Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

竜馬の ブーツ

2014年11月10日 | 日記
竜馬の ブーツ


旧暦ではあるが今月11月の15日は坂本竜馬の生誕の日である。諸説はあるが天保6年1835年の11月15日とされている。来年で生誕180年を数えることになる。

長崎での会議を終え、復路、帰阪の発車時間までの約2時間を利用して単独行で長崎市内の急坂を登った。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」をずっと以前に読んでいたこともあり、小説の後半に出てくる亀山社中跡を是非とも見ておきたかったからである。

(神戸海軍操練所の廃止後に)薩摩藩等の援助により設立された商業活動を中心とした近代的、かつ、現在の株式会社に類似した性格を持つ組織とされる亀山社中の根拠地となっていた跡地にある記念館を目指したのである。

時間を気にしつつ、約40分、急こう配の坂道を一気に駆け上がり亀山社中跡記念館にたどりついた。

時間がなく外から覗くだけにし、山頂展望台にある竜馬像まで更に足を延ばした。



太平洋に続く平戸を見据えるように竜馬像が待ってくれていた。やはり腕組みをしていた。

眼下、横長に広がる長崎の街を覆う西陽は既に夕刻の気配がしていた。











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6 コメント

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ちょいとママ様へ (yanasun)
2014-11-15 06:48:16
少し気になり調べたらこんなことが書かれていました。

『坂本龍馬が1865年(慶応元年)に「亀山社中」を創設してから130年になることを記念し、1995年(平成7年)に「亀山社中ば活かす会」が中心となって建立したもの。船に乗っているような気分が楽しめる舵輪と大きなブーツがあり、実際に足を入れることができる。雨の日でも足が入れられるようにブーツの底には穴が空いている。ここから見ることのできる長崎の街並みは「長崎都市景観賞」を受賞するなど評価されている。』
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後の海援隊ですよね。 (みっちゃん)
2014-11-15 06:14:41
先日、司馬遼太郎の奥さんが亡くなられました冥福をお祈りします。司馬遼太郎さんは商社である亀山社中、後の海援隊を『龍馬がいく』で詳しく書いておられます。テレビの龍馬伝で海援隊の本拠地のシーンがありましたね。
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なぜブーツが展示されているのか?龍馬 (匿名希望)
2014-11-14 02:27:40
龍馬の有名な立像の写真はブーツ、しかも先が破れて穴が開いているブーツを履いています。(検索して拡大してみて下さい)

もう一枚写真がありますがこの動画のようなブーツでグラバーから紹介された靴屋で買ったという説のあるブーツですね。この逸話をモチーフにしたモニュメントだと思います。
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同級生 (みっちゃん)
2014-11-11 01:10:15
確か土方歳三が同い年ですね。長崎は本当にヨーロッパの雰囲気があると思っています。だから早くから世界の玄関口になったのでは?
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超難解な質問ですね (yanasun)
2014-11-10 23:18:35
この坂道は確か龍馬通りと名がついていましたが『履け』とかの表記はなかったですし舵も動かなかったように思います。海援隊といえば舵、龍馬といえばブーツか短筒ですか。やはり単にオブジェでしょう。
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くだらない質問でごめんなさい! (ちょいとママ)
2014-11-10 22:57:53
ひょっとしてこのブーツU+1F462をはいて

舵を切りながら、眺めを見なさいって事

ですか?
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