風の吹くまま

大好きな自動車について、思いついたことを投稿します。

接近遭遇

2007-12-26 21:37:04 | クルマにまつわる思い出
大学生の頃、僕は京都市左京区に住んでいました。
ある日、近くのスーパーマーケットで買い物をしていたら、
スラリと背の高いダンディーなおじさんと、
その奥さんらしい美しい女性が、並んで店に入ってきました。

最初は特に気に留めていなかったのですが、
ふと目をやると、すぐに男性が誰なのか分かりました。

(あぁっ、ま、松本恵二さんや!)

当時現役のF3000レーサーだった松本さんは、
少しクリント・イーストウッドに似た、
日本のモータースポーツ界きっての男前。
「オートスポーツ」を毎号買っていた僕が見間違うわけはありません。

もっと近くで顔を見ようと思い、
買い物をしているふりをしながら、背後から回り込んでいったら、
通路の角あたりで危うく松本さんとぶつかりそうになり、
数十センチの至近距離で目が合いました。

そのときの僕がどんな顔をしていたのか分かりませんが、
おそらく松本さんは、(まずい、気づかれた)と思われたのでしょう。
割と威圧感のある雰囲気だったので、
僕は結局声をかけられなかったのですが、
松本さんは何事もなかったようにさりげなく遠ざかり、
店の外へ出て、路上駐車してあった日産シーマに乗り込みました。

以上、全国的に有名なプロレーサーに接近遭遇した瞬間のお話でした(笑)。



オープン・ザ・ウィンドウ

2007-11-28 12:21:58 | クルマにまつわる思い出
真冬の寒い日に、クルマの窓を全開にして走り続けると、
冷たい風がすごい勢いで車内をかき回して、
とても寒くなってしまいます。

そんなことを、意味もなくやる人は少ないと思いますが、
パワーウィンドウが壊れて動かなくなったら、
窓を閉めたくても閉められないわけですから、
とにかく寒さをガマンするしかありません。

ポルシェ944に乗っていた頃のことです。
僕の944は、7年間の間に、
パワーウィンドウが左右一回ずつ故障しました。
ただし、自分のクルマの窓は、
2回とも閉まったまま動かなくなったので、
凍える思いをしたのはポルシェではありません。
それを修理に出したとき、代車で貸してもらった、
オンボロBMWのほうです。

かなり古い3シリーズのBMWで、
ボディはそれなりに剛性を保っていましたが、
なんとなく全体的に「ヤレた」感じになっていました。
ポルシェの部品を取り寄せるのに時間がかかったので、
確か1週間か10日くらいはそのBMWに乗っていました。
そして、たまたま友人と出かけた先で、窓が開いたまま閉まらなくなり、
あまりの寒さにブルブル震えながら運転するはめになってしまったのです。

こういうとき、僕は心のどこかで楽しさを感じています。
「通常ではない間抜けな状態」に、自分が置かれたことの滑稽さに、
笑いがこみ上げてきてしまうのです(笑)。

翌日、クルマ屋さんに持っていったところ、
そこのお兄さんはドアの内張りをはがして、
しばらく考え込んでいましたが
やがてその辺に転がっていた部品を組み込んで、
1時間もかからずに修理を終えてしまいました。
その真剣な様子からは、

「ボロ代車を直すのにお金も手間もかけたくない!」

という気迫が伝わってきました(笑)。

そんなに簡単に直るのなら、
ポルシェのパワーウィンドウも、
すぐに直ってよさそうな気がしましたが、
駄目になったパーツは専用のもので、
BMWとは壊れ方が違っていたため
同じようにはいかないとのことでした。

ポルシェの後に乗ったゴルフ3も、
パワーウィンドウが2回くらい壊れました。
現在の愛車であるゴルフ4ワゴンの窓は、
まだ一度も壊れていませんが、ネットで調べてみると、
やはりパワーウィンドウは弱点なのだそうです。

なるべく壊れないで済むように、窓の開閉は、
できるだけ慎重に行なっています(笑)。


☆窓は閉まったまま壊れてくれるほうが、何十倍もマシです(笑)。クルマを置いて離れられますし、暑くても寒くても、車内の温度はエアコンで調整できるからです☆

ゴーマル

2007-11-13 18:32:00 | クルマにまつわる思い出
確か1981年だったと思うのですが、
ガソリンスタンドでアルバイトをしていたとき、
お客さんのクルマのタイヤを見て、
衝撃を受けたことがあります。

車種は、2代目トヨタ・カリーナのハードトップクーペ。
ボディカラーはやまぶき色に近いきれいなイエロー。
そして、タイヤハウスには、まだ国内では認可されていなかった、
50扁平のピレリP7が収まっていました。

当時の国産スポーツカーのタイヤは70扁平が主流。
60扁平さえ認可されていなかったはずで、改造車オーナーにしてみれば、
ホイールをインチアップして60タイヤを履かせていることが、
いくらか自慢の種になるような時代でした。

そんなときに、その60をすっ飛ばして、
いきなり50扁平のタイヤを見せられたわけですから、
それはもう衝撃以外の何ものでもありません。
とにかくサイドウォールが恐ろしく「薄っぺら」に見えたものでした。

正確なサイズは覚えていませんが、
確か195/50VR15インチくらいだったと思います。
今となってはたいしたサイズではありませんが、
このVR規格の文字だけでも、クルマバカ少年にとっては、
水戸黄門の印籠と同じくらい強烈な説得力があったのです。

スーパーカー世代の方はもうお分かりでしょう。
ピレリP7といえば、あのポルシェ930ターボが履いていたことで有名。
非常識なくらい張り出したリアのオーバーフェンダーの下から見える、
超幅広のP7をカッコよく思っていた人は、おそらくたくさんいるはず。
つまりP7は、夢のスーパーカーとイメージが直結しているのです。

カリーナ・クーペもとてもカッコよかったのですが、
過激なフォルムのゴーマルタイヤを眺めているうちに、
憧れのポルシェターボが瞼に浮かんだ僕なのでした。




AE86

2007-11-03 21:57:06 | クルマにまつわる思い出
「海と山のどちらが好きですか?」
と尋ねられたら、
僕は迷わず「山です」と答えます。

それは、運転が楽しいワインディングロードがあるからだけでなく(笑)、
緑豊かな風景に癒されたり、
澄み切った冷たい空気に触れて、
身が引き締まったりする感覚が、
とても好きだからです。

僕は京都に住んでいますが、
山の美しい景色が至る所にありそうな長野県に、
若い頃から憧れを抱いています。

これまで長野県には、ドライブ旅行で2回、
スキー旅行で2回、仕事の出張で1回と、計5回行っていて、
学生時代にはドライブをたっぷりと楽しみました。

最初のドライブは、
数日前にこのブログで書いたばかりですが、
1人で乗鞍、上高地、野麦峠など、
岐阜県と長野県にまたがるエリアを走りました。

2回めのドライブは、
大学で仲が良かった友だち2人と、
共通の友人であるバイト仲間1人を合わせた4人で、
諏訪湖、美ヶ原、ビーナスライン、小諸、八ヶ岳などを巡り、
高原の景色と峠道を思う存分味わいました。

このときは、僕の初代セブンではなく、
友人の86レビンと、バイクのヤマハSRXの2台で行きました。
出発する前、4人で旅行の相談をしたとき、
どっちのクルマで行くかを話し合いましたが、
SRXオーナーの、
「ガソリン代割り勘にするんやし、燃費がいいほうにしたら」
という説得力あふれる言葉に、
「あ、そやね」
と、あっさり86レビンに決定しました(笑)。

このときは、僕とレビンオーナーの友だちが、
交替でクルマを運転し、
SRXオーナーとバイト仲間が、
交替でバイクを運転したのですが、
ビーナスラインなどのワインディングに関しては、
大部分運転させてもらえたので、
僕はとてもとても楽しい時間を過ごせました。

86レビンは、初代セブンに比べると、
フロント側が重めでハンドルも少し重く、
ハンドリングはややアンダーステアリング気味に感じました。
もちろん自分のクルマではないので、
多少は遠慮しながら運転したため(本当です)、
コーナーを攻め込むところまではいきませんでしたが、
小気味よく回る4A-Gの胸のすくような吹け上がりに、
12Aロータリーとはまた違った快感を感じていました。

マンガ「頭文字D」の人気にあやかって、
AE86は今でも高値で取り引きされています。
今後、僕がAE86を買うことはたぶんないと思いますが、
「もう一度運転してみたいな」という気持ちは、
心のどこかに残っています。


☆旅行といっても、宿も予約せずに出かけ、夕刻小諸に着いてから観光案内所で民宿を紹介してもらいました。おばちゃんが1人で経営していて、食事をつくる前に畑までトウモロコシを採りに行っていたのを覚えています。安い宿だったのに、ボリューム満点の鍋料理を食べさせてくれました☆


ああ野麦峠

2007-10-31 21:29:41 | クルマにまつわる思い出
学生時代は、お金もないのに、
クルマで時々遠出をしていました。

前に、石川県能登半島の「なぎさドライブウェイ」で、
初代RX-7を砂浜にスタックさせて、
地元の人に助けてもらったことを書きましたが(こちらの頁)、
このときは、京都を早朝に出発し、
1日で能登半島沿岸を周って富山県に達しました。

京都を出発する前、
とりあえず能登半島を周ることだけは決めていましたが、
まさか1日で周れるとは思っていなかったので、
2日目をどうするかは、富山に着いてから、
ロードマップを見て考えました。

「よーし、明日は『乗鞍スカイライン』を走りに行こう。今日1日でこれだけ走れたんだから、乗鞍まで行っても、明日中に京都に帰れるはずだ」

そう決めた僕は、
富山の郊外で見つけた屋台でラーメンを食べてから、
朝まで停まっていても大丈夫そうな広場を見つけて、
そのままクルマの中で寝ました。
初めからクルマで寝ることを想定して、
家から毛布を積んできていたのです。
なにせお金は、
人間とクルマにガソリンを入れる分しか持っていませんでした。

早めに眠ったので、翌朝は日が昇る前に目が覚めました。
起きた瞬間にエンジンをかけ、暖機運転をしてからスタート。
一路乗鞍を目指しました。
少し靄がかかった山道をどんどん進み、
どれくらい時間がかかったは忘れましたが、
とにかく乗鞍スカイラインの入り口に着きました。
すると、確か10月頃だったはずですが、
ちょうど僕が着いたその日から、
乗鞍スカイラインは積雪で通行止めになっていました。

とても楽しみにしていたので、
かなり悔しかったのですが、仕方がありません。
地図とにらめっこをしながら別の道を探したところ、
「上高地・乗鞍スーパー林道」
という文字が目に入りました。

「林道ということは舗装されてないのかな? でもドライブコースみたいだし、まぁ走れないことはないだろう」

行ってみると、想像以上に険しいワインディングロードで、
直線らしい直線はほとんどなく、
ステアリングを右に左に延々切り続けなければなりませんでした。
でも、秋の高原の景色はたいへん素晴らしく、
どれだけ走っても走り飽きることはありません。

結局、上高地・乗鞍スーパー林道を走破しても、
まだ時間も体力も余っていたので、
その後、「ああ野麦峠」で有名な信州の野麦峠を周ってから、
京都に帰りました。
確かこのときは、行きも帰りも高速道路を使わず、
ひたすら一般道を走ったと思います。

観光らしい観光は一切せず、
ただただ走り続けた2日間でした。


☆悔し紛れに、閉ざされたゲートの前で愛車を写しました(笑)。結局このとき以来、約20年経った今も、乗鞍スカイラインには行けていません。いつかは再挑戦しないといけないですね。でも、どうせ行くなら、スポーツカーに乗り換えてからにしたいと思います(いつになることやら……)☆


※ふらッし~さんにご指摘いただきましたが、現在乗鞍スカイラインは自家用車の乗り入れが禁止されています。僕の再挑戦は実現できなくなったようですが、自然保護のためなら仕方がありませんね。