喜べば喜びごとがやってくる

不器用で要領の悪いわたしだけど
御礼でお道の御用に明け暮れてます。
生涯にをいがけおたすけで通りたいな。

実家の母がお出直し

2020-06-19 19:18:24 | 母と娘の珍道中(修養科)

おとといの午後4時23分に
弟と実家の母の死亡確認をしました。86才。
弟も私も身内はだれも間に合いませんでした。

病院から電話があった記録があった。
そのあと弟からの着信があった。
ちょっと携帯から離れていた時間に出れなかった。
気がついて急いで病院へむかった。

弟も仕事中で携帯を持っていない時間に
病院から電話があったけど、出れなかったので
急いで駆けつけたときには息を引き取っていたんだった。

病院からの時間を見ると3時半すぎ。
正確にはいつだったのか・・・・・・・
確認が4時23分。けっこうある。


あとから聞いた話だけど、昼ごはんを食べていた母。
流動食でしょうけど、食べさせてもらっていた。
食べなくなったら点滴になって、そうなると早いと言われていた。
けど、、、母は3~4時間前まで食べていたから
病院も連絡をよこしていなくって、
こっちはまだ猶予があると思っていた。

ところが、、、、急変なんでしょうか。
もう心臓が持たなくなったんでしょうか。
ひとりで出直していきました。
いい表情をしてましたよ。口元も食いしばっているように
見えなかった。入れ歯をしていなかったから
食いしばりようがないのかな。

肺はきれいでほとんど老衰だって聞いてます。
死亡診断書の死亡理由の欄はキレイなものだった。
書かれる方はたくさん書かれるみたいですね。

『老衰』
いい響きだ。ご守護です。

 

 

一日一回は母のことを思い出していたような気がする。
コロナ騒ぎで3月くらいから、見舞いに行けていなかった。
身内でも立ち入り禁止になってしまった。
寂しがっていたと思うんだよね。
毎日毎日私が行くのを待っていたと思うんだよね。
おやつが食べたかったと思うんだよね。

 

 

『いっしょに修養科に行けて、親孝行ができたんだからね』
教友は言ってくださる。母も最高の思い出で幸せな3ヶ月だった
と思う。また行きたいって言っていたしね。

私も3ヶ月の濃厚な時間を共有して親孝行が出来ているし、
なにも母に対して思い残すことがないと思っていたんだけど、
親孝行に終わりはないなって感じてた。

「これだけ尽くしたんだからいい」と思うのは
こっちの自己満足なんだ。生んでくれた恩、育ててくれた恩に
限りはないんだとこの1年8ヶ月の間に気づかされました。
一年8ヶ月か、、、、もっと長く感じる。

 

 

明後日がお通夜なのでまだ実家の部屋に寝かされてます。
毎日顔を見に行かせてもらってます。にをいがけも
他の御用もわきに置いちゃってます。。けど、毎日からだが
だるいのは、きっと歩いていないせいもあるかと思う。
すぐにぼーーーーとしてしまう。

 

 

またね。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする