日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

信州、白馬の思い出

2022年05月30日 08時42分56秒 | Weblog
今朝の信州は気温が15度、快適な気温で無風の晴天。
先日信州白馬村にドライブした、1998年長野オリンピック
平成10年2月7日から2月22日まで、日本の長野県長野市
などで開催された20世紀最後の冬季オリンピックでした。
2022年現在、長野は、歴代の冬季オリンピック開催地の
うち最南で、最も低緯度での開催地でありました。
私はボランティアで、郊外のリュージュ会場のお手伝い
でしたが、リュージュ競技が終わりボランティアに残りの
チケットが配布されたのが、最終日のジャンプラージヒル
の団体競技、日本中を涙させた感動ドラマをこの目で見て
多くの応援の仲間とその感動を確かめ合いました。
それには、四年前からの伏線があった。長野大会のひとつ
前、平成6年に行われたリレハンメル大会。西方仁也、岡
部孝信、葛西紀明、原田雅彦の4人で臨んだ日本は1本目か
ら好記録を連発。2本目も西方が135m、岡部が133m、葛西
が120mで首位をキープ。最後の原田が105m以上飛べば優勝
が決まるはずだった。
しかし……。1本目で122m飛んでいた原田が大失速。着地
するとうずくまり、両手で顔を覆ったほどの失敗ジャンプ
だった。記録はまさかの97.5m。ほぼ手中にしていた金メダ
ルはスルリと抜け落ち、無念の銀メダルに終わった。原田は
バッシングを受け、自宅にも嫌がらせがあったという。
その原田が長野五輪で、雪辱の大ジャンプ・・・
そして4年後、平成10年の長野五輪。日本は岡部、斉藤浩哉、
原田、そして進境著しい船木和喜の4選手で臨んだ。
1本目、岡部が121.5m 、斉藤が130mを飛び、首位に立った。
しかし、3人目の原田が79.5m。リレハンメルの悪夢がよぎる
4人目の船木は118.5mを飛んだが、日本は4位で1本目を終了
した。・・この時、吹雪が強まったため競技が中断された。
中止となると1本目の成績で順位が決まる。25人のテストジ
ャンパーのジャンプで競技を続行するか、判断することに
なった。24人が順に飛び、最後のテストジャンパーは前回
リレハンメルのメンバーだったものの長野では代表から漏れ
た西方。悔しさをぶつけるように飛んだ大ジャンプのおかげ
で続行可能と判断され、2本目に入ることになった。 そして
西方は原田に声をかけた。「次はお前の番だ」。原田は西方
から借りたアンダーウェアを着ていた。
2本目、岡部が137mの大ジャンプ、斉藤も124mで続いた。
そして原田の順番が回ってきた。リレハンメルの悔しさ、前
回は共に戦いながら代表に入れなかった西方、葛西への思い
を全てに背負い、原田は飛んだ。
視界の悪い吹雪の中で、原田だけが風にも引力にも逆らうよ
うだった。137mの大ジャンプ。ついに日本は首位に立った。
最後の船木は完璧なジャンプで125m。4人は雪の中で抱き合
いながら喜んだ。4年越しの金メダルは格別だった。
今もあの感動は忘れない。あのシーン雪で霞む視界の中でも
会場が一つになって彼らを祝福して、いつまでも万歳が鳴り
やまない日を思い返しいて、また、この会場を訪れてみた。
これから開催されるサマージャンプの準備中のジャンプ台を
感慨深く撮ってきた































コメント (11)
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