日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

25回めを迎えた、阪神淡路大震災

2020年01月17日 08時47分57秒 | Weblog
今朝の信州は気温氷点下5度でいつもの年と
ほぼ同じ冬の朝をNHKの深夜放送を聞きなが
らのウォーキングでした。いつもの深夜放送
が今朝は特番で5時55分までの延長放送で
した。あれから25年経ちましたが1995年
平成7年の今日1月17日午前5時46分兵庫県の
神戸を中心とした「阪神・淡路大震災」が
発生し、死者64366名、負傷者は4万人を
越すという大きな災害が関西各地を襲って私
の記憶にも忘れることの出来ない大災害でし
た。今朝のラジオ深夜放送は、震災報道での
ラジオの役割について関西の民放各社の人達
がいろんな災害報道について語ってくれてい
ました、電気もない時の電池で聞くことの出
来るラジオの報道としての役割は大きいがそ
の時の状況によりけりで発信するレポーター
の役割と実力判断力に大きく左右されるよう
です。このときもこの災害の状況が、東京の
マスコミ本社や内閣や総理官邸に伝達が遅く
東と西で相当の摩擦や軋轢が生じたようです
これを機会に、普段は情報先取り合戦で常に
競争ライバルのマスコミも、このような災害
時には、お互いに協力し合って情報を早く正
しい情報を正確に伝える協議会が持たれるよ
うになったと云ってました。
当時の首相は村山富市氏(社会党)自社さ連
立政権でした。
歩いている途中でしたが5時46分の黙祷時間
は私も立ち止まって半月のお月さまに向かっ
て黙祷を捧げました。この年の夏休みに子供
と一緒に神戸の長田に初めてボランティアに
行った昔の若かった頃の自分を思い出してい
ます。

写真は、成田空港から大分空港へ























コメント (8)
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