今日9月1日は防災の日です。ちょうど仕事が代休だったので、関川村に災害ボランティアに行ってきました。
新潟県の関川村と村上市に、豪雨による洪水と土砂災害が発生したのは8月4日のことです。あれから約1か月が経過しますが、なかなか復旧は進んでいないようです。今日のボランティアは、長岡市社会福祉協議会が長岡市から関川村までのボランティアバスを出してくれたツアーの4回目です。ボクはもっと早くに参加したかったのですが、なんたってコロナ騒動がありましたからね。まぁそれでも参加できてよかったです。長岡からは高速道路を使っても2時間以上かかりますからね。バスを出していただければ、ボランティアにも参加しやすいです。
ボクらは今回、関川村のある地区に支援に入ったのですが、こんな状況です。写真は、各家から出された使えなくなった家財道具置き場です。こんな光景が、村内やバスで現地に至るまでのいろいろなところでボクらの目に入ってきました。
さすがに災害から1か月も経っているので、住居家屋の片付けはだいたい終了して、大工さんが入って修理等をしている家もあるのですが、農村部である関川村は多くの家が納屋や作業小屋をもっています。納屋や作業小屋はまったく手つかずというか、泥を被った住居の家財道具がそこに運び込まれていたりして、まだまだ片付けには人手が必要な状況です。
ボクらのグループに今回割り当てられた仕事は外仕事で、今日は雨模様の天候でしたので、頭の先から足の先までぐっしょり濡れての作業になりました。パンツまでビショビショです。午後は雨脚も強くなってきたので予定よりも早く上がって、ボランテァイセンターの隣にあるに日帰り温泉施設で汗を流し温まりました。
ボランティアセンターは「せきかわ ふれあいどーむ」(全天候型の体育施設)という施設に設置されているのですが、なんとここに「関川村と言えばこれ!」というほど有名な「大したもん蛇」が保管されていました。
「大したもん蛇まつり」。今年は中止になったらしいですけどね。今回ボクはこの本物を、ボランティアセンターで初めて見ました。
これが「大したもん蛇」の頭です。ましてやこれを下から見るなんて、おそらく人生で2度とないかも。
関川村も村上市も、まだまだ復旧には時間がかかりそうです。どうか多くの皆さんの協力をお願いします。
自分は新潟市の下町出身なのですが、若い頃は新潟市の水杯機能が悪く、やたらめったら家に水が入って大変でした。(一か月に4回入ったことも…。テレビ局さんもそこあたり良く分かっていて、すぐ取材に来ていました。親父が「今月4回目ですよ。もう、慣れましたわ。」とか言っていたのを良く覚えています。翌日新潟市の職員の方が「スイマセン」と誤りにきましたけど。その後大規模工事が行われ、水が入ることはなくなりました。)
先日、新潟市にあるみなとぴあで開催されていた「大河津分水・関屋分水と新潟市」の展示展に行ってきました。新潟の歴史は水害との戦いだったのかもしれません。
今月もよろしくお願いします。
大河津分水と関屋分水がなかったら、新潟平野は穀倉地帯ではなく、新潟市は水害に悩まされ続ける街だったのでしょうね。
先日、分水路ができる前の新潟市の地図を見たのですが、信濃川の幅が今よりも遙かに広く、万代橋も長かったですね。今はビルが建ち並ぶあの地域一帯もかつては信濃川だったなんて、ホントに驚きです。