風の吹くまま

大好きな自動車について、思いついたことを投稿します。

物語

2008-02-29 17:50:30 | スポーツカー
ディーノについては、このブログで過去何度か取り上げ、
そのたびに見た目の美しさを褒めちぎってきました(笑)。

ガソリンエンジンの自動車が発明されてから120~30年の間に、
全世界で何種類の自動車がデザインされたのか、もちろん知る由もありません。
すべてを調べて比較するのは絶対に不可能と分かっているのに、
「ディーノの美しさは世界トップクラスだ」
と、不思議なくらい強く確信できるのは、何十年経っても、何度見ても、
ディーノの美しさがまったく色褪せないからなのだと思います。

残念ながら、今のところ運転する機会に恵まれないので、
つい外見のことばかり書いてしまいますが、その点はどうかご容赦ください(笑)。

ところでクルマに限らず、人でも物でも、
背景に「物語」があると、その魅力は無限に広がっていくような気がします。
劇的な生涯を送った芸術家や文豪、そしてその作品たち、
才能があるうえに努力を重ねた職人がつくった見事な工芸品、
500年、1000年の歴史を刻みつけた古都のたたずまい等々、
語りつくせない深い物語があるからこそ、
それらは何物にも代えがたい魅力を放っているのでしょう。

ディーノの輝きの中には、夭逝した愛息ディーノへのエンツォの思いや、
フェラーリ社が築き上げてきたスポーツカーやモータースポーツの文化、
ピッコロ・フェラーリをこの世に誕生させたデザイナーや設計者たちの情熱、
さらに世界中の人々がディーノに注いできた憧れや愛情など、
いろいろな物語が内包されているに違いありません。

ディーノをはじめ、素晴らしいものに出会うと、
「僕は自分の人生で物語をつくれているのだろうか」
「物語を感じさせるような何かをこの世に生み出していけるのだろうか」
などと、時に自問自答することがあります。
その答えは生涯見つからないかもしれませんが、
とにかく自分らしく、少しでも成長しながら生きていきたいものです。

「京都輸入車ショウ」に展示されていたディーノは、
246GTではなく、より希少な初期型の206GTでした。
グリーンメタリックというボディカラーも珍しいのではないでしょうか。
資料によると、246よりも全長が11cm短いそうですが、
遠目にはほとんど区別がつきません。
ただ、エンジンが2000ccで、全幅がちょうど1.7mですから、
ナンバープレートは「5ナンバー」になるはずなので、
道路を走っていたらきっとすぐに分かると思います(笑)。

では写真をご覧ください。







キャノンボール2、3

2008-02-28 16:43:00 | クルマの映画・マンガ・小説等
昨日長文を書いてしまったので、今日はちょっとお気楽に(笑)、
映画「キャノンボール」の続編のオープニングシーンをお楽しみください。

「キャノンボール2」は、公開時に映画館で見ました。
確か1作目以上にカーアクションシーンが少なかったはずで、
そのとき一度きりしか見ていません。
それでも、オープニングのカウンタック爆走シーンはやはり痛快です。

「キャノンボール3」は、つくられていたこと自体記憶しておらず、
当然作品は見ていないのですが、「YouTube」でオープニングシーンを見つけました。
やっぱりカウンタックが激走していて、なかなか見応えがあります。
驚いたことに、「夕日のガンマン」でクリント・イーストウッドの敵役を演じた、
リー・ヴァン・クリーフ(!)がちょい役で出演していました(笑)。
ストーリーはともかく、毎回豪華俳優を贅沢に使っていたキャノンボール、
ここに極まれり、といったところでしょうか。

それではどうぞ!

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伝統について

2008-02-27 14:58:43 | スポーツカー
昔のフェラーリの車名が、
1気筒あたりの排気量から名づけられていたのは有名な話です。
250GTOなら1気筒250cc、275GTBなら1気筒275ccといった具合。

これは、レーシングチームとして創設されたフェラーリ社が、
1940年代後半に自社で12気筒のマシンをつくり始めてから、
長い間守られてきた伝統のようなものでした。

フェラーリの歴史の詳細に明るくない僕が私見を書くのは、
本当に詳しい方々からヒンシュクを買ってしまうかもしれませんが、
想像するに、当時の車名は、

「ウチ(フェラーリ)は、世界最高の12気筒マシンをメインに製作するメーカーです。基本は12気筒マシンなのだから、総排気量をわざわざ車名に入れる必要などありません。1気筒分の排気量さえ分かれば、後は名前を見た人が勝手に12で掛けてくれればいいのです」

というポリシーを表していたのではないでしょうか。
(※4気筒レースカーの750MONZAなど、一部例外は存在しますが)
そうした背景から、フェラーリのオールドファンの中には、
市販車もレーシングカーも含めて、

「12気筒でなければフェラーリではない」

と考える方も多かったようですし、
それはフェラーリF1マシンの開発陣にとっても同じだったのでしょう。
V6が主流だったターボ時代を除いて、NAのフェラーリF1マシンは、
常に12気筒エンジンにこだわり続けました。
1990年代半ば、他のメーカーが高性能なV10エンジンをつくり、
すでに性能的重量的に不利になっていたにも関わらず、
フェラーリだけは12気筒マシンで数年間粘り、
「超高音のむせび泣くような12気筒サウンド」をサーキットに轟かせていたのです。
もっともF1マシンの型番に関しては、
1気筒あたりの排気量を表してはいませんでしたが……。

市販車に目を転ずれば、そんなフェラーリの伝統を破ったのは、
いまだにフェラーリ・ファンの垂涎の的であり続ける、
究極に美しいミッドシップカーのディーノ206GTでした。
自動車ファンなら誰もがご存じのことですが、
ディーノはV6エンジンを搭載し、
ネーミングも2000ccの6気筒を表していました。
後に排気量が2400ccにアップして、246GTとなりました。

ディーノに関して、これも勝手な想像ですが、エンツォは、

「ディーノはワタシの名前(フェラーリ)ではなく、若くして亡くなった愛しい息子のアルフレード(愛称ディーノ)の名からとった、新しいブランド名である。だからどこにもフェラーリのエンブレムはつけない。フェラーリではないのだから、12気筒である必要はなく、フェラーリの伝統を破ったことにはならない。こういう形なら、オールドファンたちが目くじらを立てることもあるまい。いずれ時が経てば、彼らにもディーノの良さを分かってもらえるはずだ」

と考えていたのではないでしょうか。
ディーノが世界中のスポーツカーファンから愛され、
ピッコロ・フェラーリが確たる地位を築いてからは、
そうした区別をつける必要がなくなり、
やがてすべてフェラーリと名づけられるようになったのでしょう。

さて、そんなフェラーリの伝統を守った最後の市販マシンが、
「大阪オートメッセ」に展示されていました。
カウンタックと並んでスーパーカーブームの主役を演じた、
フェラーリ365GT4/BBです。言うまでもなく、
1気筒あたり365ccの12気筒エンジンを搭載しています(笑)。
のちにマイナーチェンジをしたとき、512BBと名前が変わり、
フェラーリのネーミングの伝統は、ここで終了したわけです。
蛇足ですが、512は「5リットル12気筒」を表しています。

365と512の外観上の主な違いは、
テールランプが左右3灯ずつだったのが2灯ずつになり、
テールカッターが左右3本ずつだったのが2本ずつになり、
左右のドアの後ろにエアインテークが追加されたことくらいでしょうか。
そんなに大きく変わっているわけではありませんが、
「365のほうがカッコいい」という意見もあるようです。
僕はどっちも大好きです(笑)。

長くなりました。
それでは写真を掲載して今日の更新を終わりたいと思います。







ターボ

2008-02-26 12:41:39 | スポーツカー
日本のスポーティカーの世界で、
最初に「ターボ・ブーム」を巻き起こしたのは、
5代目スカイライン、いわゆる「ジャパン・ターボ」ではなかったかと思います。
ブラックボディに「TURBO」の文字とストライプが入ったモデルがありましたが、
いかにも「ハイパワーで硬派なクーペ」という雰囲気のエクステリアが、
男心をくすぐったものでした。

1980年にジャパン・ターボが発売される以前、
排ガス規制で「牙を抜かれた」スカイラインは、
少し元気のない状態が続いていましたが、
ターボの登場で一気に息を吹き返したように思えたのを覚えています。

チューニング・カーの世界にも大きな影響を与えたようで、
従来からある「メカチューン」に加えて、
「ボルト・オン・ターボ」という新ジャンルが広まりました。

さて、僕らスーパーカー世代の間では、「ターボ」といえば、
いの一番に「ポルシェ・ターボ」を思い出す人が多いはずです。
ほぼ同時期に出た「BMW2002ターボ」も大きな話題になりましたが、
スーパーカー少年に与えたインパクトの強烈さでは、
ポルシェ・ターボのほうが明らかに優っていたでしょう。

ただでさえ個性とカッコよさが際立っていた911のボディに、
「あり得ないほど大きく張り出したオーバーフェンダー」と、
「驚くほど巨大なリアウィング」を追加したエクステリアには、
まさしく「度肝を抜かれた」ものでした。

もしかすると、ジャパン・ターボが好印象を持って受け入れられたのは、
その数年前にポルシェ・ターボが強いインパクトを残していたことが、
遠因となっていたのではないでしょうか。
日産自動車が実際にその効果をねらったかどうかは分かりませんが、
今思い返してみると、当時のジャパン・ターボの人気とポルシェ・ターボの存在は、
なんとなく関係があるように思えてなりません。
なぜなら、「ターボ」という言葉を聞くだけで、少なくとも少年時代の僕は、
まるで魔法にかけられたように「ウットリ」としてしまったのですから。

というわけで、「京都輸入車ショウ」で展示されていた、
ポルシェ・ターボの写真を掲載いたします。
今見ても、やはりこのオーバーフェンダーは強烈にカッコいいです。




☆このリア・ビューを初めて見たときの衝撃は、たぶん一生忘れないと思います☆



見間違い

2008-02-25 16:42:13 | スポーツカー
大きな声では言えないのですが、
僕は峠道でクラッシュ(単独)したことがあります。
去年の6月にもこのブログに書きましたが、初代セブンを手放した後、
2台めの愛車となったFC3Sに乗っていたときのことです。
このときの悔しさと悲しさは、今も胸の奥に残っているわけですが、
今日はその苦い思い出を心から払いのけて(笑)、
「大阪オートメッセ」で展示されていたFC3Sについて書きたいと思います。

このクルマについて時々チクリと言われるのは、
「ポルシェ944にデザインが似ている」
ということでしょうか。
雑誌に載っていたマツダの偉い人のインタビューで、
それはマツダの人も意識しているというような話を読んだことがあります。

なにせ、僕がポルシェ944に乗っていたとき、
ある悪気のない若者に、
「morisueさんのセブン、カッコいいですね」
と言われたことがあるくらいですから、
確かに似ているのでしょう(笑)。心の中で、
(左ハンドルのRX-7がどこにあるねん! ポルシェのエンブレムもついてるやろ!)
と叫んでいましたが、彼よりずいぶん年上だった僕は、
表向きは大人の冷静さを保ちながら、
「いや、これ、ポルシェやねん」
と答えましたが、そんなセリフを言うこと自体、
妙に恥ずかしく感じられたものです(笑)。

そうそう、もう1つ思い出しました。
初代セブンに乗っていた頃、
大学の友人の下宿の前に路上駐車していたら、
通りすがりの小学生の男の子が、
「すげーっ、フェアレディZやっ!!」
と叫びながら去っていきました。
友人の部屋にいた僕は、思いっきりズッコケてしまいました。

どんどん思い出します。
やはり初代セブンに乗っていた頃、
岐阜県の山奥にポツンとあった小さなガソリンスタンドで給油したとき、
その界隈ではよほどスポーツカーが珍しいのか、スタンドのオジサンに、
「これは外車か?」
と尋ねられました。僕は吹き出しそうになりながらも、グッとこらえて、
「いえ、マツダのサバンナRX-7っていうクルマです」
と答えたものでした(笑)。

話がFCからそれてしまいました。
FCのオープンモデルには、一時期憧れたことがありました。
発売当初、まだユーノス・ロースターは登場しておらず、
希少なオープン2シーターのスポーツカーだったはずです。

もともと「走り屋」向きのクルマだったためか、
セブンのカブリオレはユーノスほどヒットしませんでしたが、
オープンにしたときのスタイリングはよくまとまっているし、
動力性能的にも十分な速さを持っており、
国産スポーツカーの中では傑作の部類に入ると思っています。

一度乗ってみたいクルマは本当にたくさんあるのですが、
FCのオープンモデルも、やはり味わってみたいクルマの1つです。




☆後期型の「弾丸テールランプ」がカッコいいです。僕も後期型(屋根あり)に乗っていました☆