク特措法に基づき派遣された隊員のうち在職中に死亡した自衛隊員数(2007年10月末現在)
陸上自衛隊 14人(うち自殺7人、病死1人、死因が事故又は不明6人)
海上自衛隊 20人(うち自殺8人、病死6人、死因が事故又は不明6人)
航空自衛隊 1人(うち自殺1人)
2007年11月13日防衛省発表
テロ対策特別措置法
2001年11月、アメリカのアフガニスタン侵攻をいち早く支持した小泉純一郎政権下で可決・成立、引き続く安倍晋三政権においても継続実施した。公布直後に海上自衛隊がインド洋(公海)に派遣され、護衛艦(イージス艦)によるレーダー支援や、補給艦による米海軍艦艇などへの給油等の支援活動が行われている。
諸外国の軍隊等の活動に際して行われた戦闘行為によって遭難した戦闘参加者について、その捜索又は救助を行う活動(救助した者の輸送を含む。)であって、我が国が実施するものをいう。自衛隊が実施する。
この活動が、集団的自衛権の問題などの観点から、日本が果たすべき役割かどうか日本国憲法との関係も含めた議論がなされており、アメリカのアフガニスタン攻撃を「アメリカ同時多発テロ事件」に対する報復という見方から「報復戦争支援法」との批判もある。
2007年9月10日 当時の内閣総理大臣・安倍晋三が所信表明演説で「テロ特措法に基づく海上自衛隊の活動は、諸外国が団結して行っている海上阻止活動の不可欠な基盤となっており、国際社会から高い評価を受けている」と活動が継続できるよう理解を求めた。
テロ対策特別措置法に基づく給油は、当然アフガニスタンにおける「不朽の自由作戦」に対する協力支援であり、給油は同作戦の海上阻止行動に従事する艦艇に対する支援として理解されてきたが、この目的で行われた給油が事実上イラク向け作戦の艦船への補給活動にもなっているとの疑惑があがり問題視された。
2007年9月20日、米軍文書を元にした調査や政府の答弁によると、米補給艦「ペコス」が2003年2月25日朝に補給艦「ときわ」から、約83万ガロンの給油を受けたが、ペコスはその後ペルシャ湾方面に移動、同日午後に米空母 「キティホーク」に「ときわ」からの燃料のうち67万5千ガロンの給油をしていた。キティホークは補給後にペルシャ湾に入り、イラクに対する「サザン・ウォッチ作戦」(イラク戦争開戦前)に従事している。