Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

100周年の新世界

2012年05月13日 | 日記
(100周年の新世界と守護神ビリケンさん)


5月、いまだにどの線のどこの駅が最寄り駅なのか判らない街が大阪にあって、めったに行くこともないし、もともと地方出であることなどを勝手な理由にして、その近くに行く度に、違った路線で、違った駅を利用している乗り込む街がある。その名は「しんせかい」。

その新世界が今年の7月で100周年だそうだ。「しんせかい」という言葉の響きは「どこにあるのか知らんが、大人の街」と感じたことを記憶している。後年、気がつくことになるが、この地は100年前に隣接する天王寺動物園のような子供向け、家族向けの遊園地「ルナパーク」とネーミングされスタートしたようである。

結果的に11年後に閉演され、大人の歓楽街だけが残り新世界は演芸を中心とする興業街に一新され今日まで継承されていると伺っている。今は二度付け禁止の串かつ屋が多くある街として大衆の共感を受けているようだ。

そんな「新世界」の近くにたまたまの用事があって、「時間調整、通天閣に昇ってビリケンさんにお逢いしよう。」
塔、否、閣の下は平日にも拘らず観光客、修学旅行生群で黄色い声やらひばりの声で満ち満ちている。エレベーター待ちの途中で展望室が黄金色に塗り替えられていることが情報として既に入っていたが、降り立った展望台も人で溢れており、NHKのリハーサルのスタッフもビリケンさんも大勢の搭乗者に取り囲まれていた。


全国的な塔ブームも追い風となって、流石、新世界、ミナミも頑張っているなと感じるような展望台となっていた。
ファインダーを通して眺める再開発中の天王寺界隈のビル群もこの黄金の展望台とコラボをやっているようでなにやら頼もしく、相当のエネルギーをこの地上100メートル上空で吸収させてもらったのではなかろうか。


王将、坂田三吉も旧通天閣を毎日仰いで奮いたって東京に乗り込んだとされるが、当時のこの地の雰囲気は今以上だったのではあるまいか。
新世界界隈がそんなゾーンとして引継がれてきたことを今頃気がつくようでは、やっぱり私は生粋の「オオサカン(OSAKAN)」ではないということでっか(ですか)。小春さん。



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4 コメント

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Unknown (ゴー隠居マン)
2012-05-14 10:22:18
小学生の時に上っただけでたしか当時ビリケンさんはいなかった。ところで新世界界隈は昔の大阪がプンプンする街で好きな所。串カツ食べに行きたいですね。
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Unknown (Unknown)
2012-05-14 23:24:48
レスありがとうございます。
本日、職場の女性群の独りをグループに引き連れて今でいうぱーてぃーをやりましたが、昔は何をするにつけてロマンがあったとの議論になりました。
たしかにそうです。ところで私自身は大阪人ではありませんことから、こともあろうにこの新世界でキャベツの二度付けをやってしまい。大将ではなく店員にこっぴどくしかられことしかこの街には印象にないのです。そんなわけで今日は寝屋川で意見交換会をやっていました。
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懐かしい (ヤキソバニー)
2012-05-18 22:18:41
月曜日はお疲れ様でした。
貴重なパーティに参加でき、勉強になりました。
夢とロマン…ですね笑。

通天閣、懐かしいです。
ビリケン様の有難いお姿に、思わず拝みたくなりました。
スカイツリーも凄いけど、大阪の通天閣も負けてへんで~!ですね。
通天閣の下にある有名な串カツ屋さんに行った事があります。
平日、昼間でも混んで並んでました。
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Unknown (yanasun)
2012-05-19 19:23:53
レスありがとう。
投稿人形町にある「つまようじ」専門店も紹介していただきました。生粋の江戸っ子ではなく道産子の方らしいです。
ところでびりけんさんの動画の終盤をよくみてください。32年間さわり続けられてつちふまずの部分が両方ともかなりへこんでいるでしょ。すり減ったと係りの人がおっしゃっていました。しかし、わたしもやはりその部分を触ってしまいましたね。
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