八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
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ひと味ちがう?お祭り前の拝殿。

2012年10月29日 | お祭り
我がお宮、八咫烏神社の例祭は
11月3日(祝日)です。

今年から我がお宮は
祭典の時間が従来から2時間早くなり
午後4時からの祭典となります。

それにともなって
準備が忙しくなるだろうとの予測の元、
この日曜日は雨の中、境内の清掃を行い、
また社務所と拝殿の装飾もしました。



装飾といいましても
社務所と拝殿の表に幕を張り
拝殿内には御簾をつるす、という程度です。

その程度なんだけれども、
今朝の日供の際は
いつもと雰囲気の違う中でのお参りとなり
これしきのことではありますが
背筋がしゃんとするなあと感じ入りました。



いつも当社にお参りの方も、初めての方も
今から例祭が終わるまで
いつもの拝殿は、いつもとひと味ちがうかも。

よろしければ、お参りくださいませ。


宇陀市榛原山路の「千本杵餅つき」行事

2012年10月09日 | お祭り
10月8日、体育の日。
この日は宇陀市榛原山路の氏神様
都賀那岐神社・山路六柱神社の秋祭りが
伊那佐山の中腹の集落ともいうべき
山路集落にある遥拝所で斎行されました。

いつもどおり厳かにお祭りを斎行し、
その後の直会の席で面白いことを聞きました。

何でも毎年、この祭のあと
常楽寺の境内にある集会所で
「千本杵餅つき」の行事があるとか。

「よかったら神主さんも来なはれや」
とお誘いいただいたので
お聞きした時間におじゃましてみました。



やや時間あって、頃合いをみはからい
常楽寺へいってみると…
皆さん、出来上がってました(笑)

いつも祭のあと場所をここへ移し
ご馳走とお酒をよばれて威勢をつけて
「千本杵餅つき」の行事にのぞむようです。



ここの千本杵餅つき行事では
長い棒でただ突くようにつくだけでなく
仕上げに棒で叩くのです。

初めはぐりぐり突き、
途中から謡曲をうたって
仕上げに息をあわせて叩く!!



皆さん、飲んでますから
なかなか思うよう息があいませんが
それはそれで、めちゃめちゃ楽しそうです。
実際につくひとも、それを見るひとも
笑顔が輝いています。

僕も、たいへん厚かましいながら
「千本杵餅つき」に参加させていただきました。
そしてさらに、ド厚かましいながら
出来上がったお餅のご相伴にあずかりました。



物見的におじゃましただけなのに
えらい歓待をうけてしまい恐縮してしまいましたが
楽しかったー。
そして、美味しかったです!

さて、この「山路の千本杵餅つき」は
このあたりではよく知られた民俗行事のようで
地元の文献としてよく参考にさせていただく
大門貞夫氏「伊那佐の里」にも
【氏神さんの宵宮には
 当屋の家に村人や青年達が集まって、
 お供えする“ごく”を搗く。
 たいてい撫臼に杵で搗くものであるが、
 山路の村では千本杵といって、
 棒を持って一斉に搗くことになっている。】と載っていました。

ムラのひとに聞いたところによると
昔から「3斗3升3合のもち米を搗いている」らしく
「杵を棒でつく行為には、
 子孫繁栄と五穀豊穣の願いがこめられている」そうです。

…であるからこそ、おめでたい行事なのですね。

いつまでも
和気あいあいと続いていってほしい行事です。





いつだって、学び。

2012年10月07日 | つれづれ


今日はかねてから連絡いただいていた
天理市の郷土歴史文化講座の皆さんが
当社にお参りになりました。

今日のコースは、本年が
「古事記編纂1300年」ということで
古事記に関する故地をバスで巡られるのだとか。

皆さん、熱心です。
たくさんご質問をいただきました。

学ぶことに早いも遅いも、ないんだなあ!

僕も、まだまだ勉強中の身ではありますが
わかる範囲で受け答えをさせていただきました。

皆さん、ようこそお参りくださいました。







宇陀市榛原高塚の「七塚まいり」

2012年10月01日 | つれづれ
先日、宇陀市榛原高塚の
「七塚まいり」の行事がありました。

「七塚」とは八咫烏神社の周辺にある塚跡のこと。
具体的には…
「尼塚」「弓張塚」「山伏塚」
「丸塚」「王塚」「犬塚」「高塚」の「七塚」。


▲大門貞夫氏「伊那佐の里」より

(僕はこれに八咫烏神社本殿の祀られている丘、
 通称「たけつの塚(建角塚?)」をあわせて、
 ひそかに「八塚」と呼んでいますww)






これらの塚跡の由緒は詳らかではありません。
いつごろ出来たのか、どなたが葬られたのかさえも。

しかし、唯一、発掘調査がおこなわれた「高塚」からは、
その際は弥生時代の土器や木製農具が出土したそうです。

(日本の正史である続日本紀に
 文武天皇の御代『慶雲2年(705年)に八咫烏社を祭る』と
 記述が見え、これが当社の創祀と伝わるとされていますが、
 実は弥生時代すでにその原型は形成されていて、慶雲2年に
 文武天皇によって神社としての体裁と名称が与えられた?
 …などと勝手気ままに想像するのは楽しいですねw)


さて、高塚集落では、これら塚の存在を知りながら
特別な行事は永らくおこなわれていませんでしたが、
数年前、地元で
「高塚集落の有志で行事しようやないか」
という気運が高まり、杭をたて塚跡を顕彰し、
年に数回、「七塚まいり」をおこなっています。

 山伏塚から丸塚へ
 犬塚から高塚へ

お祀りの方法は、それぞれの塚跡に
花と御供(おにぎり)を供えて、般若心経を三巻します。
その間に参加者は順次、あらかじめ汲んで来た水を
塚跡にかけていきます。

目に見えず、しかも誰かも知らず、それでも拝む。

これは日本における根本的な信仰のかたちに思えてなりません。
自然発生的で素朴。

そういった「ひとの営み」は
とても美しく
また愛おしいことだと感じています。