平成29年10月28日は旧暦九月九日です。
古来の在り方からすれば、今日この日が当社の例祭の日にあたります。
そのため、数年前から思い立って、ただ一神職の矜持として斎行させていただいています。
ところで、当社には戦国時代の戦禍などによって古文書らしきものは残されていないのですが、江戸時代中期に京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)の助力により復興した歴史があり、その下鴨神社の神官さんの日記に僅かながらに史料が残されています。
その中にこのような文言を発見。
「高盛からすみ」(文政二年)
「黄じん(魚へんに尋)」「小鯛」「いせゑび」(文政十五年)
なかなかリッチです。
さすがは京の都からの使者。
今現在は、独りにて行う「例祭」ですので、御供えも設えも様式も、往時に及ぶべくもありません。
なんだか申し訳ない…。
そんなことを考えていたとき、たまたま神道関係の書物をつまみ食いするように眺めていたところ、こんな一文に出会いました。
『一般の人々の全く知らぬ場所知らぬ時に、余人を避けて神職のみが、ときにはたゞひとり、神の御前に侍ることもまたきはめて大切な一刻』
激しく共感。
ああ、これだ。これでいいのだ。
人のみならず、モノもコトも、先人が遺した言葉も。
出会うべき時に出会うものだなあ。
古来の在り方からすれば、今日この日が当社の例祭の日にあたります。
そのため、数年前から思い立って、ただ一神職の矜持として斎行させていただいています。
ところで、当社には戦国時代の戦禍などによって古文書らしきものは残されていないのですが、江戸時代中期に京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)の助力により復興した歴史があり、その下鴨神社の神官さんの日記に僅かながらに史料が残されています。
その中にこのような文言を発見。
「高盛からすみ」(文政二年)
「黄じん(魚へんに尋)」「小鯛」「いせゑび」(文政十五年)
なかなかリッチです。
さすがは京の都からの使者。
今現在は、独りにて行う「例祭」ですので、御供えも設えも様式も、往時に及ぶべくもありません。
なんだか申し訳ない…。
そんなことを考えていたとき、たまたま神道関係の書物をつまみ食いするように眺めていたところ、こんな一文に出会いました。
『一般の人々の全く知らぬ場所知らぬ時に、余人を避けて神職のみが、ときにはたゞひとり、神の御前に侍ることもまたきはめて大切な一刻』
激しく共感。
ああ、これだ。これでいいのだ。
人のみならず、モノもコトも、先人が遺した言葉も。
出会うべき時に出会うものだなあ。