富士山 箱根
円安、格安航空、世界遺産、日本食ブーム、安全な国 などなどのイメージがあってここに来て外国人観光客が一気に戻っているそうで、東京、富士山、京都の観光ルートがゴールデンルートと呼ばれているそうである。
箱根十国峠から乗ったロープウェイの向かいの席にオーストラリアからきたという二人の青年もまったく同じルートを西下、移動するとのことであった。
さて、富士山が世界遺産となって以来、数十年前の伊豆 箱根スカイラインの修学旅行が蘇った。
ガイドの「500円札の富士が後方に見えて来ましたね。」と
「車中での大歓声」と「最後部窓枠をはみ出すように空高くに浮かぶ圧倒的な富士」の印象である。
そんなわけで今回も、いつもの気まま旅となったわけである。
箱根十国峠からみた今回の富士はその当時の大きさではなかったものの、好天にもめぐまれ、より神々しく、大きく、美しい姿を再び見せてくれた。ありがたい。感謝、感謝。
動画は500円札の絵と実景をオーバーラップさせて撮影させて頂いた。
気づかれた御仁もおられよう。札の富士はこの位置からのものではなかったのである。自身もこの位置からの絵ではないというのにすぐ気がついた。
札の富士山は富士山北側の山地、「雁ケ腹摺山」(がんがはらすりやま と言う。)から昭和17年に撮影されたものであることがわかった。
なぜ、札の絵は十国峠からの富士という印象が残ってしまったのか。バスガイドが説明してくれた場所が十国峠だったのか、それとも他の場所だったのかは今となってはもうわからない。
がんがはらすりやまへ改めて出向き、その位置からの富士を確認し、近くの温泉に行くという楽しみの課題を残しておくこととした。
最後に太宰治の小説を引用したい。ひょっとしたらこの小説が十国峠、富士、札という構図を作ってしまったのかもしれない。
「・・・十国峠から見た富士だけは、高かつた。あれは、よかつた。はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであらうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがつた。私が、あらかじめ印(しるし)をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すつと見えた。・・・(「富嶽百景」(太宰治)原文のまま、この続きは ネット「青空文庫」「富嶽百景」と書き、検索してお読み頂きたい。)
今の千円札の富士山は旧五千円札の富士山、すなわち本栖湖からの富士山ですよね。
私も子供が小さいとき家族旅行で行った旧五千円札の裏側にある本栖湖のキャンプ場から見た富士山を思い出しました。
天城七里は白い雨 貴方に会えたわ峠の茶店 私ゃ踊り子太鼓を下げて 湯の町歩く旅芸人 花も蕾の十三夜~
この小説に俺の富士が出てくるのは冒頭だけじゃねいか。太宰の若造!『神奈川沖浪裏』の富士はどうなんでい。
太宰は紹介していただいたこの短編小説では富士山を結構きびしく捉えていますよね。
箱根の山は、天下の嶮(けん)
函谷關(かんこくかん)も ものならず
萬丈(ばんじょう)の山、千仞(せんじん)の谷
前に聳(そび)え、後方(しりへ)にささふ
雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす
昼猶闇(ひるなほくら)き杉の並木
羊腸(ようちょう)の小徑(しょうけい)は苔(こけ)滑らか。。。。。。。。
もうこんなうた 歌わないだろうな 大学駅伝のテーマソングにしたらいいのに