私は、6歳のとき高熱を出し熱の後遺症で耳が難聴
(両耳)になってしまった。
母が言うのには、お金がなくてタクシーが呼べなかったとか・・・
車がなかったので、どうにもならなくて埼玉医大に行けなかったという。
私の記憶だと医師に、
「注射をするんだけど、お尻にする?腕にする?」
なんて聞かれたことを今でも覚えている。当然、腕にしてもらった。
最近になって母に聞いたことだけど、
「ここまで聞こえるようになったことは、奇跡だと担当医に言われたんだよ。手話で話をするようになるかも知れないと言われていたんだよ」と。
それは知らなかったかも・・・っていうか聞こえていなかったの?
すごいご守護いただいていたんだな、そう思った。
神経性の難聴なので手術を施して直るものではなく、熱を出したりすると、
だんだんと聞こえなくなってくるそうだ。
だから、風邪をひかせないように、と言われたらしい。
たしかに、10年前よりかなり聞こえなくなってきてる。
補聴器も最初はうっとうしくて使わなかった。
ここ何年かだ、みんなの前でするようになったのは・・・
おみちに出会ってから、自分の難聴を個性と受け入れることが出来るようになった。耳のことをにをいがけで話せるようになり補聴器をつけて歩いている。
教会は雑音が多く、とくに子供の声が遠くからでも耳に飛び込んできて、苦しい思いも多い私だけど、これが私なんだと思える。
最近なんだけど、奥様がなんでか私の耳のことをみんなに言うことが多くなった。
「yoshiさんは、難聴で耳が聞こえにくいから、そのせいで声が出にくいんです。」
などと言って下さったり、とにかく、よく大勢の前で話して下さるようになったよ。前はそうでもなかったのに・・・
もうみんな知っていることだろうからいいのに、と私は思う。
あまり言ってほしくない気持ちがあるから。
ある人にそのこと話したら、奥様の変化に気付いていたらしい。
『それは絶対関係だからなんだよ。』って。
いいことなんだよという。
今まで聞こえないことでいつも孤独で、
勝手に想像して聞こえているふりをする癖がついたり悩んだことも多い。
聞こえないことで、人生に影響を与えてきたと思ってる。
命に関する身上ではないのだから・・確かにそうかもしれないけど、難聴の人って少ないよね。めがねをかける人はおしゃれになるけど、補聴器って違和感あるもの。
でも、おみちはそのマイナス部分をプラスに変えてくれるのだと信じている。
この耳で良かったと思えるような信仰になりたいものだ。
今はまだ、今度生まれ変わってくるときは聞こえる耳がいい
、そう思ってる。