まだ続けられるうちは続けて
思いを共有していきたい。
いつもの第一声が
『みなさん、変わってないですね』だ。
気安く声をかけられるから、彼女はそう思うようだ。
手の届かない広い世界で活躍をしている教友に見える。
30年前の修養科中、お世話になって大好きだった教養係りの
先生もいつのまにかお出直しになっているしね。
すごく変わった!!」
すごいほめ言葉なんですよ!
嬉しかったですもの、これ言われたとき。
私も進化していきたい!!まだまだ変わりたい。
今日は風もおだやかな暖かい日になった。
ここ数日すさまじい冷風強風が一気にたえず
一日中吹き荒れる日が続いていたので
久々の穏やかな日だ。
おとといの25日は今日とは真逆の寒くて冷たい日だったが
戸別50軒回らせてもらった。これがやりすぎ。
「30軒で帰ろう」その前に「今日はやめよう」とさえ
思う瞬間があった。そんくらいしんどい日だった。
なのに、50軒。
拝殿での報告のあと、のどが痛かった。
拝殿ではしゃべりすぎてた。過ぎる事はないか・・・
話が弾んだ。帰り際におさづけをお願いしようかと
頭をよぎったが、それはしないで帰宅した。
夕方から熱が出た。微熱。あえて計らなかったけど7度くらい。
朝までぐっすりというわけにはいかなかあった。
翌朝も同じように熱があった。起きようとしたけど眼の焦点が
定まっていなかったので、ふらついた。少し気持ち悪さもあった。
節々も痛いし12下りの総立ちはできないし、拝殿奉仕の
御用も声出せないなどでお休みの連絡をさせてもらった。
次男が会社なのでなんとか起きて、ご飯を出して
主人にも簡単だけどメモ書きしてご飯をだした。
で、布団に入った。
熱は夕べまであって、今朝起きたらすぐに熱下がったと
わかった。頭の中がしゃきっとするからわかるんだね。
「コロナ?」
「かぜ?」
医者に行って確認したほうがいいのか・・・・・。
今回は無理しちゃったので、、、気管支が弱いのに
強風冷風の中マスクをしっかりつけないで歩いていたし
原因要素はあった。かぜのわりにはラクだ。
コロナだとにしても痰はほとんど出なかった。
のどはまだ痛いが・・・・
今日はちょっと外へ出てきた。そんなに辛くなかった。
熱があったらこうはいかない。家に中でもマスクしてるし
教会へは明日は鼓笛だし一瞬だけ参拝してこよう。
誰とも会話しないようにして、、、、、、
人の話を聞き影響を受けることはあるけど、
鵜呑みにしてはいけませんよね。
今回身上にならなかったら、また同じことをしちゃいますから私。
あまりにも春季大祭に帰りたさすぎるから、諦めやすいように
身上にして下さったんでしょうか。
いつかまた大祭に帰れる日が来るといいなぁ。
新年早々の地震で大変な年が明けた。
文章にするのも申し訳ないような気がしてくる。
教友が新潟に住んでいるが内陸のほうなので
大きな被害はないと聞いたけど、夜は眠れているのだろうか。
なんで元旦にならなきゃいけなかったんだろう。
いきなり神様に見せられる。
今年は何が起こるかわからない、そういう年になるんだろうか。
けど、それはいつもそうだと思う。
何が起こるかわからないのが人生だと思う。
けど、今回の地震は寝耳に水過ぎる!!
出直される方々と助かる方々といるけど
どこに差があるんだろう。
疑問ばかりが浮かんできます。
みんな助かりたいのに。
助かっていただきたいのに、、、、、
こんな気持ちで身近な人たちやにをいがけで
出会わせていただく方々に真摯に向き合って
何とかと思って、自分に出来る、またそれ以上の思いで
動かせて頂かなくては、元気でおいて頂いていることに
対しての御礼にもならないのかもしれないです。
被災地では近くの方々同士の助け合いが始まった
とニュースで知った。
うん、うん。そうだよなーー。
それがいいんだよな。
この記事アップしてもいいんだろうか。
今日は日差しが強かった!!!!
夏日とはいっても、
そこまでじゃないだろうって思っていたら
運転席の私の腕にじりじりと太陽光がさしこむ。
けど、エアコンつけないでいられた。
すれ違う車達は窓締まっていたかもなーー。
4年ぶりに夏のこどもおぢばがえりが開催される。
もうされているのか?
所属教会は来週末から金土日で帰らせていただく。
写真係りのお声を頂いたので、
昔のようには動けないけど、ひのきしんに帰参する。
今は毎日が殺人的猛暑、、、ではなくて
災害レベルの暑さに身をよじりながら、
向かっている毎日がずっと続いてます。
私は関東の埼玉県なので、日本地図をみると
普通の赤ではなくってよどんでいるような
どす黒い赤で塗られているのだよ。
今年は10月ごろまで猛暑が続くとか言っていた。
いつのころから、
関東は暑い日でも夕立が起きなくなってきているね。
昔は夕立が楽しみだった、、、
『今日も暑かったけど頑張ったね』って
天の神様がご褒美を下さっているような気がしてた。
お道を知る前の話です。
こんな記事以前も書いたよねー。
明日もどうか無事に通れますように。
今年になってくらいからのちょっとした
悩みがあります。眠くなっちゃうんです。
おつとめの時間は大丈夫!!
ちゃんとしてますが、昼食をはさんでいても
はさんでいなくても、お話しの時間(20分~40分)には
睡魔がやってきて、勝てなくって舟こいでしまう。
お話しの内容とか話の仕方も関係してくる。
ああああああ・・・・起きてる人は起きてますもの。
ダメですね。恥ずかしいなぁぁ。
上級の教会の祭典日でもなんでも気を張っていても
寝ちゃいます。体をゆすっている自分。
後ろに座りたいけど、前へ前へと誘導される。
以前はここまでではなかった。
年をとったから体質が変わったの?
明後日の祭典日では、なんとかして頭がぼうっと
しないようにしたい。頭がぼうっとすると熱くなって
しない、それが睡魔なんでしょうか。
兵庫でも「はったい粉」って言うのかな。
麦焦がしともいうってネットに載ってました。
土地所で言い方が違うんでしょうかね。
勉強させてもらっていて、
「はったい粉」って俳句でいうと夏の季語なんです。
びっくりした!!!
すごい親しみを覚えてしまった「はったい粉」。
今回のことで急に思い出したことがあるんだけど、
子供の頃、湯飲みに粉を入れて甘くもして
お湯をさして、箸でぐるぐるかき混ぜてできたものを
親とかお婆ちゃんが作ってくれたなって、、、
ほんとに突然に思い出しました!!!
すごい。
記憶ってこんな感じで呼び起こされるんだな。
「はったい粉」のおかげさまです。
きな粉ではなくって、「はったい粉」に意味があるんだろう。
寒い朝を迎えています。
なかなか仕舞えなかったフリースを着てて
ちょうどいいぬくぬくさ。
出してて良かった。今日は外歩きもこれだね。
このごろ、歳をとっていく自分が惨めな気がして
ほんと、そこは嫌だなって思うことが多かった。
けど、そんなのみんなそうじゃないですか、でも、
そう思えなかった自分がいまして、、、、
今の子育て中のママさんたちや40代位の婦人会を
みてても、私はちょっと年限的にも長めだったので
早く歳をとるわけで、、、、、なんだかなぁ
私よりも年限長くって、同じくらいの歳の人は
道専務だったり教会の奥様だったり、、とにかく肩書きがある。
(肩書きがほしいわけじゃない、、、)
しっかり親一条でお道を通って、おたすけの相手も作って、
ようぼくにして。
その方々よりもちょっとだけ頑張って来たことと言えば
主人が反対してて通りにくい中だけど、お道を切ることなく
続けてきたこと、、、、、くらいでしょうか。
もし、お道がなかったらという想定の光景が想像できません。
この間、長女が言っていたんだけど、、
もし、天理教をやっていなくっても、自分の人生はあると思うから
それはそれで、自分の人生として受け入れて生きていける、と。
一理あるけど、、私も考えたことはあるけど、
人間的にもっともっと未熟で喜べないと思ってばかりの
人生、、、日常を生きているだろう。身上にもなってて
因縁通り、何も知らないで通っているだろうか。
けど、もっと思うんだけど、神様がお声をかけて下さって
細々だけど信仰を続けていられるのって、選ばれているってことだから、
「もしお道がなかったら」なんてこと、考えてもしょうがないのかもね。
正確なことは分からない。想像でしかないけど、、、けど
やっぱり大体の想像はできてくるものですね。(どっち?)
お道を聞くまで、きっと何度でも神様は誰かを使って
身上にもして、お声をかけて下さるんだろうなって思います。
平等に自分の言う事を聞いてくれって
親神様は言って下さっても、聞くようになるのは、、、、、
一部の方々なんでしょう。
話がそれたけど、歳をとって、あちらこちらガタがきても
痛みが伴うようになっても自分なんだなって
今日になって思えるようになった。
ご無沙汰してました。
昨日の4人の様子を見に来て下さった方々、
ありがとうございました。
私は少々、お疲れ気味ではありますが元気に
通らせていただいております。
4月が終わろうとしています。長い4月でした。
団参があったので、その準備や裏づけやなんやで忙しかった。
自分は大したことはしてないけど、
勉強させていただくことが多かったので
頭が忙しかったり、忙しいので他のことも余裕がなくなった。
けど、一年前の4月よりは心は元気だった。
今年の4月は身上いただいたけど、思案することができた。
明日も精いっぱいの一日にしよう。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
元始まりのブログなので、当時の悩み事とか
にをいがけおたすけのおもしろいのとか
わりとストレートに書かれていると思います。
自分自身もここに立ち返り
今のありがたさや逆に怠けている部分を反省したり
と、おおいに活用しています、実は。
自分で書いた記事でもやっぱり体験したことだから
リアリティーがあって面白いんだよね。
さて、新年だし読んでもいいよね。
今年も気にかけてくださって
ありがとうございました。
2006年からだから17年目に入る年になります。
いつのことだろう。
記事をかなりの数削除することになって
しんどい作業をしたことがある。
削除した記事の中身を考えると、知らないってことが
どんだけ勿体無いことなのか考えた。
削除にかかった時間もそうだし、
記事を書いた時間もそうだし。
読み返すことができないんだと残念に思う。
ただ記事をシークレットにすればいいだけのことを
知らなかった私は消しちゃったんだよね。
画像も載っていたので、、、うーーーーーーー。
何が言いたいんだっけ。
今年もよろしくお願いいたします。
喜べば喜びごとが喜んで
喜び集めて喜びに来る
面白がりましょう。
面白がることは
喜べる心に近づけると思ってます。